小原地区の冬に咲く桜を見に来て、小原地区の観光案内にここがあったので立ち寄りました。それによると、おいでんバス小原・豊田線「市場口」で下車して徒歩1時間ということなのですが、車の道路ですら坂道がきついので、よほど歩き慣れていないと厳しいのではないかと思います。わたしも車じゃなかったら行かなかったと思います。車でも小原町の中心地から20分くらいかかります。
神社はくねくね道を上り詰めたところにありました。お祭りがあるらしく、神社の前には駐車場があり、車が何台も置けそうでした。
蚕霊というからには養蚕の神様だと思うのですが、神社には由来書きもなく、だーれもいません。社殿の裏手に立派な建物があり、入り口い軽自動車が止まってたりしましたが、神社との関係はよくわかりません。
標高400mくらいの山の上にあるので景色はよかったです。この日はあまり天気がよくなかったのが残念です。
謎の石像を発見……と思ったら、よくよく見ると手に本を持ってるので二宮金次郎ですね。膝より下が欠けていて、頭もなくなってしまったらしく、コンクリを丸く盛ってありました。
まわりに学校があるわけでもないのになぜ二宮金次郎なのかこの時はわかりませんでした。ふと思い付いて調べてみると、どうも金次郎の石像は愛知県岡崎市の石屋さんが普及させたらしいんです。
◎二宮金次郎像
http://kinjiro.a.la9.jp/kinjirozou.htm
金次郎像の研究をしている方のサイトです。すごいサイトです。
きっと石屋さんが学校以外のところにも積極的に納品してたんでしょうね。そういえば豊田市内のとある場所で、マンションの入り口に金次郎がいるのを見たことがあります!
この小さな石像は天神様なのですが、お堂にかかげられた板には薄れた文字で「蚕霊抱喜天神」と書いてあるようです。お堂の横に由来も書いてありました。これまたかすれていてとびとびにしか読めないのですが、「昔ここに御嶽教の教会があり参拝者が大勢いた。昭和二十年代に道場が閉鎖されてからは、小原村のSさんが…(具体的に何をしたか読めない)…その後四十年間…(参拝者が絶えなかった?)…昭和六十二年、抱喜天神(だきてんじん)として祭神することになった。この天神様は重さ4.2Kgで、願い事を心に念じながら抱き上げ、軽く感じれば成就する」というようなことが書いてありました。御嶽教会があったということは、この山の上から御岳山が見えるのかもしれないですね。
この赤い鳥居も蚕霊神社の隣にあるのですが、向かって左側がお稲荷さんで、真ん中と右側のお堂はなんの神様かわかりませんでした。鳥居の傍らに何か書かれた札があるのですが、墨が薄れて読めませんでした。右側の小さなお堂の後ろに二十二夜待の石塔がありました。
あとで小原町の観光マップを見たら「蚕霊山のほぼ真北に位置する御岳山の遥拝所だったらしく、江戸時代は御嶽教の信者でそうとうにぎわっていたという。明治時代に蚕の神である大気都比売命(おおげつびめのみこと)が勧請され、10年くらい前まで蚕の供養を行っていた」「お須原山の天狗岩は蚕霊神社の方向に向かって突出しており『この岩の前方約800mの岩戸山の大蛇が橋をかけた』と言われているが、岩戸山とは蚕霊山のことだろう」と書いてありました。
お須原山がどこにあるか、わたしはちょっとわからないのですが、検索すると巨石がごろごろして楽しそうなところです。
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