グズのバカ
 
 
 むかし、あるところにグズと呼ばれる若者が、兄さんと、年老いたおっかさんと一緒にくらしていました。

 ある日、お母さんが死んでしまったので、兄さんがグズにお坊さんを呼んでくるようにいいました。
「おいグズ、ひとっぱしり寺まで行ってきてくれんか」
「だけども、おら坊さんを見たことねえでのう」
「坊さんは赤い衣を着てるからすぐわかるさ」
「ふーん、そうか。赤い衣だな」

 グズはお寺にすっとんで行って、
「さあて、坊さんはどこじゃろ。赤い衣を着てなさるってことだが」
と、あたりを見まわしました。
 すると、お寺で飼っている鶏が、庭で餌をついばんでいるのが見えました。見事な赤い羽の鶏です。
「ははー、こいつが坊さんってやつか。鶏のことなら最初からそうと言ってくれりゃいいのによ」

 グズが鶏をつかまえようとすると、鶏はジタバタあばれて逃げてしまいました。そうして、寺の屋根まで飛び上がると、
「コッケタンコーウ」
とひと声鳴きました。

 それを聞いて、グズはすっかり腹をたてて、
「転けたんじゃねえ、死んだんじゃ。ええい、お前みたいに役にたたん坊主はいらん」
と叫んで、帰ってしまいました。

 グズが坊さんを連れずに帰ってきたので、仕方なく兄さんがお坊さんを呼んで来ることにしました。
「グズよ、おらが坊さんを呼んでくるから、お前は飯を炊いてくれるか」
「いいともさ」
「米はもうといである。あとはかまどに火をつけて燃すだけだ」
「わかった。おら、しっかり飯炊いておくから」

 兄さんが出かけると、グズはかまどに火をつけてご飯を炊きはじめました。
 しばらくすると、お釜の中で米が煮えて、ぐつぐつ、ぐつぐつ、音がしてきます。
 それを聞いてグズは、
「なんじゃ、この米は。黙って聞いていれば、おらのこと、グズグズグズグズ呼びやがって。米にまでグズ呼ばわりされる覚えはねえだ」
と、かんかんに怒って鍋をぶちまけてしまいました。

 兄さんが帰ってみると、米は炊けていないし、グズはふてくされて寝ています。
「なんだ、まだ米が炊けていないのか」
「だって米のやつが、おらのことグズって馬鹿にするだ」
「まあ、いいさ。坊さんには甘酒をさしあげよう。瓶を二階からおろすから、お前ちょっと手伝ってくれ」

 ふたりは二階へあがり、兄さんが大きな瓶をよいしょっと持ち上げました。
「いいか、グズ。お前は尻を持つんだぞ」
 グズがあいよと返事をしたので、兄さんは瓶を持つ手をゆるめました。
 するとどうでしょう。瓶は階段を転げ落ちて、ばっしゃーんと割れてしまいました。
「おい、グズ。なんで手をはなすだ。尻を持てと言ったじゃないか」
「おらちゃんと尻持ってるだ」
 見ると、グズは自分の尻を持っていました。

 米も甘酒もだめになってしまったので、坊さんには風呂をつかってもらうことにしました。そのあいだに兄さんが酒を買ってくることになり、グズは風呂の番をすることになりました。
「おーい、坊さん。湯加減はどうじゃ」
「ちとぬるいのう。そこらのものを焚いておくれ」

 グズは、あいよ、と返事をすると、そこらにあった布きれを燃してしまいました。
 坊さんが出てくると、着物がなくなっているので、
「おや、わしの着物はどうしたかのう。ここにおいといたんじゃが」
といいました。
 するとグズは、
「ああ、そこにあった布きれなら、風呂がぬるいとおっしゃるだで、おらが火にくべてしまっただ」
と言いましたとさ。
 

◆こぼれ話◆
 
 昔話には愚か者の失敗を笑いとばす話が少なくはない。現代なら一歩まちがえばイジメに発展しそうだが、お話の中には陰湿な部分はほとんどなく、人々に愛される馬鹿の姿を生き生きと伝えている。昔の人のおおらかさ、優しさの表れだと解釈すれば気持ちがいいが、実際はお荷物扱いだったんだろうなとも思う。

 小説『アルジャーノンに花束を』で、精神薄弱の主人公がさんざん馬鹿にされながらも人に愛されており、手術で天才になってからは逆に以前の知り合いが遠ざかってゆくのを見ると、とても複雑な気持ちになる。見下すことを条件に成立する愛は、本当に愛なのかどうか。愚か者たちが自分の微妙な立場を理解できたとき、果たして今の立ち位置を維持しつづけたいと思うかどうか。

 そのくせ、愚か者の笑い話は読んでいて面白いんだから困ったことだ。隙のない完璧な人との付き合いは得るものは多くとも気が張って疲れる。そこへゆくと、いつも愚かな失敗を繰り返すヌケ作くんとの付き合いは気楽で楽しいかもしれないのだけど…日本の昔話に出てくる愚か者たちは、一点の曇りもなく気持ちよく笑わせてくれるし。

 「〜のバカ」といえば、遠い昔、愚か者の笑い話を期待してトルストイの『イワンの馬鹿』を読み始めたら、意外にもただの真面目な農夫の話だったのでガッカリした記憶がある。イワンはたしかに鈍そうだが、一度たりとも失敗していない。彼はある意味とても賢いのだと思う。そのやり方が頭で働く人とだいぶ違っているだけで…こういう男は馬鹿でもコワイ。

 
目次珍獣の館山海経博物誌直前に見たページ