グズのバカ |
むかし、あるところにグズと呼ばれる若者が、兄さんと、年老いたおっかさんと一緒にくらしていました。 ある日、お母さんが死んでしまったので、兄さんがグズにお坊さんを呼んでくるようにいいました。
グズはお寺にすっとんで行って、
グズが鶏をつかまえようとすると、鶏はジタバタあばれて逃げてしまいました。そうして、寺の屋根まで飛び上がると、
それを聞いて、グズはすっかり腹をたてて、
グズが坊さんを連れずに帰ってきたので、仕方なく兄さんがお坊さんを呼んで来ることにしました。
兄さんが出かけると、グズはかまどに火をつけてご飯を炊きはじめました。
兄さんが帰ってみると、米は炊けていないし、グズはふてくされて寝ています。
ふたりは二階へあがり、兄さんが大きな瓶をよいしょっと持ち上げました。
米も甘酒もだめになってしまったので、坊さんには風呂をつかってもらうことにしました。そのあいだに兄さんが酒を買ってくることになり、グズは風呂の番をすることになりました。
グズは、あいよ、と返事をすると、そこらにあった布きれを燃してしまいました。
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◆こぼれ話◆
昔話には愚か者の失敗を笑いとばす話が少なくはない。現代なら一歩まちがえばイジメに発展しそうだが、お話の中には陰湿な部分はほとんどなく、人々に愛される馬鹿の姿を生き生きと伝えている。昔の人のおおらかさ、優しさの表れだと解釈すれば気持ちがいいが、実際はお荷物扱いだったんだろうなとも思う。 小説『アルジャーノンに花束を』で、精神薄弱の主人公がさんざん馬鹿にされながらも人に愛されており、手術で天才になってからは逆に以前の知り合いが遠ざかってゆくのを見ると、とても複雑な気持ちになる。見下すことを条件に成立する愛は、本当に愛なのかどうか。愚か者たちが自分の微妙な立場を理解できたとき、果たして今の立ち位置を維持しつづけたいと思うかどうか。 そのくせ、愚か者の笑い話は読んでいて面白いんだから困ったことだ。隙のない完璧な人との付き合いは得るものは多くとも気が張って疲れる。そこへゆくと、いつも愚かな失敗を繰り返すヌケ作くんとの付き合いは気楽で楽しいかもしれないのだけど…日本の昔話に出てくる愚か者たちは、一点の曇りもなく気持ちよく笑わせてくれるし。 「〜のバカ」といえば、遠い昔、愚か者の笑い話を期待してトルストイの『イワンの馬鹿』を読み始めたら、意外にもただの真面目な農夫の話だったのでガッカリした記憶がある。イワンはたしかに鈍そうだが、一度たりとも失敗していない。彼はある意味とても賢いのだと思う。そのやり方が頭で働く人とだいぶ違っているだけで…こういう男は馬鹿でもコワイ。 |
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