「きわさ」とは、なんだろう
たくさんの「きわい」パンダを紹介してきたが、
わたしが求める「きわさ」について、
ここで改めて考えてみようと思う。
京成パンダ
▼
これは、京成カードのマスコットキャラである。
http://www.keisei.co.jp/keisei/keiseicard/
非常に邪悪であり、憎たらし可愛いヤツで、
もちろんわたしは大好きなのだが、
残念ながら狙いすぎている。
京成パンダの生みの親は、
おそらくコイツが可愛くない琴を知っている。
「可愛くないところが可愛い☆」
と、言ってもらえることを期待しているだろう。
それは、きわくない。
わたしが思う「きわさ」は、
作った本人は本気で可愛いと思っている、
もしくは、可愛いものを真剣に目指しているんだけれど、
完成品は常人の感性では理解しきれない
究極の悟りの境地に達している、そのようなものである。
スケベパンダ
▼
これはダイソーでみつけたパンダのハンコである。
もちろんこれも、狙いすぎている。
面白いけれど、悟りの境地にはほど遠いのである。
ただ、このハンコを誰が使うのか、
ひょっとして使い道も考えずに作ったのか、と思うと、
作者には「きわさ」を極める素質がありそうに思う。
生茶のパンダ
▼
これらは生茶のCMで
奈々子が自在にあやつっていた
パペットパンダの図案化である。
CMのシュールなイメージをふまえてデザインしているので、
可愛くないのは当然狙いである。
これは悟りから遠い。
だが……
こっちの巨大ぬいぐるみは「きわい」のである。
写真では大きさが伝わらないので残念だが、
大人の背よりも大きいような巨大さである。
大きいだけではない。
見よ、きわさを!
これは狙っているわけではあるまい。
パペットをそのまま大きく作ったら、
素材の性質でこのような物体になったのだろう。
想像すればわかりそうなものなのに、
あえて作ってしまい、
あきらかにヤバイ物体であるにもかかわらず
ちゃんと働かせてしまう。
これは求道的といえる。
ちなみに後ろはこんなである。
これに人が入って練り歩くのである。
きわいを通り越してこわい。
生茶パンダの公式ブログ
http://namacha.blog.so-net.ne.jp/
今時はパンダですらブログを所有しているのである。
時代は刻々と変化しているのである。
味の素のパンダ(アジパンダ)
▼
アジパンダそのものは、あまりきわくない。
パンダのキャラとしては普通である。
しかし……
味の素の瓶にパンダの顔を描いたとたんにビビっとくるのである。
これは狙ったのだろうか。
はたまた偶然の産物だろうか?
http://www.ajinomoto.co.jp/ajipanda/
彼にも公式サイトがあるのである。
猫も杓子も、いや、パンダも半田もインターネットである。
ヤマザキのジャイアントパンダ
▼
決してきわくはない。むしろかわいい。
ただ、両側の透けてるパンダはちょっと恐いかもしれない。
http://www.yamazakipan.co.jp/ichioshi/20071226/
ニイハオパンダ
▼
これは、そうとう「きわい」と思う。
インパクトでいえばさほどではないけれど、
このデザインをした人は、おそらく本気で可愛いと思っているだろう。
が、しかし、ビミョーだ。
受け取る側の完成など関係ないのである。
本気でかわいいと思って突き進む、
それが悟りへの道と知るがいい。
さあ、求道者たちよ、
きわさを極めるのだ!
--------
目次
--------