ダイダラボッチ伝説 |
◆でーらん坊(群馬県) 未来社『日本の民話8』 むかし、でーらん坊という大男がおってな。上州と信州の国境の山々をがっしがっしとまたいで歩き、鳥や獣をとって暮らしておった。軽井沢にある雲場池はでーらん坊の足跡だっちゅう話じゃ。 浅間山というのを知っておるかのう。富士山よりちょこっと小さいが、同じくらい美しい山でのう。この山は今でも生きていて、たまにもくもくと煙を吐いておる。 でーらん坊がいた時代には浅間山の火口は今よりもっと熱く燃えておった。大男は大きな鉄の鍋を浅間山のかこうにかけて、山でとった鳥や獣をごんごんぶちこんで煮て食べておったそうじゃ。そこらの杉の木をひっこぬいて箸にして使ったって。 ある日、でーらん坊が荒船山を枕にして、浅間山で足をあぶりながら寝ていると、うっかり鍋をけとばしてしまったんだと。 煮えたぎった汁がざんばりこぼれて、鉄鍋ががらんごろんと火口へ落ちていった。灰だの火の粉だのがばっさばっさとまいあがって、上州も信州も灰がつもって真っ白になったんだと。鍋の汁は信州の方へ流れていって地面にしみこんだから、今でも信州の温泉は塩っからいんだと。 でーらん坊はこのとおりの大男だったから、そりゃあもう大食らいじゃった。山の獣たちはでーらん坊にとられてずいぶん数が減ってしまったんだと。 おまけにでーらん坊のいびきのうるさいこと。世界中のかみなりさんが一度に落ちてきたような音が一晩中つづくんだと。でーらん坊がくしゃみをすると人間の家が千戸もふっとぶというからおっかないことだよ。 このままじゃ人間も獣たちも安心して暮らせないというので、山の神様がおでましになってのう。でーらん坊を退治しようとしたんだと。山の神様というのはコノハナノサクヤヒメとイワナガヒメという美しいお姫さまであらせられたよ。 この戦いがどんなふうだったか、残念なことにわたしは聞いていないけど、姫神様たちの流した血が真っ黒な花になったということじゃ。今でいう黒百合の花のことじゃろうかのう。今はもう、でーらん坊はいないから、戦いは姫神様たちの勝ちだったんだろうさ。 これでおしまい。 浅間山も荒船山も群馬と長野の境目にある山で、直線距離にして20kmくらい。そうとうな巨人だったことがわかる。 それは昔、日本にまだ天をつくような巨人がいた頃のお話。上野の国の大男と駿河の国の大男が山をつくる競争をしました。どちらの巨人も力持ちで、ものすごい勢いで山を作っていきますが、ほんの少しだけ上野の山のほうが小さかったのです。 それでも上野の巨人は必死で土を運びましたが、あとひともっこで駿河の巨人に勝てそうになった時、とうとう一番鶏がないて夜があけてしまいました。 駿河の国の巨人が作っていたのは富士山で、富士山を作るのに掘った場所は、今では甲府盆地と呼ばれています。 上野の巨人が作っていたのは、榛名富士という山です。負けた悔しさで取り落とした最後の土はヒトモッコ山という小山になって、今でも榛名富士の下にあります。また、榛名富士を作るのに土を掘ったところは榛名湖という湖になったと言うことです。 ↓以下はわたくしのブログより転載 ◆大男だらだら坊(茨城県) むかし、だらだら坊という巨人がいた。だらだら坊は筑波山に腰を下ろし、霞ヶ浦で足を洗い、太平洋にむかって立ち小便をした。そのため筑波山はまん中がへこんでいる。また、小便が流れたあとは今の桜川である。 ◆那珂郡の巨人(常陸国風土記)
大櫛の岡は、現在では大串と呼ばれ公園(大串貝塚ふれあい公園)になっており、そこには実際に貝塚が発見されている。『常陸国風土記』の巨人伝説は、貝塚を巨人が食事をした跡に見立てて紹介した例で、日本最古の貝塚の記録である。また、このあたりにはかついてダイダラボウのアシコ(足跡)と呼ばれる池や沼が点在していた。地図で見ると貝塚のあるところから海まで 3km ほどあるようだ。これまたスケールの大きな話である。 ◆だいだらぼう(栃木県塩谷郡) 『日本の民話5』 栃木県の巨人はだいだらぼうと呼ばれ藤づるで大きな荷物をしょってやってきた。この時つまづいて転んでできた足跡が芦沼で、投げ出された荷物は羽黒山になった。ここで藤づるが切れたため羽黒山には藤が生えない。また茨城県の筑波山に越しかけて休んだ時についたのが下都賀郡大平町のあし沼だという。 ◆箱根山の天邪鬼 こちらをご覧ください ◆代田橋(東京都)
◆モッコ山(三重県)未来社『日本の民話13』 旧・阿山郡の柘植というところにある『モッコ山』はモッコという巨人が作った山だという。モッコは日本の真ん中に湖を作って東へ水を流す計画をたて、掘った土で駿河の湖を埋めた。運ぶ途中で落ちた土がモッコ山になる。駿河に運んだ土は膨大で日本一の山になった。掘った場所は琵琶湖になった。 ◆三穂太郎(岡山県)未来社『日本の民話15』 岡山のだいだらぼっちには多くの名がある。奈義では三穂太郎、蒜山原や鏡野では大人様(おおしとさま)、備中ではデーデー坊、備前では目崎太郎。この地の領主と大蛇の化身との間に生まれ、成長すると那岐山よりも背が高くたった三歩で都に着いた。死ぬと黒土になったので那岐山の麓の土は今でも黒い。 三穂太郎も地形と関係のある伝説が多い。またをひろげて立つと左足は柵原町、右足は勝央町、金玉の跡は蒔田に残った。形の定まらなかった山を固め、うっかり落とした土が二子山になり、もっこを落としてわった山が女山と男山になった。休憩で座ったのは桝形山で、お茶を挽けば茶臼山が出来た、などなど。 地名にまつわる話は土地勘がないとピンとこないが、もし現地で「あの山は太郎が足で蹴ったのであのような形に」と説明を受けたらさぞ面白いだろうなと思う。 |
◆こぼれ話◆
先日のトリビアの泉では「ひとりぼっちのぼっちはお坊さん」だなんて、くだらなくもなんともなく、ほとんど常識であたりまえなことをネタにして喜んでいたが、でーらん坊の坊を「ぼっち」にかえれば「でーらんぼっち」つまり「だいだらぼっち」のこと。筑波山の「だらだら坊」も同じもの(もしくは同じ種族)だろう。呼び名には少しずつ変化はあるものの、この巨人の伝説は日本のあちこちに残っている。 中国の神話によれば、世界は天と地が渾然一体となっており、やがて軽い物質が天に、重い物質が地になったが、天と地の間に盤古と呼ばれる巨人が生まれ、巨人が大きくなるにつれ天と地が遠くなっていったとある。 巨人の伝説は世界中にある。しかも、古い時代の物語が多いようだ。エジプトでは天の女神と地の男神をへだてる空気の神がいるというが、これも巨人の一種だろう。聖書にもネフィリムと呼ばれる巨人が出てくる。天使と人間の女の合いの子で、大洪水の時に全滅してしまった。北欧神話でも巨人は古い種族だ。でーらん坊(だいだらぼっち)も原初の世界に生まれた巨人の仲間なのかもしれない。
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