この石碑にはこんなことが書いてあります。
▲昭和16年の葛飾区詳細図。薄紫に塗ってあるのが水元猿町=猿ヶ又村です(現在の町名でいうと西水元の一部にあたる)。香取神社(現在の水元神社)は猿ヶ又村の鎮守でした。このあたりは猿ヶ又村だった。猿ヶ又村には神社が5社あった。
香取神社(境内に植原稲荷神社もあった)村の鎮守様
浅間神社(境内に稲荷神社もあった)
熊野神社
天祖神社(旧名・葛西御厨神社、伊勢神宮と深い関係があった)
吾妻神社
香取神社が主体となり、明神講中(氏子さんたちの集まり)により祭祀をとりおこなっていた。
昭和42年に東京都は遷都百年の記念事業で水元公園を造園することになる。
昭和46年12月、浅間神社が公園用地として買収される。
明神講で話し合い、浅間神社だけでなく、熊野神社、吾妻神社を吸収合祀することになった。
各神社の用地を買収し、香取神社の社殿や参道などを拡張整備した。
名称を香取神社から水元神社に改めた。 香取神社の旧社殿を改修し、戦没英霊を奉斎する招魂社とした。植原稲荷神社と稲荷神社(浅間社内)を合祀
吾妻神社と浅間神社の此花咲耶姫命を合祀
この二柱が水元神社に祀られている
# 熊野神社の神については記載がない。
天祖神社は境外末社とする。
後ろのほうは社殿等の整備の記録。
▲昭和25年の『葛飾区史』より、水元猿町の神社一覧。上段から名称、創立年、場所です。
▲現在の地図にあてはめる。
実際に行ってみる
旧・香取神社→現在の水元神社
旧・浅間神社
水元公園の猿町口(閘門橋があるところ)を入ってすぐ左手。今も富士塚の跡がある(草ぼうぼうだけど)。近年区が建てた看板があるので場所は行けばわかるはず。
熊野神社
現在は完全に宅地になっており、神社の跡はまったく残ってなさそう。
天祖神社
現在も残っているがお参りする人もあまりなさそう。詳しくは以下の記事をどうぞ。
◎謎の神社の正体を探ったら天祖神社だったという話
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161014p5749
現在は吾妻児童遊園という公園になっています。公園と児童遊園の違いはよくわからないのですが東京で「児童遊園」と呼ばれてるところは神社の跡地だったりするケースがけっこうあります。 # もともと私有地だったり村有地だったりして、もやもやっと整備されると遊園になるのかな、と適当に想像しています。適当なので信じないでください。
写真ではわかりにくいのですが、この小さな公園には似つかわしくないほど巨大なイチョウの木が何本もあり、半分より上が枯れて切られているのに切り口に蓋をしてわざわざ残してある木もあります。かつては神社の杜だったことが偲ばれるというか、黙って連れてこられても「ここ、もとは神社かなんか?」と思う人が多いかも。
余談ですが、
吾妻児童遊園のすぐ近くに第六天王をまつる祠があります。社殿が新しく、どういう歴史のあるものなのか説明もありません。私有地のような気もしますが、通りがかりの参拝を拒んでいる様子もありません。旧・吾妻神社となにか関係があるのでしょうか?
▲第六天社
だんだん郷土史研究家を名乗ってもよさそうな気がしてきましたが、わたしの基本は」面白そうなことがあったので拾ってみた。なんか繋がってるので引っ張ったら次から次へと芋づる式に何か出てきたのでどんどん引っ張ったら広がっちゃった、あはは」以上の何者でもなくて、現実世界でファンタジー系のゲームやってるようなものです。
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