鶴女房
 

 むかし、ある男が畑をたがやしていると、鶴(つる)がとんできて、よろよろとたおれてしまいました。見ると翼のつけねに矢がささっているのでした。矢をぬいて傷をあらってやると、鶴はいきかえったように元気になり、また空へとんでゆきました。

 男が畑しごとをおえて家にかえってみると、家には美しい女の人がいて、
「今日もたくさんはたらいて、おつかれでございましょう」
と、やさしくほほえんでいるのでした。

 男はおどろいて、家をまちがえたかとあたりをきょろきょろみまわしました。
 すると、女は
「おまえさ、どうしたのですか。ここはあなたの家ですよ。わたしはあなたの嫁でございます」
と、いいました。

「おら、貧乏人で、嫁っこにくわせる金もねえ。悪いことはいわねえから、家さかえったほうがいい」
男がいうと、
「心配ありません。お米ならわたしがもってきましたから」
といって、女は小さな袋の中から米を出してみせました。

 こうして女の人は、そのまま男のお嫁さんになりました。お嫁さんがもってきた小袋からは、いつでもすきなだけお米がでてくるので、そのうちお金にもこまらなくなり、くらしが楽になりました。

 ある日、お嫁さんは
「わたしに機屋をたててくれませんか」
と、いいました。機屋というのは布を織るための部屋です。冬になり、畑の仕事がなくなると、女の人は機屋で布を織るのです。
 男が機屋をたててやると、お嫁さんは、
「これから七日のあいだ、機屋にこもって布をおりますから、何があってものぞかないでください」
といいました。
「布を織るったって、糸はどうするだ」
「それはなんとかなります。それより、けっして見てはいけませんよ」
といって、お嫁さんは機屋にこもってしまいました。

 七日たって、お嫁さんは美しい布をもって機屋から出てきました。
「これを町で売ってください。きっと高く売れるはずですから」
 男がお嫁さんの織った布を町へもってゆくと、百両で売れました。よろこんで家にかえると、お嫁さんはまた機屋にこもってチンカラトン、チンカラトンと布を織っています。

 なんと働き者の嫁だろうと、男はすっかり感心しましたが、いったいあれほどの布を、糸もなしでどうやって織るのか見たくてしかたがなくなりました。

 それで、ほんのちょっとならいいだろうと、戸のすきまからのぞいてみると、やせこけた鶴が一羽、自分の羽をぬいては布に織りこんでいるのが見えました。

 鶴は男がのぞいているのに気がついて、機を織るのをやめると、よろよろと出てきました。

「わたしは先日たすけていただいた鶴でございます。せめてもの恩返しにと、こうして人に化けておつかえしてまいりましたが、正体をみられてしまってはここにとどまることはできません。織りかけの布はわたしだと思って大事にしてくださいませ」
そういって、のこり少なくなった羽でふわりと舞いあがり、空たかく飛んでいってしまいました。
 

◆こぼれ話◆
 鶴の恩返しというタイトルでも知られる昔話。木下順二が『夕鶴』という戯曲にして、團伊玖磨がオペラにもした。

 この場合の鶴は、タンチョウと呼ばれる頭の赤い鶴だとされているが、タンチョウはコウノトリと色や形がよく似ており、ひょっとするともともとの話はコウノトリだったのではないかという説がある。

 コウノトリは雛のうちは鳴けるが、成長になると鳴けなくなる。声を出す鳴管と呼ばれる部分が発達しないため。そのかわり、コウノトリは求愛や威嚇の目的でくちばしを打ち鳴らして音をたてる。これをクラッタリングといって、カタカタカタカタカタ… と機織りの音に似ている。そのため「鶴の恩返し」に出てくる鳥はツルではなくコウノトリが本来の姿だったのではないかとも言われているのだ。兵庫県北部(但馬地方)には、コウノトリが機を織って恩返しをする民話が実際に残っている(参考:所さんの目がテン)。

 コウノトリよりもタンチョウのほうが知名度が高く、昔の人はあまりはっきり見分けずに、すべて鶴と呼んでおめでたいものだと考えていたかもしれない。
 

 栃木県には「鳩女房」という、筋立ては鶴女房そっくりで女房を鳩に変えた話がある。

 
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