ちょっと前に、東金町天王橋の話をしました。そういう名前がついてるなら、近くにナントカ天王を祀った神社かお寺があるはずだ、というやつです。東金町天王橋の場合は、戦前まであった須賀神社(牛頭天王=スサノオノミコト)に由来していることがわかりました。
◎東金町天王橋の天王って誰?
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161020p5822
この記事で、三郷市内にも天王橋があるのだという話をちらっと書きました。
▲これが三郷市戸ケ崎の天王橋です。下を流れている川は何川でしょうね。大場川の支流にでもあたるんでしょうか?
▲天王橋南交差点。近くに天王橋通郵便局なんかもあります。ゴールデンストアや魚屋路がある通りを「天王橋通り」と言うらしいですね。
橋の名前や通りにまで「天王」がついているんだから、どこかにナントカ天王を祀った神社かお寺がないとおかしいです。気になるので調べたんですが、やはりそれっぽい神社やお寺がみつかりません。
それで1991年発行の『三郷市史』を読んでみたら、この辺には面白い言い伝えがあることがわかりました。
三郷市戸ケ崎一丁目は、かつて天王免耕地と呼ばれていました。天王神社があったので租税を免除されていたからです。
その、天王神社があったのは、言い伝えによれば延暦年間というから、今からたっぷり千年二百年ばかり昔のことです。その頃、今の三郷市戸ケ崎一丁目あたりには、楢の林があり、その中に天王様を祀る祠がありました。
ある時、大きな洪水があり、大事な天王様が流れてしまいます。村の人たちは川下まで天王様を探しに行きました。すると、荒川の下のほう、今でいう南千住のあたりで流れ着いていたので、村まで運んでもとの場所にもどしました。
しかし、すぐまた洪水で流されてしまうのです。そのたびに川下まで天王様を探しに行き、村まで運んで来るのですが、同じことが何度も何度も続くので、
「天王さんもこんな田舎にいるより、江戸っ子になりたいんだろうさ」
と言って、あきらめてしまったそうです。
戸ケ崎の天王様は、その後どうなったのでしょうか。荒川の千住大橋を渡ったところに大きな天王神社がありますが、もともとは戸ケ崎から流れていった天王様だということですよ!
…もちろんただの言い伝えですし、いろいろツッコミどころは多いです。千年も昔の話なのに最近まで天王免と呼ばれているのはおかしいですし、いくら大きな洪水だからって、戸ケ崎から南千住まで流れていってしまうものでしょうか(中川と荒川・隅田川は、まあつながってないこともないですが…)。
千住大橋の近くにある天王神社というのは、おそらく南千住の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)のことを言ってると思います。あちらの由来には川から流れてきたなんて話はなさそうですね。
素盞雄神社は創建が延暦年間だそうです。戸ケ崎は洪水で悩まされた土地だそうですから、祠が流されてしまったことも度々あったのでしょう。そのへんから尾ひれがついた伝説なんでしょうね。
天王免耕地と呼ばれていたという話からすると、延暦なんて大昔ではなく、江戸時代には本当に天王神社(あるいは須賀神社、八坂神社などと呼ばれていたかも)があったに違いないんですが、それがいつごろなくなってしまったのかは、わたしはまだ手がかりをつかんでいません。
赤いポイントが三郷市戸ケ崎の天王橋。
鳥居の絵の紫色のポイントが南千住の素盞雄神社。
洪水で流された、といえば、「番匠免」にも面白い伝説をみつけてしまったのですが、それはまた別の機会に。
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