仁王と賀王
 
■仁王と賀王
 仁王さんは唐の国の賀王と力比べをするために海を渡った。あいにく賀王は留守で奥方が家に入れてくれた。家の中には鉄の柱が二本あり賀王の火箸だということだった。こんなものを指先で扱うようなヤツとは戦えないと、仁王さんはいちもくさんに逃げ出した。
 

■仁王と十王(鹿児島県川内市)
 薩摩の国には仁王さん、唐の国には十王さんという人がいた。仁王さんは母親から「いよいよ命があぶない時にあけなさい」と箱をもらって唐の国へ行き、十王さんと勝負をすることになった。

 十王の家では親切に風呂をすすめられたが、湯船が外にあったので、雨が降ってくるとあわててしまわなければならないのだった。仁王さんが風呂に入ってると雨が降ってきて、十王さんの奥方が仁王さんの入った湯船をひょいと持ち上げて縁側にのせた。奥さんですらこの怪力、十王はどれほどの怪力かと思うと仁王さんは不安で仕方がなかった。

 翌日、とうとう仁王さんと十王さんが相撲をとることになって、仁王さんは先手必勝とばかりに十王さんを投げ飛ばした。十王さんが土の中に八尺(2.4メートル)ほどめり込んだのを見て、仁王さんはすっかり勝った気になって船に乗って逃げた。

 すると十王さんが金の鎖の先にいかりをつけて船めがけて投げつけた。いかりは船にひっかかって、どうしてもはずれない。仁王さんは今度こそ終わりだと思って母親からもらった箱をあけた。中にはヤスリが入っていた。ヤスリで鎖をすり切ると、十王さんは仁王さんが自分の歯で鎖を切ったのだと思い、なんて歯の強い男だろうと驚いた。
 

 仁王さんはやっとの思いで薩摩に帰り着いた。ヤスリの入っていた箱は開けずの箱と呼ばれ、今でも新田神社の宝物とされている。
 

■仁王と十死(宮崎県)
 むかし、日本でいちばん偉いのは仁王さんで、支那でいちばん偉いのは十死さんだった。

 ある日、力比べをしようとして、仁王さんが支那へでかけていくと、ちょうど十死さんが山からかえってくるところで、肩にはおおきな松の木を根こそぎひっこぬいて担いでいるのだった。

 こんな強い男と戦ったら命はないと思って、仁王さんはあわてて船にのって逃げようとしたが、十死さんは縄のついた船釘を打ち込んでたぐりよせようとするので逃げられない。あわてた仁王さんは持っていたヤスリで船釘を八回すると釘が壊れた。ヤスリという言葉はこのときに出来たと言われている。

 こうして逃げ帰った仁王さんだったが、十死さんはまだ追いかけてくる。仁王さんはお寺に駆け込んで、
「観音様、お助けください。命があったら一生あなたさまの門番をつとめます」
と祈りつづけた。

 すると観音様のお告げがあって「井戸のやぐらに上って石を投げ込みなさい」というので、仁王さんがやぐらの上で待っていると、十死さんがやってくるので石をどぼんと投げ込んだ。

 十王さんは仁王さんが井戸に飛び込んだものと思いこんでのぞいてみると、たしかに水の中に仁王さんの顔が見える。今度こそ逃がさないぞと十死さんは井戸に飛び込んだ。仁王さんは大急ぎでやぐらから降りて、井戸に土をたくさん投げ込んで十死さんを埋めてしまった。

 それからと言うもの、仁王さんは観音様の門番をやるようになった。今でもお寺の門に仁王さんの像があるのはそのためである。

 
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