エンドウの歴史は古く、紀元前 6000 年期のアナトリアやギリシアでも食用にしていた。エジプトでは中王国時代(紀元前
2000 年ごろ)から食用に栽培されており、薬としても使われた。日本には中国を経由して伝来したと言われている。西暦
8 世紀ごろのことだと言われているが、はっきりしない。アメリカ大陸には黒船来航で有名なペリーが日本から持ち帰ったと言われている。
エンドウは、乾燥種子用、生豆用(グリンピース)、サヤエンドウの三種類にわけられる。中国ではグリンピースを発芽させたものを豆苗といって、モヤシのように食用にする。
イギリスの考古学者カーターはツタンカーメン王(在位 : 前1361年〜1352年)の墓に副葬品として埋葬されていたエンドウの豆を発見した。これをイギリスに持ち帰り栽培に成功している。後にこの豆の子孫がアメリカに渡った。昭和
31 年には、水戸市の大町武雄氏によって日本にも持ち込まれ栽培され、現在この種の子孫が各地で栽培されている。一般に栽培されているエンドウとは花の色が違うのだという。
オーストリアの僧侶であり植物学者でもあったメンデル(1822-1884)は、エンドウに豆の黄色いものと、緑のものがあることに注目し、交配を繰り返すことで遺伝子の法則を発見した。
グリンピースはアオエンドウというエンドウの品種である。サヤエンドウも名前のとおりエンドウだが、グリンピースとは品種が違う。サヤエンドウを成熟させて豆をとってもグリンピースのように美味しくはないらしい(参考>所さんの目がテン)。
グリンピースは未熟なアオエンドウで、グリンピースが成熟したものを鶯餡(うぐいすあん)や鶯豆(うぐいすまめ)にする(参考>所さんの目がテン)。
豆大福に使われている黒い豆は、アカエンドウと呼ばれる豆が赤くなるエンドウの一品種(参考>所さんの目がテン)。
豆類には、動物に食べられないように生の状態では毒になる成分が含まれていることが多いが、エンドウは毒性が低く、動物が好んで食べる(参考>所さんの目がテン)。