江戸川八十八ヶ所 柏市内24番と26番

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 先日は馬橋から小金井までの常磐線の南側をまわったわけですが、今回は柏市内のいくつかの札所をまわりました。結論からいうと26番は大師堂があるんですが、24番は現在は大師堂がありません。

 いや、ほんとうに江戸川八十八ヶ所は家から離れてるので全部回って解明しようとかは思ってないんですけど、用事があって柏まで出かけたので、ついでにいくつかまわってきました。

 まずは江戸川八十八ヶ所全体の地図ですが、下の地図は戦前に(おそらく昭和9年の開創当時に)作られたものです。松戸市の三日月神社に掲示されていたものをスマホで撮影しました。この「略図」まだ霊場が機能していた時代のものなので、後世の勘違いなどは含まれていないはずです。ただし、昔のものなので廃寺になった寺もああれば、路辺にあった札所などは、どこへ行ったかわからなくなってるケースもあると思われます(わたしは全部吟味したわけじゃないのでわかりませんが)。

略図
▲戦前(おそらく開創当時)に作られた江戸川八十八ヶ所巡拝道順略図。松戸市の三日月神社に掲示されているものです。
もっと大きな画像を見たい場合は、パソコンの場合は
ここ」←を右クリックして「リンクを別のタブで開く」などとしてみてください。
大きな画像が別タブか、別ウィンドウかで表示されると思います(普通に左クリックするとそんなに大きくなりません。スマホでもたぶん、長押ししてバックグラウンドで開くなどで見られると思います。/こんな説明じゃやりかたが分からないけどどうしても大きい画像を見たいのだという熱い人(そんな人も少ないでしょうけど)、コメント欄で言ってみてください。別の場所にアップロードし直すとか何か考えます。

 この「略図」の右上のほう、24番の正満寺と、26番の取込(トリゴメ)に行きました。49番の長崎・金乗院は別の記事にすでに書いています。

略図の柏市周辺
赤い丸の24番と26番を今回見てきました。/28番の観音堂は現在なくて、豊四季の青年会館だかなんだかいう公民館のような施設になっているとも聞くんですが、すでにその施設が見つからないです。また51番の小島大師も取込(現在の豊四季・四号稲荷の周辺)のどこにあったのかはよくわかりません。


24番 正満寺

 正満寺は柏市豊四季にある浄土真宗のお寺で、現在も存在します。ただし現在は境内に大師堂はありません。一部ネット情報で、柏市豊町にあるこのお寺の分院(中原分院)を24番としているのですが、それには待ったをかけたいです。

IMG_3844s ▲柏市豊四季・正満寺。江戸川八十八ヶ所の24番札所ですが、現在こちらに大師堂はありません。

IMG_0221s ▲柏市豊町・正満寺中原分院。一部ネット情報で、ここを24番としているサイトもあるのですが、現地に24番なんて掲示はないし、ここは豊四季から徒歩で4〜50分も離れているまったく別のお寺なんです。

 この、中原分院には大師堂があります。が、こちらのお堂は江戸川八十八ヶ所ではなくて、東葛印旛八十八ヶ所という全然別の霊場巡りの63番と89番です。88ヶ所なのに89番が存在する理由はよくわからないんですが、とにかくそういう事になっています。63番については天保年間の石碑も存在しました。

IMG_0227s ▲中原分院の大師堂。右の柱に「第六十三番」、左の柱に「第八十九番」と棟札?標札?適切な呼び方がわからないですが、番号の札がかかっています。

IMG_0232s ▲63番側の大師像。金剛杵と数珠を持っているのが見えるので弘法大師像であることは間違いないです。台座はなく、本体のみ。お堂の扉が固かったので、無理に開けずに格子の隙間から撮影しました。なお、江戸川の63番は流山市で、こちらとは無関係です。

IMG_0236s ▲89番側の大師像。こちらには大きめの台座があるのですが、少なくとも正面には何も刻まれておらず、脇面は手が届かなかったためスマホ撮影でも確認できませんでした。なお、江戸川には89番はありません。

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▲正面に「新四国六十三番」と刻まれています。向かって右脇面には「天保九戌年十二月(あるいは十一月)吉日」と造立年もありました。

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▲石碑の図解です。脇面はお堂の柱に近くて肉眼ではみづらいんですけど、スマホで斜め上から写して画像解析で読みました。いちおう解析画像も貼っときますね。

石碑の脇面上半分 石碑の脇面下半分
▲左の画像はだいたい全体が写っていて、右の画像は下半分を主に写しました。

 63番と89番が何に属するのか調べてみたところ、東葛印旛八十八ヶ所という霊場巡りで「阿弥陀堂」とされいている札所と一致するようです。下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』(以下『事典』)によれば、文化四年の下総四郡八十八ヶ所の66〜88番をベースにして、文化六年/1809年までに再編成され、慶応二年/1866年に再興、明治二十九年/1896年に現在の形になったとあります。中原分院に石碑があるので天保九年1838年にも整備されているかもしれないです。

 『事典』には、東葛印旛八十八ヶ所の資料がみつかったとかで詳しい解説があるのですが、その資料がいつごろのどういった物なのかは明記されていないので不明です。幕末から明治にかけての文書のようではありますが。

 というわけで、中原分院には大師堂はあるのですが、江戸川ではなく、東葛印旛という別の霊場巡りの札所でした(少なくともお寺ではそのように認識している)。

 『略図』で見るかぎり、24番は26番取込(現在の四号稲荷)よりも北に書かれていますので、位置関係で言えばあくまで豊四季の正満寺が24番でしょう。正満寺で霊場を分院に移した可能性は否定できませんが、それはお坊さんに確認してみないとわかりません。

 そういった確認したかどうかも書かずに自動的に分院が24番だとするのはまったく乱暴な話です。こういったことがあるので、わたしは典拠を明示しないネット情報を知ってて無視しています。江戸川は家から遠いので回りきる自信がなく、もともと興味が薄いんですけど、テキトーなこと吹聴されると逆に燃えてしまうので勘弁してほしいです。むろん、わたしのブログも執筆時点でのわたしの認識を書いているわけで、不完全な事も書いていると思います。その点はお見知り置きいただきたいです。

 話をまとめると「江戸川八十八ヶ所の24番は豊四季の正満寺で現在は大師堂はない」です。


26番、取込(トリゴメ)

 こっちは豊四季と新富町の境目くらいに四号稲荷という神社があって、その境内に26番の札がかかった大師堂がありました。

IMG_0249s ▲柏市豊四季・四号稲荷。

 四号というのは、豊四季が四番目の開墾地であることに由来しているようです。明治維新で武士が失業するなど、庶民の暮らしが非常に混乱したため、東京府がこのあたりを開墾して生活にあえぐ人たちを移住させることにしたとかで、その四番目の開墾地に作られた稲荷社なので四号稲荷。またこの地を取込(とりごめ)と呼ぶのは、開墾される前は幕府直轄の牧場で馬が放たれていたそうで、毎年その馬を集めて選別する「野馬捕り」という行事が行われたことに由来するそうです。神社の境内に由来を刻んだ石碑があったのですが、うっかり写真にとってくるのは忘れました。

 IMG_0251s ▲四号稲荷境内の大師堂。

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▲大師堂の柱にかかっている札。「江戸川/八十八ヶ所/第二十六番」とあります。この形式の札は三郷市の横堀御嶽神社の大師堂(20番)にあるのと同じ形式なので、昭和9年の開創当時に作って全札所に掲示したやつなのかもしれないです。

IMG_0255s ▲堂内の弘法大師像。ただし像そのものには番号や造立年はない。

 これまでの調査(いや、ついでがあるから回って見たとかなんですが…)で江戸川八十八ヶ所の札所にある大師像は、江戸時代に作られたものだったり、昭和9年以降に作れたものだったり様々で、デザインも一定していないことがわかっています。そのため像だけでは江戸川の札所であるとは判断できません。

a.『略図』と地名や寺の名前が一致すること
b.「江戸川/八十八ヶ所/第○番」の札が掲示されている
c.番号に対応した御詠歌を刻んだ扁額が残っている

などが判断の決め手になります。

 a と b の条件で、四号稲荷の大師堂は江戸川の26番だと判断できます。


 そんなこんなで江戸川八十八ヶ所、柏市内 2ヶ所でした。さすがにこれ以上はついでもないので回れない、ような気がします。

 現在のところ以下が江戸川八十八ヶ所の関連記事になります。

◎江戸川八十八ヶ所のうち三郷市内の札所めぐり
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200925p8437

◎江戸川八十八ヶ所めぐり流鉄沿線をいくつか
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200929p8492

◎江戸川八十八ヶ所の49番 流山市長崎・金乗院
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20220527p8754

◎江戸川八十八ヶ所のうち常磐線の南側
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20220623p8828
↑忘れていたので追加しました。2022.7.4.

◎またまたみつけた霊場巡り(新田組二十一ヶ所)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161024p5865
 ↑これは別の霊場巡りの記事なんですが、一部の札所が江戸川八十八ヶ所とかぶっています。

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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

江戸川八十八ヶ所 柏市内24番と26番 への1件のフィードバック

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