『江戸六地蔵建立之略縁起』より
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/200019008/viewer/4
六地蔵之図 尊像は蓮華経にしたがひ 宝号は十王経によるなり 地獄 金剛願地蔵 この地蔵菩薩は地獄道に入てもろもろの地獄の苦を救い給ふなり。 この尊像を念ずる人は火難水難をのがるるなり。 餓鬼 金剛宝地蔵 この地蔵菩薩は餓鬼道に入てもろもろの餓鬼の上のくるしみを救い給ふ。 この尊像を念ずる人は衣食ゆたかにしてとぼしからず。 畜生 金剛悲地蔵 この地蔵菩薩は畜生道に入てもろもろの畜生の苦を救い給ふなり。 この尊像を念ずる人は狐狼野干およびもろもろの畜生の災をのがるるなり。 修羅 金剛幢地蔵 この地蔵菩薩は修羅道に入てもろもろの修羅の驕慢刀杖の苦しみを救い給ふなり。 この尊像を念する人はしん■を消滅し剣戟の難をのがるるなり。 人道 放光王地蔵 この地蔵菩薩は人間の八苦を救い五穀成熟をまもらせ給ふなり。 この尊像を念ずる人は寿命長遠にして衆人の愛敬を得る。 また女の産の道を守り給ふなり。 天道 預天賀地蔵 この地蔵菩薩はもろもろの天人を利益し給ふなり。 この尊像を念する人は官位出世びふく荘厳の望をよく成ぜしめ給ふなり。
『江戸六地蔵建立之略縁起』は深川地蔵房の正元という僧侶が書いたもので、江戸六地蔵建立の寄付金を集めるためのパンフレットのようなものみたいです。冒頭にいくら寄付すると地蔵の台座に名前を彫るなどの特典がありますという説明があり、次に上に抜き書きした地蔵の名前や姿の説明があり、地蔵菩薩とはどういう仏様なのかの説明があります。それによれば地蔵はもと女性で、母上孝行のために「がくげじざいおう如来」という仏様の像の前で厳しい修業をして菩薩となったとあります。そのため地蔵は妊婦と子供を護る仏様ですが、そうでない人にもこんなご利益があると説明が続いています。また実際にどこそこのダレソレにこんな御利益があったという例もあげられています。
後半では正元の生い立ちが説明されています。
・12歳で故郷を出る。
・14歳で剃髪受戒。
・24歳の秋に重病になる。
・25歳の春に死にかける。
・父母が悲しみ地蔵菩薩に延命を祈ってくれた。
・親の嘆きを見て、正元もまた誓いを立てる。「もし父母存命の間だけでも命を延ばしてくださるのなら、衆生のために菩薩の利益を説き、尊像を造立する」
・その夜のうちに霊験があり重病が治る。
・諸国をまわり、多くの衆生と地蔵菩薩の縁を結ぶ。
・地蔵菩薩の像前で七つの苦行をする。
・京都にある小野篁が作った六地蔵のようなものを江戸にも造立したいと発願する。
・京都のものがそうであるように、御当地の入り口(街道のはじまり)ごとに六体造立する計画。
正元が行った七つの修業というのは以下のようなものだと書いてあります。
・指灯。左の小指を二節目まで油にひたし火をつけて灯明とする。
・手灯。手に油と灯芯を握って7日のあいだ灯明とする。
・手香。伽羅と沈香を粉にして腕に三寸おきに置いて火をつけ香りを捧げる。21日間。
・六万度の礼拝。1日に1360回地蔵菩薩を礼拝して49日間休まず続ける。
・水中礼拝。極寒のうちに水中で水を浴び地蔵菩薩を三回礼拝するのを三日三晩。3千礼拝+千垢離。
・百万遍の称名。七日のあいだ飲まず食わず寝ることもなく百万遍地蔵の名を称えつづける。
・六万巻の読経。延命地蔵経を毎日60巻ずつ千日つづける。
このような苦行を売名やお金のためではなく人々が救われればいいという思いでしたというのですが、今の感覚だとそんなこと頼んでないのでやめてくれって感じですけど、今世罪を犯せば地獄に生まれ変わって苦しめられるとみんなが信じている世の中では、人を救うために身を犠牲にして修業するお坊さんは大変尊いわけです。
正元の気持ちは当時の人たちに理解されて、江戸には立派な六地蔵ができました。1体だけ明治の排仏毀釈で壊されてしまったそうなんですが、ほかの5体は今もあります。
正元は地蔵の名前は『十王経』によると書いているので、十王経も見てみました。
『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100354747/viewer/23
十王経というのはいくつかあるらしいんですが正元が『江戸六地蔵建立之略縁起』で言ってる十王経はこれだと思います。六地蔵の名前が出てくるのは下に引用する部分ですが、正元が書いてるのと完全に一致します。
預天賀地蔵 左持如意珠 右手説法印 利諸天人衆 (左に如意珠を持ち、右は説法印、天人を救う) 放光王地蔵 左手持錫杖 右手與願印 雨雨成五穀 (左手に錫杖を持ち、右手は与癌印、雨を降らせて五穀を成らせる) 金剛幢地蔵 左持金剛幢 右手施無畏 化修羅靡幡 (左手に金剛幢-はた-を持ち、右手は施無畏、修羅を救う) 金剛悲地蔵 左手持錫杖 右手引攝印 利傍生諸界 (左手は錫杖、右手は引摂印、傍生-畜生-を救う) 金剛寳地蔵 左手持寳珠 右手甘露印 施餓鬼飽満 (左手に宝珠を持ち、右手は甘露印、餓鬼を満腹にする) 金剛願地蔵 左持閻魔幢 右手成辨印 入地獄救生 (左に閻魔幢-はた-を持ち、右手は成弁印、地獄にいる者を救う)
『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』は、成都府 大聖慈恩寺の沙門で蔵川弘通という人が書いたとされる経典です。これを信用するなら中国で成立したもので、天竺由来ではないのでこの時点で偽経と呼ばれているわけですが、使われている漢字などから中国由来ですらなく日本で作られたお経だと判明しているそうです(二重に偽なのかw)。
内容ですが(漢文なので実は細かい部分がよくわからないのですが)、クシナガラのアジラヴァティー河のほとり、沙羅双樹の下で世尊が涅槃に入ろうとしている時(亡くなる時)、諸々の菩薩や天人たちが集まってきます。すると世尊(釈迦)は光を放ち、閻魔の国を照らし、娑婆世界の人々がみな愚かにも罪をおかして閻魔の国に行ってしまうのをなんとしてでも救いたいと言います。閻魔大王と十王たちもそれに賛同しました。
そこで世尊は地獄で人々がどのような苦しみにあうかを説きます。地獄には十の国があり、それぞれに王がいます(十王)。脱衣婆や見る目かぐ鼻などお馴染みの面々が亡者の罪をあばき、苦しめています。亡者の生前を映し出す浄玻璃の鏡など、草双紙によく出てくる不思議なアイテムも登場します。
ところで善名称院という場所があります。ここは浄土のような場所で、五つの宝で飾られた座があり、地蔵菩薩がここに座って禅定に入ります。
ここで『江戸六地蔵建立之略縁起』で正元が書いていた地蔵は女性だったという話が出てきます。それは遠い昔、「覚華定自在王仏」という世尊が涅槃に入り(死んでしまって)この世に生身の仏様がいなくなった時代のことです。
世尊というのはこの世でもっとも尊い人という意味で、一番新しい世尊は釈迦ですが、それ以前にも何人もの世尊がいたわけです。覚華定自在王仏もその一人です。その頃、地蔵菩薩はまだ普通の女性で、深い信心を起こして聖近士女となりました。そして母親が地獄にいることを知り、覚華定自在王仏の像の前で七日の断食をして供養しました。すると善哉善哉と世尊が現れて、彼女を讃えて、あなたの母親と同じように、過去や未来のすべての母親を救いなさいと言いました。
そこで彼女は人々を救う誓いをたて、乞叉底薩子波(キシャチケルハ=クシティガルバ=地蔵)菩薩となるわけですが世尊はこれを喜んで、彼女にに六つの名を授けました。それが先に引用した六地蔵の名前です。
こうして世尊(釈迦)は十人の王が統べる地獄の様子を解き明かすと、今度は王たちが「亡者が苦しんでいるように、わたしたちもこの熱によって苦しめられている」と訴えます。すると世尊は「あなたたちも前世の因縁でここにいるが、心あるものには必ず仏性があり、悟りに到達できる」と言いました。それを聞いた十王たちは悟りを得て熱の苦しみから開放されたということです。
正直言うと自力では漢文を読みこなせなくて(返り点と送り仮名はついてるんですけど、細かい点でまるで自信がなく…)、検索したらこのような立派なサイトがみつかりまして、大変参考にさせていただきました。
◎仏説地蔵菩薩発心因縁十王経
https://ayiva.sakura.ne.jp/text/folk/dizoujuuou/
以下は身近で見た事のある六地蔵の名前です。持物や種字はとりあえず棚にあげておくことにしました。地蔵菩薩発心因縁十王経(十王経、地蔵経)とぜんぜん一致しないですねえ。つまりほかにも地蔵の六つの名前が出てくるお経があるかもしれないわけですね?!
葛飾区西水元・安福寺
享保二十年1735年http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200808p8314
月天地蔵 人福地蔵 書衣地蔵 天華?地蔵 枳星地蔵 黒衣地蔵
足立区大谷田・常善院
宝永五年1708年http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200818p8337
寳性地蔵 法印地蔵 陀羅尼地蔵 法性地蔵 地持地蔵 勝軍地蔵
葛飾区東水元・延命寺
寛永元年?(1741年?)http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200825p8362
欠けて読めず 陀羅尼地蔵 鶏龜地蔵 地持地蔵 法印地蔵 法性地蔵
三郷市戸ヶ崎・観音寺
造立年不明(新しい)http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200911p8409
延命地蔵 不休息地蔵 讃龍地蔵 護讃地蔵 辨尼地蔵 破勝地蔵
葛飾区鎌倉・大珠院
造立年不明(新しい)新しいので記事にしていませんが…
禪林地蔵 無二地蔵 護讃地蔵 諸龍地蔵 伏勝地蔵 伏息地蔵
葛飾区東金町・光増寺
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20230529p9096造立年:享保十一年〜十三年(1726〜1728年)
これは完全に『十王経』由来の名前ですね。
預天賀地蔵大菩薩 金剛幢地蔵大菩薩 放光王地蔵大菩薩 金剛悲地蔵大菩薩 金剛宝地蔵大菩薩 金剛源地蔵大菩薩カテゴリー: