十二支のはじまり
 
 むかしむかし、神さまがいいました。

「動物たちよ、元旦の朝にあつまりなさい。一番はやく来たものから十二番目のものまで、順番にその年の守り神にしてあげよう」

 神さまから大事なお役目をもらえるというので、動物たちははりきって元旦を待ちました。けれど猫だけは集まる日をわすれてしまい、鼠のところにききに行きました。

「鼠どん、神さまがおっしゃった日はいつだったっけな」

 鼠は、猫がこなければ自分がえらばれると思って、
「猫さん、神さまは一月二日に来るようにとおっしゃったよ」
と、こたえました。

 気のいい猫は、鼠のことばをすっかり信じてしまい、元旦の朝はねていました。

 さて、動物たちは元旦の日の出とともに神さまのところへ向かいました。鼠は先頭をあるいている牛の角につかまって行き、もうすこしというところでとびおりて、一番に神さまのところへ行きました。

 つづいて牛がやってきて、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順番で神さまのもとにたどりつきました。

 猫は元旦の朝にたっぷり寝坊をして、翌日の朝はやく神さまのところへ行きました。ほかの動物たちが来ていないので、てっきり自分が一番だと思い、

「神さま、わたしが一番ですね。だいじなお役目をいただけますか」
と、いいました。

 神さまは、すこしあきれたような顔をして、
「猫よ、わしは元旦に来るようにいったはずだよ。ざんねんだが年を守る役目はすっかりきまってしまった」
と、いいました。それで猫は鼠にだまされたことを知り、じだんだをふんでくやしがりました。

 それから猫は鼠を見るとつかまえて食べるようになったということです。
 

◆こぼれ話◆

 十二支に動物があてられるようになったのは、中国の戦国時代(紀元前 403〜221 年)または前漢(紀元前 202〜後 8 年)のことで、それ以前は動物とは関係なかった。

 なぜ、動物があてられるようになったのかハッキリしないが、エジプト・バビロニア・インドなどでは古くから黄道(太陽の通り道)を十二に分けて動物をあてていたので、それを西方諸国が取り入れて、さらに中国に伝わり十二支に影響を与えたのではないかと言われている。

 王充(紀元後27年〜100年頃)が著した『論衡』に「十二支に動物をあて、それぞれが五行に対応していると論ずる人がいると書いてある。しかし、その考えが正しいのなら、水にあたる子(鼠)が火にあたる午(馬)を追い払わないのはおかしい」とある。この時代には十二支に動物をあてるのが常識だったのだろう。
 

 …と、難しい話はどうでもいいとして、この昔話は十二支を採用している国に広く言い伝えられている。話の筋はどこの国のものもおおざっぱな部分で同じで、動物たちがなんらかの方法で十二のポストを奪い合う話になっている。

 モンゴルでは、十二番目を鼠とラクダが奪い合い、ここでも鼠はずるい手を使ってラクダを負かす。怒ったラクダは鼠を見ると踏みつぶそうとすると言われている。
 

羊たちの雄弁・モンゴルの十二支説話

 
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