豆腐屋のなぞかけ
 
 
 その寺の和尚さんは謎かけが苦手だった。

 ある日、寺に雲水さんがやってきた。
 雲水というのは旅をしながら修行しているお坊さんのことだ。
 この雲水さんは、行く先々で謎かけをしては、自分の知恵をためしているのだった。

 雲水さんは和尚さんの顔を見ると、いきなり指で丸をつくって見せた。
 これは無言の謎かけというやつで、言葉を使わず、身振り手振りで語り合わなければならないのだ。

 和尚さんは、何食わぬ顔で「しばしまたれよ」と答えて奥へ引っ込んでしまった。

「こりゃ困ったのう。あの雲水は『日輪は?』とたずねておるのだろうが、どう答えていいやらサッパリわからん。
 わしが相手をしたんじゃ簡単に負けてしまう。誰か代わりをしてくれる者はおらんかのう」

 和尚さんが困っていると、豆腐屋さんがやってきた。
 この豆腐屋さんは、なかなか知恵が回ると村でも評判の男だった。

「おや、豆腐屋さん、いいところに来てくれた。
 実はかくかくしかじかというわけで、わしのかわりに謎かけに答えてくれんかのう」

「へえ、あっしでよければやってみやしょう」

 そこで豆腐屋さんは表へ出て行って雲水さんに挨拶をした。

「当寺住職の弟子でございます。私がお相手させていただきましょう」

 雲水さんは、だまってうなずくと、片手の指で丸を作って見せた。これは「日輪は?」という問いである。
 これを見た豆腐屋さんは、両手の指で大きな丸を作って見せた。

 すると雲水さんは少し驚いた顔をした。豆腐屋さんの答えを「世界を照らす」という意味だと思いこんだのだ。
 次に雲水さんは指を十本出した。これは「十方は」という問いである。十方というのは、東・西・南・北と、東南・東北・西南・西北と、上・下の方角すべてという意味である。

 これを見た豆腐屋さんは五本出した。
 雲水さんはすっかり感心してしまった。豆腐屋さんの答えを「五戒で保つ」という意味に解釈したのである。仏さまが決めた五つの戒め(いましめ)を守っていれば、世界は安泰だという意味だ。

 最後に雲水さんが指を三本出した。「三千世界は?」という問いである。仏さまがお救いになる、無数の世界とはどういうものかとたずねたのだ。
 すると、豆腐屋はあかんべーをした。
 雲水さんはこの答えを「三千世界は目の中にあり」と解釈した。どんなに数多くとも、仏さまはその目ですべてを見通してお救い下さるというわけだ。
 これには雲水さんもすっかり降参して血相をかえて逃げてしまった。

 この様子を見ていた和尚さんは、何がなんだかさっぱりわからず、
「一体なにを語り合ったんだね」
と、たずねた。

 すると豆腐屋さんは、
「雲水のやつ、お前の豆腐はこれっぱかしの大きさかって、片手で丸をつくりやがったんでさぁ。
 だからあっしは、両手でこんなふうにして、このくらいだって答えてやったんですよ。

 するとヤツは、両手の指を出して十文かって聞きやがる。
 てやんでぇ、うちは安くて美味いのが自慢の店よ。豆腐が十文もしてたまるか、五文でぇ、と片手の指を出したってわけでさあ。

 するとヤツは、指を三本出して三文にしろって言いやがった。
 あんまりむかついたんで、あかんべーをしてやったら逃げていっちまいましたよ」

 和尚さんはこれを聞いて、豆腐屋も雲水も、なんと知恵のまわることかと驚いた。
 

◆こぼれ話◆

 話自体はおもしろいのだが、謎かけの解釈がむずかしすぎて、普通に読んできかせても面白くはなさそう。そもそも、書いてるわたくしも雲水の謎の本当の意味がよくわからない。
 参考にした本には、雲水がこのやりとりを

Q「(片手で丸をつくり)日輪は?」
A「(両手で丸をつくり)世界を照らす」

Q「(両手の指を出し)十方は?」
A「(片手の指を出し)五戒で保つ」

Q「(指を三本出し)ならば三千世界は?」
A「(あかんべーをして)目の中にあり」

と解釈したとだけ書いてあって、なぜ三千世界が目の中にあるのかは説明されていなかった。しかし、あまりにも意味が通らないので適当に解釈を書き加えてみたのだが、実際のところこれでいいのかどうか。

 おそらく、謎解きの解釈はどうでもよくて、雲水と豆腐屋の身振り手振りを大げさに真似てみせるのがこの話の面白いところなのかもしれない。かなりの演技力を要求される難しいお話だと思う。これで聞き手を喜ばせられたら、あなたは立派な語り名人。
 

 
目次珍獣の館山海経博物誌直前に見たページ