◆鬼は内(一)
あるところに、たいそう貧乏な夫婦がいました。節分の豆まきで、いくら福を招いても裕福にならないから
「そうじゃ、今年の節分には鬼を招いてみよう」
と言って、「鬼は内、福は外」と言いながら、バラバラ、バラバラと豆をまきました。
すると、その夜
「わしらを呼んだのはお前さんたちか」
と、赤や青の鬼たちがのっそりやってきました。夫婦はびっくり仰天、腰をぬかしそうになりましたが、せっかく来てくれたんだからと、お酒や料理で鬼たちをもてなしました。
そのうち東の空が白みはじめて、一番鶏がコケコッコーと鳴くと、鬼たちはあわてて帰って行きましたが、あとには大きな金棒が残されていました。
夫婦は、いつか鬼がもどってくると思って金棒を大切にしていましたが、いつまでたっても鬼たちは金棒を取りに来ませんでした。
その話が評判になって、あちこちから鬼の金棒を見に来る人が増えたので、夫婦は人々にお茶や団子を売ってお金持ちになったということです。
◆鬼は内(二)
あるところに貧乏な爺さんがいて、あるときヤケをおこして
「いくら福を招いても福の神がこないなら、今年は鬼を呼んでやるべ」
と言って、節分に豆をまきながら「鬼は内、福は外」と大声で叫んだんだと。
するとその夜、
「わしらを呼んだのはこの家かいのう」
と、鬼どもがひょっこりやってきたんだそうな。こりゃ大変なことになったと、さすがの爺さんも肝を潰したけれど、せっかく来たものを追い返すわけにもいかないからと、なけなしのお金で酒をかってきて、鬼たちにふるまったんだと。
すると、鬼は気をよくして、
「「こんなにいい思いをさせてもらったんじゃ、礼のひとつもしないといかん。そうじゃ、わしがサイコロに化けるから、爺さんは賭場(とば)へいって、こっそりサイコロをすりかえておきな。そしたら爺さんが勝つように目を出してやるから」
そこで爺さんは言われたとおりに鬼のサイコロを持って賭場へでかけていったんだと。胴元の目をぬすんでちょいとサイコロをすりかえたので、爺さんが半にはればサイコロは奇数の目が出るし、爺さんが丁にはればサイコロは偶数の目が出るといったぐあいで、爺さんは勝ちに勝ってたちまち大金持ちになったんだと。鬼はころあいをみはからって地獄へ帰って行ったと。
そうして爺さんは何不自由なく暮らしていたけれど、寄る年波には勝てず、とうとう寿命をむかえて死んでしまった。爺さんも人間だから、生きているうちに何かしら悪いことをしていたらしく、閻魔様に地獄へおくられてしまったんだと。
そこへ、いつかの鬼が現れて、
「なんだ爺さん死んだのか。安心しろ。閻魔様が釜茹でにしろといったら、熱くないように茹でてやる。針の山に送られたら、痛くないように足の裏に薬を塗ってやるから」
というんだって。おかげで、爺さんはどこへ送られても平気の平左。ちっとも苦しまないんだと。それを見た閻魔様は
「お前のような者を地獄においてはしめしがつかぬ。とっとと極楽へでも行くがいい」
といって、爺さんを地獄から追い出したそうな。
◆節分のはじまり
むかし、村の娘が鬼にさらわれてしまった。娘は山奥で鬼と所帯をもって、とうとう鬼の子を産み落とした。そうして何年か鬼と暮らしているうちに、鬼も心がやわらかくなって、娘に里帰りを許してやった。
そうして娘は鬼の子をつれて村へ帰ると、おっとうと、おっかあがたいそう喜んだが、鬼の子供なんか産まされたというのじゃ世間体が悪いからといって、子供を股のところから半分に引き裂いて、竹の棒につんざして家の角へ立てておいた。
何日かして鬼が娘を迎えに来ると、自分の子供が真っ二つに引き裂かれて竹の杭にささっているのを見て驚いた。
鬼はたいへん恐れて、家の外から娘を呼ぶと、娘はよく炒った豆をばらまいて、
「この豆が芽をふくころまた来い。そうしたら帰るから」
と言った。炒った豆から芽が出ることはないから、娘が鬼のところへ帰ることはなかった。
それからというもの、節分の日には魚を真っ黒にやいたものを棒にさして飾り、炒り豆をまくようになったという。
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