切れない柳
 

 むかし、高柳というところに、おりゅうという娘がおりました。この娘は、ふとしたことで若い男と好きあって、毎日のように、男に会いにいっておりました。

 そのころ、京の都に三十三間堂をたてるというので、高い木をさがしておりました。高柳には、その名のとおり、高い柳の木がありましたから、これを切りたおしてつかうことになりました。

 木挽きさんが大勢よばれて、みんなして一日じゅう斧をふるっても、大きな柳の木はたおれませんでした。その日は仕事をしまって、木挽きさんたちはねてしまいました。

 さて、おりゅうはというと、その日にかぎって男がうかない顔をしているので、病気ではないかと心配になり、
「あんた、何かあったのなら、話しておくれよねえ」
と、いいました。男はさびしそうな顔をして
「うん、なに。まだ大丈夫だ。でも、ひょっとすると、もうすぐお前に会えなくなるかもしれないよ」
と、いって、だまりこんでしまいます。

 次の日、木挽きさんたちが柳の木を見にいくと、不思議なことに、柳の木の切り口が、すっかりもとにもどっていました。次の日も、その次の日も、木挽きさんたちは一日じゅう斧をふるいましたが、夜があけると切り口がもとどおりくっついて、いつまでたっても柳の木はたおれないのでした。

 これじゃ、どうしようもないと、仕事をあきらめかけていると、ある木挽きの嫁さんが、
「あんた、おがくずを集めて焼いてしまったらどうでしょう」
と、いうので、次の日からは、おがくずが出るたびに火にくべて焼いてしまいました。
 すると、柳の木は、切り口をふさげなくなって、ついに切りたおされてしまいました。

 その日から、おりゅうのところに、男がかよってこなくなりました。ちょうど柳の木が切りたおされたというので、もしやと思ってでかけてみると、木挽きさんたちが木を荷車にのせて、都にひっぱって行こうとしていました。

 ところが、足のつよい馬を何頭つれてきても、荷車はびくともしません。そのとき、おりゅうは、自分のところにかよっていた男が、この柳の木の精だったことに気がついて、荷車にかけよると、わんわん泣きはじめました。

 すると、柳の木も観念したのか、荷車がうごくようになって、京の都には三十三間堂ができあがったということです。
 

◆こぼれ話◆

 これを書くにあたって参考にした本では、男の正体が最初からわかっていて、おりゅうのところへ通っているのも周知の事実としてえがかれていた。柳の木をのせた荷車がうごかなくなると、好いた女の言うことなら聞くだろうというので、おりゅうを呼んできて、荷車の先頭にたたせることになっている。

 けれどこれでは話がわかりにくい。魂を持つ柳としりつつ切り倒してしまうものだろうか。柳の精は精気を吸うなどの悪さをするわけでもなく、ただ娘と情を交わしていただけである。おりゅうにしても、好いた男を三十三間堂にするために、すすんで荷車の先頭に立つというのもおかしな話なので、少しばかり筋を変えてみた。

 しかし昔話というのは村社会に組み込まれた者とはじきだされた者との対比をえがいていることが多く、原話でおりゅうが荷車の先に立つというのは、柳の精との異常な交際を捨てて村社会にもどる決意をしたともとれ、この筋をかえてしまうのは原話の意図を大きく損なうことになるかもしれない。

 栃木県の昔話に男女の立場が逆になった話がある。

 ある樵(きこり)が美しい娘と恋に落ちて所帯をもち、やがてその娘との間に息子ができた。ある日、京都に三十三間堂を建てるというので、樵はお堂の棟木にするのに大きな柳の木を切り倒すことになった。樵が斧をいれるたびに、娘が「痛い、痛い」と言うので、一体なんの病気かと思っていると、柳の木が切り倒された頃に、娘はとうとう死んでしまった。娘の正体は柳の木の精だったのである。切られた柳を都に運ぼうとすると、ある家の前でぱたっと車が止まり、大の男がよってたかって引いたり押したりしても動かなかった。その家というのは柳の精の息子がいる家で、息子が車の先頭に立って引き始めると、ウソのように軽くなってすーっと動き始めた。その柳の木は、今でも京都の三十三間堂の棟木として残っているということだ。
 
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