海だった盆地
 
 
◆甲府盆地 未来社『日本の民話8』
 むかし甲府盆地は大きな湖だった。そこで稲積地蔵さまが山の一部を手で崩して水を抜こうとしたがうまくいかなかった。見かねた蹴裂明神が山を蹴り崩し、穴切明神が大木を抜いて穴を掘り、甲府の水を富士川に流した。おかげで盆地に人が住むようになった。
 

◆沼田の里(群馬県沼田市) 未来社『日本の民話8』
 むかし、利根川が戸鹿野(とがの)のあたりでせき止められていて、沼田市や利根郡のあたりは大きな湖の底にありました。北は武尊
山(ほたかさん)の裾野から、西は子持山、南は赤城山まですっかり水がたまっていたのです。赤城の峯に「船ガ鼻」と呼ばれるところがありますが、そこは昔、船着場だったところです。

 推古天皇の御世に、都から大仁鳥の臣(おおにとりのおみ)という人がやってきて、この土地から水を抜いて田んぼにしたいと考えました。そこで、利根川をせき止めている戸鹿野の滝岩を切り開くことにしたのですが、この湖に住む龍が暴れて嵐を呼ぶので工事が進みません。

 けれども、大仁鳥の臣は神に祈りながら作業を続け、ついに高さ二十丈、厚さ百歩という戸鹿野の滝岩を切り崩し、湖の水を南のほうへ落としたのです。

 このときできた土地が、沼田、師(もろ)、真庭、庄田、政所(まんどころ)、忍田(おくだ)、硯田(すずりだ)、下田などです。沼田の館原というところは、大仁鳥の臣が館を構えた場所だそうです。
 
◆鶏と白蛇の話(福島盆地) 未来社『日本の民話3』
 福島市旭町、信夫山のふもとにあたる場所は、かつては湖だったが農地を増やすために水を抜いてしまった。湖にすんでいた白蛇が眷族のヒヨコたちをつれて天にのぼると雨が降らなくなり百日咳が流行した。子供が咳をしている家の外にはヒヨコがいて、咳のような声で鳴いていたという。水雲神社を作って水神をまつると雨がふり流行り病も治まった。
# 信達平野(しんたつへいや)湖説話のひとつ。

 
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