似ているようでぜんぜん違う、家の周りやよく行く場所の六地蔵の造立年やらなんやらを調べています。
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▲足立区大谷田・常善院の六地蔵は、地蔵の像があるよく見るタイプの六地蔵と、六角柱に地蔵の名前と種字が刻まれた六地蔵塔の2種類。
▲像のついた六地蔵は左から2体目が失われていて、別の時代の地蔵で補われている。
所在地 足立区大谷田・常善院の境内
造立年 明和六己丑歳十一月吉日(1769年)/2体目のみ宝永二年十一月(1702年)
願主など 大谷田村
宝永二年の地蔵には幻如童子霊(ヨの下に大を書く異体字=灵)と刻まれており、幼い子供の霊を供養するためのものだと考えられます。
1. हि ヒ 寳性地蔵 壬正月一日 2. इ イ 法印地蔵 常念 3. का カー 陀羅尼地蔵 宝永五年 4. (इ)(イ) 法性地蔵 5. क्र クラ 地持地蔵 6. ह ハ 勝軍地蔵
所在地 足立区大谷田・常善院境内
造立年 宝永五年壬正月一日(1708年)
梵字はユニコードにも入っておらず、パソコンでは書けない文字なので、梵字のもとになったデーヴァナーガリーというインドの文字で代用して書いています。इ イ と (इ)(イ) は発音的には同じ文字だと思うのですが、違う書体の梵字で刻まれています。
六地蔵に固有の名前がついている例は対岸の西水元・安福寺にもありますが、名前はまったく一致しません。種字(仏様を象徴する梵字)も安福寺の例ではハとイ(イー)で構成されてるのに対して、常善院のものはカーやクラが混ざっています。
おまけ
石仏などに刻まれた造立年は「年号・漢数字・干支・年・月・日」の順で書かれていることが多いです。例>宝永五戊子年正月一日
年のかわりに歳や天の文字が使われてる場合もあります。また月日のかわりに○月吉日のように書く事も多いです。
干支(えと)は、十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯…以下略)を組み合わせたもので、現在でも年末になると「来年の干支は…」とよく話題になりますが「ねずみ年」とか言うのは十二支だけなので、干支と言ったら庚子(かのえね)とか言わないと本当はダメなんです。
十二支は12年で一巡するのはみなさん知ってると思います。十干は10年で一巡します。干支は十干と十二支の組み合わせなので、12と10の最小公倍数で60年たつと一巡します(還暦というやつですね)。これが、実は石仏の造立年を調べるのに、けっこう重要になります。石に刻んだ文字は案外見づらく、長い年月ですり減ったり欠けたりもするので、漢数字だけだと何年だろうと悩むことも多いです。そこで年号と干支に注目すると、宝暦の戊子年なら、間違いなく五年だな、と確認できるわけですね。
ところで、常善院の六地蔵塔には造立年が「宝永五年壬正月一日」と刻まれています。この場合の「壬」は十干なのですが、年ではなくて、月に割り当てられてる十干です。十二支も十干も、年だけでなく、月や日にも割り当てられています。現在ではあまり月の干支は話題にされないんですけどね。
十干は十種類しかないものを十二ヶ月に割り当てるので、五年で一巡して六年目に同じ干がめぐってきます。
123456789101112 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸甲乙 丙丁戊己庚辛壬癸甲乙丙丁 戊己庚辛壬癸甲乙丙丁戊己 庚辛壬癸甲乙丙丁戊己庚辛 壬癸甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸甲乙
等幅フォントで見ないとくずれるかもですが、こんな感じです。作られた当時ならば「壬の一月といえば、何年前だな」みたいなことをイメージできてたのかもしれません。
もちろん、月にも十二支が割り当てられていて、「干+支」の形で言うことも出来るんですが、六十ヶ月後みたいなのは、何年後なのかイメージしにくいので十干だけを言うんじゃないのかなあ、なんて思います。
月の十干を刻む例はあまりなくて、面白いので解説してみました。
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