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和名 クワゴ
別名 クワコ 野蚕(やさん)
中国名 桑蠶 桑蚕
科名 カイコガ科
学名 Bombyx mandarina
出現期 初夏から秋にかけて年 3 回くらい発生
食草 クワの葉
採集地 東京都葛飾区


 
 クワゴの幼虫
2004年6月4日撮影
(クリックで引いた写真)

 このデコッパチで鳥の糞みたいな色をしたやつをクワゴという。群馬や長野の農家で飼ってるお蚕さんの原種である。

「え〜、あの白くてまるまる太った、お蚕さんの原種がこれ?」

 そう思ったあなたはスルドイ、というか通ですね。今時だと「蚕って何さ、なんて読むの?」なんて人のほうが多いかもしれない。

 蚕(カイコ)というのは平たくいうと絹のもと。カイコの幼虫が作る繭(まゆ)からとった糸が絹糸になる。農家で飼ってる蚕は何千年もかけて品種改良されたもので、幼虫も成虫も色は白(たまに斑のもいるけど)。終齢幼虫は 70mm くらいの大きさになる。吐く糸も真っ白で、糸を何重にも巻いたしっかりした繭を作る。

 けれど、昔からそんなふうだったわけじゃなくて、もともとは上の写真みたいに、小さくて薄汚れた感じの虫だった、と言われている。なんせ人間とお蚕さんの歴史は中国では五千年、日本でも二千年以上続いているので、一体誰がどうやって鳥の糞みたいなヤツを白く大きく改良したのかわかっていない。

 そもそも養蚕は中国から始まったものだと言われているから、現在のカイコは中国産のクワゴから生まれたはず。日本のクワゴはカイコの直接のご先祖様っていうより、同じご先祖様を持つ親戚みたいな感じなのかもしれない。

 そこらへんは専門家じゃないのでよくわからないが、とにかくこのデコッパチはカイコの親戚筋で、太古の姿を今につたえている古くさいヤツなのは間違いなさそうである。

 
 小難しい話はこれくらいにして鳥糞野郎をよく見ることにしよう。

 クワゴはお蚕さんと同じくクワの葉を食べて育つ。写真のものは都立水元公園でみつけたもので、クワの木にこういう虫が何匹もはい回っていた。

 丸いおでこに見えるのは、実際には頭ではなくて胴体の一部。首をぎゅーっとすくめると、胴体の一部が丸くでっぱっておでこみたいになる。下の写真を見るとわかるように、頭はもっと小さくて目立たない。

クワゴの幼虫
2004年6月4日撮影

 体長は首を縮めた状態で 25mm くらい。お蚕さんの大きさを知ってるとかなり小さく見えるけれど、たぶんこれで終齢だと思う。もうすぐ蛹になるはずだ。このあたりの直感には根拠はないけどだいたい当たる。

クワゴの幼虫
2004年6月4日撮影

 尻に角みたいなものがはえてる。そういえばお蚕さんにもこういうのが生えてたなあ。同じようなものをスズメガの幼虫も持ってる。毒があるわけじゃないし、敵を刺せるほど強くもないし、なんの役にたってるんだろう?

 
 せっかくだから飼うことにした。人間に飼われるために特化したお蚕さんにくらべ、野生児のクワゴはデリケートで飼いにくいと聞いたことがある。失敗することを考えて、大きさの少し違うのを 2 匹連れて帰った。

 連れ帰った当日はなかなかクワの葉を食べず、環境が変わったのがよほどショックだったのかなあと、少し心配になった。けれど、翌日見ると葉に食い跡があった。糞もたくさん落ちている。どうやら餌を食べはじめたようだ。小さいほうが活発でよく食べる。食べては休み、休んではまた食べる。

 この近所だとクワの木は公園にしか生えていないのでビニール袋を持って取りに行く。たった 2 匹の小さな芋虫の餌なので分量は大したことはないけれど、こまめに取りに行かないとしおれてダメになってしまうのだ。それでもビニール袋ごと冷蔵庫にいれておくと 3 日くらいは保存できるみたいだった。

 クワにはさまざまな品種がある。公園に生えているものも、葉の大きさや形がまちまちで、それそれ種類が違うように見えた。あちこちから少しずつ取ってきて与えてみたところ、えり好みせずどれもよく食べた。

馬のポーズ
2004年6月8日撮影

 2 匹とも、日に日に大きく太くなっている。すっかり環境になじんだみたいだった。ここらでまた写真をとっておかなければ。上の写真は首をのばしたところ。「おでこ」だった部分はやっぱり出っ張っている。そういえばこの出っ張りはお蚕さんにもある。お蚕さんは全体に太っているのでクワゴほど不格好にはみえないけれど、それでも芋虫としては不細工で変な格好をしてる。

 こうやって腹脚で枝をつかみ首をあげている様子を、昔の人は馬に見立てた。日本では「おしらさま」というタイトルで有名な昔話はお蚕さんのはじまりを説明するものだ。

 長者どのには美しい娘がいた。あまり美しいので外へも出さずに育てていたが、ある日、娘は屋敷で飼われている馬を見て恋に落ちてしまう。

 娘が馬とねんごろになったのを知った長者は、畜生の分際で娘をたぶらかした馬を許せなかった。使用人に命じて馬を殺し、皮をはいでクワの木に吊しておいた。

 馬が殺されたと知ると、娘は屋敷を抜け出して馬の皮を見に行った。するとどうだろう、皮が娘を包み込み、そのまま天へ上って行ってしまったのである。

 それからしばらくすると、クワの木に馬の頭を持ったおかしな虫がつくようになった。娘の生まれ変わりと思い飼ってみると、虫はやがて美しい繭を作った。

  これと同じような話が中国にもある。というより、おそらくは中国の伝説が日本にやってきて「おしらさま」になったのだろう。

 飼い始めてから 6 日目。
 大きい方のクワゴが蛹になりそうだ。餌を食べなくなり、首を縮めた状態でじっとしている。眠(みん)というやつだと思う。脱皮の前になると眠ったように動かなくなる。体に変化が起こっている証拠だ。

 眠にまつわる昔話もある。これは群馬県甘楽郡の昔話で「衣笠姫」というもの。継母にいじめ殺される姫君の話になっている。

 悪い継母は衣笠姫を憎み、厩(うまや)にとじこめてしまった。馬が暴れて姫を踏んづけたので、姫の背中には蹄の跡がついてしまった。爺やがあわててお救いしたが、姫はしばらく死んだようにぐったりしていた。

 次に継母は姫を竹やぶに置き去りにした。婆やが探し出してお助けしたが、姫は衰弱して死んだようにぐったりしていた。

 三度目はたらいに乗せて川に捨てられた。爺やと婆やが探し出してなんとかお助けしたものの、姫は疲れ切ってぐったりしてしまった。

 継母はすっかり怒って、四度目には庭に穴を掘って姫を生き埋めにしてしまった。爺やと婆やが気づいた時にはもう遅く、姫は息絶えていた。

 それからしばらくすると、姫が埋められたところに黒く小さな芋虫がはいまわっていた。クワの葉をあたえて育ててみると、急に死んだように動かなくなり、しばらくするとまた動きだして葉をたべはじめる。そういう事が四度あり、繭を作った。ちょうど姫が継母に殺されかけたのと同じ回数である。

 眠に入ってから丸一日と半日くらい。ずいぶん長いこと眠りこけていたが、ついに蛹になる時がやってきた。体が寸づまって短くなり、「おでこ」がよりいっそう太く大きくなった。そんな姿で細い糸を吐きながら、あちこち歩き回っている。繭を作る場所を探しているのだと思う。
繭になる準備を始めたぞ
2004年6月11日撮影
 
 試しにそこいらにあった紙で蔟(ぞく または まぶし)を作ってみた。繭を作るための枠である。お蚕さんに繭を作らせる時は、こういう枠に入れてやるものなのだ。
蔟(ぞく・まぶし)

 けれどデリケートなハートを持つクワゴ氏は、珍獣様お手製の蔟がお気に召さなかったようである。見事に蔟の外で繭を作り始めた。まあいいか。

繭を作り始めた
2004年6月11日撮影

 翌日には立派な繭になった。立派といってもお蚕さんのにくらべるとだいぶ小さくて巻きも粗い。古代中国で養蚕を始めた人たちは、こんな小さな繭から糸を取っていたのかな。でも、なんてきれいな金色の繭だろう。

金色の小さな繭
2004年6月12日撮影
(クリックで寄った写真)

 金色といえば、茨城県には「金色姫」という昔話がある。ストーリーは群馬の「衣笠姫」に似ているが、結末がちょっと違っている。

 北天竺の王様には金色姫という美しい娘がいた。姫の実の母親が死ぬと、王様は後妻を迎えたが、新しい妻は姫を嫌い、恐ろしい獅子や鷹のいる山や、無人島に置き去りにするが、そのたびに誰かが姫を救い出して帰ってくる。

 姫が継母にいじめられていることに気づいた王様は、クワの大木をくりぬいて筒状の船を造って姫を乗せ、海に流した。筒船は日本に流れ着き、親切な老夫婦に拾われた。老夫婦が筒を割ってみると中から美しい姫が現れたので、娘としてお育てすることにした。

 ところが姫は病気になり、ぽっくり死んでしまう。老夫婦の夢枕に姫がたち、食べるものをくれという。棺をあけてみると中に白い芋虫がいた。この虫はクワの葉を食べ、姫が死にかけたのと同じ回数だけ死んだように眠り、繭を作った。これが今でいう蚕である。

 つまりこの金色の繭は、金色姫の脱出用ポッドというわけ。そういえば英語の pod には蚕の繭という意味があったりして意味深だ。

つづく