花咲爺
 
 
■花咲爺(はなさかじじい)

 むかし、あるところに、正直もののお爺さんがおりました。お爺さんは犬が大好きで、どこへ行くにも犬をつれて行き、大事に育てておりました。

 ある日、お爺さんの犬が裏の畑ではげしく鳴いています。
「ここ掘れ、わんわん。ここ掘れ、わんわん」
犬の声は、たしかにそんなふうに聞こえます。

 お爺さんは鍬(くわ)をとってきて、犬が鳴いている場所を掘ってみました。するとどうでしょう、土の中から大判小判がザックザックと出てくるではありませんか。正直爺さんはたちまち大金持ちになりました。

 ところで、お爺さんの家のとなりには、もうひとりお爺さんが住んでいます。こちらは心のねじまがった、意地悪なお爺さんでした。いつも自分のことばかり考えて、自分だけがいい目を見ればそれでいいという人でした。

 そんな人ですがら、おとなりさんがお金持ちになったのがくやしくてたまりません。そこで、正直もののお爺さんの家にでかけていって、
「ちょっくら、その犬さ貸してくれろ」
と、返事も聞かずに犬を借りてきてしまいました。

 そうして、自分の畑に犬を引っ張っていって、
「さあ鳴け、鳴いて宝の場所を教えんかい」
と、犬をどやしたり、つついたりしたので、犬はしかたがなく、
「ここ掘れ、わんわん。ここ掘れ、わんわん」
と、鳴きました。

 これでわしも大金持ちじゃとほくそ笑みながら、いじわる爺さんが掘ってみると、土からでてきたのは瓦や茶碗のかけらばかりです。いじわる爺さんは腹をたてて、犬をたたき殺してしまいました。

 さて、正直もののお爺さんはというと、いつまでも犬がかえってこないので、となりの家まで迎えに来ました。
「そろそろわしの犬を返してくれんかいのう」

 すると、いじわる爺さんは不機嫌そうに言いました。
「犬なら死んだ。裏庭にすててある」

 正直もののお爺さんがあわてて裏庭にとんでいくと、かわいがっていた犬がもう動かなくなっているのでした。

 お爺さんは犬のなきがらをつれてかえり、庭に埋めてやりました。すると、そこから木が生えてきて、あっと言う間に見上げるほどの大木になりました。お爺さんがその木で臼をつくって餅をつくと、ぺたんとつくごとに小判がざりんとでてきます。もうひとつきすると、またざりん。つけばつくほど小判が出てくるので、お爺さんはますます裕福になりました。

 そこへまたもや、あのいじわる爺さんがやってきて、自分にも臼を貸してほしいと言いました。正直なお爺さんはことわりきれずに臼を貸してしまいました。

 ところが、いじわる爺さんがいくら餅をついても、その臼からは小判がでてきません。それどころか、虫けらがぞろぞろ出てきていじわる爺さんの家をはいまわります。怒った爺さんは臼をたたき割ってかまどにくべてしまいました。

 正直もののお爺さんが様子を見に来ると、臼はすでに灰になったあとでした。犬のお墓からはえてきた木でつくった臼ですから、お爺さんにとっては犬の生まれ変わりとおんなじでした。灰になってしまったのならそれでもいいからといって、かまどから灰をあつめて大事に家まで持ち帰ろうとしました。

 その途中で、大風がびゅーっと吹いてきて、灰がまいあがって枯れ木にふりかかりました。すると、今までつぼみひとつついていなかった木がいっせいに花をさかせたのです。

 そこへお殿さまの行列がとおりがかり、見事な花盛りを見て大喜び。あっぱれ枯れ木に花をさかせる花咲爺と言って、お爺さんにご褒美をたくさんくれました。

 これを見たいじわる爺さんは、もうくやしくてたまりません。次の火、自分の家のかまどに残っている灰をかきあつめて、お殿さまの行列の前にすすみ出ました。

「枯れ木に花をさかせる花咲爺でございます」
「おお、昨日の爺か、今日も見事にさかせてみせよ」

 そこでいじわる爺さんは枯れ木にのぼって盛大に灰をふりまきました。けれどもいじわる爺さんの灰では花が咲きません。殿さまの頭にかかり、目に入って、もう大変な騒ぎになってしまいました。

「ええい、無礼者。そのほう偽物であろう!」

 殿さまはカンカンに怒って、家来に命じていじわる爺さんを斬り殺してしまいましたとさ。
 

■ここ掘れ、ごっごく

 あるところに正直なお婆さんがいました。ある日、お婆さんの犬が、裏庭で「ここ掘れ、ごっごく」と鳴くので掘ってみると、宝物がざくざく出てきました。

 お婆さんが急に大金持ちになったので、となりの婆さんが様子を見に来ました。犬に宝のありかを教えられたのだと聞くと、自分もやってみるからといって、犬を連れて行ってしまいました。

 ところが、となりのお婆さんがいくら犬をけしかけても犬はほえません。しかたなく手当たりしだい、あちこち掘り返してみましたが、宝物は出てきませんでした。怒った婆さんは犬を殺してしまいました。

 正直もののお婆さんは、涙ながらに犬をつれてかえって葬りました。すると、犬の墓からタケノコがはえてきて、ずんずん大きくなりました。あまりどこまでものびていくので、ついに天竺の金倉をつきやぶってしまいました。おかげでお婆さんの家には、天から大判小判がざらざらふってくるようになりました。

 それを聞いたとなりの婆さんは、タケノコを盗んで自分の家に植えました。その竹もどんどんのびて、ついに天竺までとどきましたが、金倉ではなく、雪隠(便所)の床をつきやぶってしまったので、婆さんの家には糞(くそ)が落ちてくるようになりました。
 

◆こぼれ話◆

 正直ものが成功して、心の曲がったものが損をするという部分は日本の昔話にありがちな部分だが、大木のまわりであるものが犠牲になり富や成功をもたらすという切り方をするとまた別もものが見えてくるし、世界各地に似たようなお話がありそうだ。

 たとえばこれはアフリカはガーナのアシャンティー族の昔話。椰子の木のまわりで若い男女が犠牲になったおかげで美しい顔立ちの人と、そうでない人ができたというお話。

 世界の最初の頃に、一本の椰子の木が生えていた。この木は知恵の木で、困ったことがあるとここへ行ってお祈りすると解決すると言われていた。大事な木なのでむやみに上ってはいけないと禁じられていた。若者がこの木に登ったところ、椰子の実がぱっくり割れてわかものを飲み込み、そのまま閉じてしまった。恋人がやってきて椰子の木におわびをして若者を出してもらったが、喜んで抱き合ったふたりは油のようにとけてしまった。それを見に来た村人が、油をすくって顔にぬると美しくなり、ぬらなかった人は美しくなれなかった。
 ほかに、北欧神話では世界の中心にユグドラシルという大木があって、偉大な神オーディンが自らを木に吊して苦行をすることで知恵をえたというお話などもこの仲間ではないかと思う。

 そういえばイザナギ・イザナミの神話でも、最初にしたことは大きな柱を立てることで、これを大木に見立てると、最初に生まれた淡島と水蛭子ができそこないだったので捨てられたというのが犠牲で、そのあとに生まれてくる沢山の神々が成功ということになりそうである。

 「猿蟹合戦」で、蟹が柿の木の下で殺されるのもこの話の仲間で、つぶれた蟹の腹から出てきたこどもたちが、臼・蜂・栗とともに立派に仇討ちをするというのが成功にあたる。ここでの猿は、鬼と言えば無条件で悪いのと同じような悪の象徴になっていて、猿を倒すために親蟹が犠牲になったとも考えられるわけだ。

 漫画家の諸星大二郎は「瓜子姫」との共通点も指摘していたように思う。瓜子姫は天邪鬼にだまされて柿の木から落とされる、あるいは吊されて殺されてしまう。この話の最後にもたらされる富がなんなのか昔はよくわからなかったが、瓜子姫が殺されたことで天邪鬼が退治されるのだから、大木と犠牲に対する成功がきちんと成立している。

 大木・犠牲・富(成功)の物語は、探し始めると昔話を読むのが楽しくなるのでぜひお試しを。

 
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