昭和7年は、水元村が葛飾区の一部になり、東京市に編入された年です。
水元水郷弘法大師二十一ヶ所をみつけて、最初の像が昭和8年に作られたことに気づいた時、そこに東京市編入への期待と不安が込められているような気がしました。「新しい時代が来る。田んぼと畑ばかりのこの土地も、これからは人が増え、発展していくだろう」そんな期待が膨らむ時代だったはずです。それと同時に失われ行く古き良きものを惜しむ気持ちもあったんじゃないでしょうか。
そんなことを考えながら、ある日、水元神社にお参りすると、富士登山記念碑に目がいきました。そこにあることは知っていましたが、いつもは特別目を引かなかったものです。
ふと、裏へまわってみると、そこにはこんな文章が刻まれていました。カタカナ書きをひらがなに、旧漢字を新漢字に改めました。
本講は猿ヶ又講と称し水元講に属す 明治七年前世話人の尽力により創 立し数回の満会を得たり時恰も当 村は都市計画の区域中に在り本年 十月一日を以て大東京市に編入せらる 此の機会に方り講社の残額基金を 基礎として講員并に篤志者の賛成 を得其の寄附に據り一致協力以て 爰に碑を建設す 猿ヶ又講中 昭和七年十月建之
これは富士講の記念碑ですから、水元弘法大師とは関係ありません。しかし、これも昭和7年です。「東京市に編入されるることになったので」とハッキリ書いてあります。やはり東京市編入は時代の変わり目として深い感慨があったんだろうなと思います。
文中にある、猿ヶ又講や水元講は、富士講の呼び名です。
富士講というのは、神道と仏教がまざりあった山岳信仰で、江戸時代に盛んでした。仏教も神道も、偉い人から奨励されているわけですが、富士講は民間から湧き上がった信仰です。
富士講では、富士山を極楽への入り口と見なしており、そこへ登るのは死んで生まれ変わるのと同じような意味があったそうです。みんな富士山に登りたかったでしょうが、誰もが簡単に富士登山できるほどお金を持ってたわけじゃないので、講という集まりでお金を出し合って代表者を富士山に送り込んだそうです。各地にそういう講がありました。富士講については「富士山半周、北回りの旅」も読んでみてください。
碑文では「残額基金」を使ってしまっているようですが、その後はどうしたんでしょう。またあたらしく積み立てて講が続いたでしょうか。それとも、その頃にはもう衰退していて、残金で記念碑を作ることで、事実上終わってしまったのでしょうか…?
そういえば「富士登山記念碑」とはいえ、この年に登ったとは書かれていないのです。これまでの活動全体の記念するために建てられたものかもしれないですね。
なお、昭和7年といえば、まだ水元神社が香取神社だった時代です。その頃はまだ水元公園もなくて、閘門橋の南詰めすぐ近くに浅間神社があったそうです。きっとこの石碑も、浅間神社に立てられていたのを、浅間さんが香取さんと合祀された時に移動したんじゃないでしょうか。想像ですけど。
▲浅間神社の跡は、水元公園猿町口に今も残っている。建物はもうないけれど、この草むらにはかつて富士塚だった盛り土があります。
関連記事
◎謎の二番から始まる水元霊場探訪(水元水郷弘法大師)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20160928p5515
◎夕顔観音の石碑
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161012p5731
◎謎の神社の正体を探ったら天祖神社だったという話
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161014p5749
◎東金町天王橋の天王って誰?
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161020p5822
◎富士山半周、北回りの旅(人穴で富士講の話を聞く)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20150608p2027
しかし妙な縁もあったものだなあと思います。わたしは大人になるまで富士山の近くへ行ったことがなかったし、つい最近まで富士講にも興味なかったんです。だいたいわたしが育ったグンマーってところでは、浅間山は見えても富士山なんか見えなかったですしね。
それがちょっと前に、ほんの通りすがりで「人穴」に立ちより、ガイドのお爺ちゃんから富士講の話を聞いて以来、不思議と興味がわいてきました(かといって深く掘り下げてるわけでもないんですが)。その経験がなければ、今もこの碑文に興味なんか持たなかったかもしれません。それに、水元をふらついて弘法大師像をみつけていなかったら、東京市編入に対する地元の期待になど思いをはせなかったかもしれず、富士登山記念碑を見ても「ふーん」で終わってたと思います。
おもしろいことは芋づる式に繋がっているものです。ひとつ引っ張れば次から次へと出てくるので休む暇もありません。そして、おそろしいことに一銭にもならないのです >_< 神様仏様、わたしにもそろそろ御利益をお願いします。お賽銭たりないのかなあ。
カテゴリー: