桑名屋徳蔵 |
桑名屋徳蔵は大阪の船頭で、北前船を操らせたら天下一と言われていました。北前船というのは関西と北海道をむすぶ日本海まわりの商船です。米や酒や砂糖などを北へ運び、北からは昆布やニシンを積んで戻ってくるのです。 船の旅といっても昔は今ほど楽じゃありません。木造の小さな帆船に、これ以上積んだら沈んでしまうというところまで荷物を詰めて船を出します。もっと大きな船を造れたらよかったのですが、当時は鎖国中でしたから、人々が勝手に外国へ行かないよう、大きな船を造ってはいけなかったのです。 そんな状態ですから嵐でも来れば船はたちまち転覆して沈んでしまいます。海の地形をよく知っていて、波や風を読むのがうまい船頭は本当に貴重な存在でした。 海で恐いものは嵐ばかりではありません。
恐いもの ある雨の夜のことです。
普通の人ならおびえてうまく答えられないかもしれません。
鼻の下一寸四方というのは口のことです。口は災いのもとだなんてことを言いますよね。
徳蔵がそういうと、海坊主は「ほう、そうかい」と言って消えてしまいました。
幻の山 真夜中に船を走らせていると、何もない海の上に、大きな山が現れました。船乗りたちは航路をまちがえたのだと思い、あわてて梶をきり山をさけようとしました。 ところが、徳蔵だけは平然として、
山はどんどん近づいてきます。
ところが、もう少しで衝突するというところまで来ると、急に山が消えてしまいました。
徳蔵は海の地形をよく知っていて、いつも星を見て船の位置を確認していましたから、こんなところに山があるはずはないと知っていたのです。
北極星も動いている 徳蔵は度胸があり頭も切れる男でしたが、徳蔵の妻も賢い人でした。夫が海に出ているときは、家で機織りをしながら星を見て、夫の無事な帰りを祈っていました。 ある夜、北の窓から子の星(北極星)を見ていると、さっきまで見えていた星が窓の格子にかくれて見えなくなっているのに気づきました。 太陽や月が東からのぼって西へ沈むように、星も西へむかって少しずつ動いています。けれど子の星だけは北の空の中心にあって絶対に動かないと信じられていました。 それがもし動いているとしたら大変な発見です。夫の仕事にも役にたつかもしれないと思い、観察してみることにしました。 まず座る場所を決めて窓格子のどこの隙間に子の星が見えるか確認します。もし子の星が動いているなら、一晩中見ていれば星は別の隙間へ移動して見えるでしょう。途中で眠ってしまわないように、水をはった大きなたらいの中に座って星を見続けました。 すると、思ったとおり子の星は少しずつ動いていました。ほんのわずかですが天の中心からはずれていて、ほかの星と同じように円を描いてまわっているのです。 徳蔵は妻からその話を聞いて、誰よりも正確に船を走らせることができたということです。
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◆こぼれ話◆
妖怪というのは不思議なもので、おびえている人のことは取り殺せても、平然としている相手には手を出せないらしい。 たとえば のびあがり とか 見上げ入道 などと呼ばれる妖怪がいる。目の前に大男が現れるのでびっくりして見上げると、その妖怪はどんどん背が高くなってゆく。そのまま見つめていると場合によっては取り殺されてしまう。しかし、
長いこと海の上にいると気がおかしくなることがあるというが、海坊主も気の迷いのようなものかもしれない。あわてなければ大丈夫だということを徳蔵はよく知っていたのだろう。 「鼻の下一寸四方」の部分を「身過ぎ(生きて行くこと)」とする話もある。水木しげる氏も言っているが、いちばん恐いのは人間だ、なんてことを言う者には妖怪は見えないらしい。徳蔵の現実的な性格に海坊主も付けいる隙がなかったということか。
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