養蚕 絹 シルク 繭 カイコ

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養蠶緒言

人生日用の。片時(しばし)も闕べからざるもの。衣食より
急なるはなし。されば農事と養蠶(ようざん)のふたつ。共に
神代より起たり。日本紀を考るに。天照大神は。天
子の御太祖にて。いとも尊き御身ながら。姫神に
ておはしましてゆゑ。御自ら繰繭る(いととる)術をなし給
ひ。服殿に入て。神衣を織らを賜へるを始め。その
大神の御孫。迩々藝尊(ににぎのみこと)は。木花開耶姫(このはなさくやひめ)の機織賜ふ。

手もとのいさぎよきをめでて。御后となし賜ひ。
仁徳天皇の皇后磐之媛命(いはのひめのみこと)は。山城の筒木(つつき)なる蠶(こか)
室(ひや)に。わざわざ御幸(みゆき)し賜へるなど。天子皇后さへ養
蠶の業に御心をとめ賜へることかくの如し。漢
土にても礼記の祭義に。古者天子諸矦必有公桑
蠶室。と見えて天子諸矦の后妃(きさき)といへども。親ら(みづから)
桒(くは)つみ自ら蠶養(こがひ)し賜ふこと。又同し。ましていは

んや。士民の妻女に於てをや。古(いにしへ)は女功一月四十
五日といへり。これ一月の晝を三十日。夜を十五
日にあてたるものにて。晝夜共に繰織(いとくりはたをる)を怠らず。
男の農事を勉て。租(ねんぐ)を収るに等□□。女は繰織を
勉て調(みつぎ)を奉れり。是を女之手末調(をんなのたなすゑのみつぎ)といへり。手末
とは手の先にてする業を云なり。是に依てその
かみは。家ごとに桒を殖ざるはなかりけり。職員

令の國司の條に勧課農桒と見えて。國の守たる
人の職掌は。農と桒とを。百姓に課せてつとめし
むるが第一にて。百姓たる者は。具農桒に力を尽
して租調庸の三事を奉貢ざる(みつがざる)はあらざりし也。
この租といふは年貢米(ねんぐまい)。調といふは絹布の類な
り。孟子に五畝之宅樹之以桒とありて。百姓の自
身の宅地に桒を殖て。蠶(こ)を養へり(かへり)。さるは蠶業の

利益。甚大にして。麻木綿の類を始め。凢百の業。一
つも是に及ぶものなし。故に農事とならべて。米
穀に對へいへり。史記には。齋魯千畝桒其人與千
戸侯等とあり。これ桑畑千畝持たる百姓は。その
冨。千戸領したる大名に同しといふ意なり。また
蜀志に諸葛孔明のいへる言を引て。桒八百株薄
田十五頃あれば。子弟の衣食。をのづから餘饒(あまり)あ

りとみえたり。かく利益多き産業なれば。何卒(なにとぞ)防
長两國の内にも勧課して。再興すべし。此两國の
如き。米穀は昔より。中國米の名高くして。大坂に
ての建物なれば。今更これをいふに及ばす。養蠶
の事に於ては。後世その傳を失ひしにや。ただ木
綿のみ織を業として。繰繭(いとくりこがひ)の道は。知る人稀なり。
木綿も毎年大坂の運送。百萬反にあまりて。莫大

の産物なれども。綿を他國より買入るヽゆゑに。
百姓の身に着く利益少なし。綿を國中に殖ると
きは。此草は田畠ならでは生たらねば。五穀を作
る妨となれり。蠶桒は皇國固有の産物にして。古
へ防長にても蠶業の行はれし證。主計式の長門
の條下に。調絲と載たる・て知べし周防の條下
には所見ねども(みえねども)。いづくか桒土ならざらん。桒だ

に生ずる土地ならんには。蠶の出来ぬ理はなけ
ればば何卒士農工商の別なく。山野の荒地は勿論
にて。宅地の垣根。溝の端(はた)。小路の側(ほとり)に至るまで地
力を尽くして桒を殖べし。古は天子諸矦の后妃さ
へ。し賜へるわざなれば。貴族大身の内室も。みづ
から桒つみ親ら蠶養し。それより以下の士農工
商の婦女を。みな興起をしむべし世俗の諺に。潮

風の當る地は。蠶(こ)の生立(おひたち)冝しからず。といふ説あ
れども。こは蠶種(こだね)に色々(しなしな)あれば。一概に云がたし。
本場といふ蠶は。海邊にてそだちがたけれども。
片夏うづらの類は。潮風を撰ばずして。しかも養(か)
ひ易き虫なれば。これらの分別をわきまへて。山
中海邊それそれに。相應する蠶(こ)を養ふべし。その育(そたて)
法(かた)に至ては。養蠶局に入て傳授をうくべし。かへ

すかへすも農と桒とは。一日も闕べからざる。民
生の本務なれば。晝夜となく怠ら・ずして。一月四
十五日の功をつとむべきものなり。

丁卯春
鴻城 養蠶局發梓

(手書き文字で)児玉姓

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