運定め
 
 
 むかし、あるところに、たいそうな金持ちの旦那がいた。
 奥さんが身重で、下働きの女中も身ごもっていた。
 ある日、旦那が遠くの町へ用足しに行ってかえってくると、途中の山道で日がくれてしまった。
 しかたなく、大きな木の下で野宿していると、真夜中に誰かが近づいてくる。

 山賊だろうかと、息を殺して様子をみていると、
「おおい、木の神さん、おるか」
と、声がする。
 すると、木の枝がわさわさゆれて、
「はいよ、山の神さん」
と、大木が返事をした。

 山の神さんは、ふもとの村でお産があるから、赤ん坊の泣き声を聞きに行こうと言った。
 けれど、木の神さんは、
「今夜はふいの客人がおるでのう。山の神さんがようすを見て聞かせてくれんかい」
というのだった。

 どうやら、ふいの客人というのは旦那のことらしい。
 しばらくすると、山の神さんがもどってきて、
「木の神さん、今夜のお産はたいそうめでたいことに、赤ん坊がふたりじゃ。お屋敷の奥方と女中がそろって赤子を産んだでのう」
と、上機嫌で話しはじめた。
「それで、赤ん坊はどんなふうに泣いたんじゃ」
「奥方の子は男の子で "杖いっぽーん" と泣いておった。女中の子はおなごで "塩一升" っつうて泣いておったよ」
「ほう、塩一升かい。そらまた強い運を持った子じゃのう」
「じゃが、奥方の子は杖一本じゃ。うまいこと女中の子とそわせればいいが、そうでなければ家は息子の代で終わりじゃろう」

 旦那は、山の神さんが見てきたというお産が、自分の妻と女中の子ではないかという気がしてならなかった。
 それで、夜明けを待ってあわてて村へ帰ってみると、妻には男の子、女中には女の子が産まれていたんだと。

 すっかり山の神さんの言うとおりなので、こりゃあ、どうあっても夫婦にしなけりゃならないと、すっかり話をとりきめて、赤ん坊のうちから女中の娘をわが子のようにかわいがって育てた。
 ところが、子供らが成長すると、旦那の息子は女中の子をひどくきらって、家から追い出してしまった。
 
 娘は行くあてもないので、村はずれのお堂で泊まっていると、夜中に話し声がするので目をさました。
「長者の息子は馬鹿者じゃのう」
「またくじゃ、運の強い娘を追い出してしまうんじゃから」
「ときに、娘をこれからどうするか」
「それなら、明日ここを通る炭焼と結べばいい」

 次の日、娘がお堂の前で待っていると、神様の話のとおり、炭俵をかついだ若者がとおりがかった。
 そこで娘は「どうしてもお前さんの嫁にしてくだっしゃい」とたのみこんで、そのまま若者の家についていってしまった。

 炭焼の若者は、食うや食わずの生活をしていたが、娘を嫁にしたとたん運がまわってきて、たちまち豊かになっていった。
 そのうち大きな屋敷をたてて、下働きの者を大勢やとうようになって、一日に塩一升をつかいきるほどの長者になったんだと。

 それから月日はながれ、ある日、みすぼらしい姿の男が杖をついて現れて、
「もう三日も食うておりません。なんでもいいから食べ物をめぐんでつかぁさい」
という。
 すっかり長者の奥方になった娘は、その男の顔を見てびっくり。自分をいじめて家からおいだした、旦那さんの息子ではないか。

 聞けば、娘が出ていってからというもの、家がかたむいて財産は底をつき、残ったのは杖一本。毎日ものごいをして歩きまわっているという。

 赤ん坊は自分の運命を叫びながら産まれてくる。けれど、人間の浅はかな知恵では赤ん坊の声を聞き分けることはできない。なにもかも、すっかり神様のいうとおりなり、杖一本の息子は、塩一升の娘の屋敷でやとわれて、なんとか暮らせるようになったということだ。
 

◆こぼれ話◆

 東北にも関西にも伝わっている昔話。遠野では後半が「炭焼長者」という別の話になっていることもある。

 
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