売ります買います
 
 
 むかし、信州の佐久というところに、湊屋さんという大きな店があったとよ。何百年もつづいた老舗でのう。米や味噌や醤油を商っていたんだと。

 ところが、おりからの不景気で商売がたちいかなくなってのう。このままじゃ店がつぶれるというので、湊屋の旦那さんは商売にごまかしをするようになったんだと。

 旦那のしたごまかしというのは、特別な升(ます)を使うやりかただった。

 見た目は普通でちょっとだけ大きな升(ます)と、ちょっとだけ小さな升を作らせて、問屋さんから仕入れる時は大きな升を使い、お客さんに売る時には小さい升で売った。

 ほんの少しのごまかしだったから、最初のうちは誰も気づかなかったと。湊屋さんはいつもと同じ代金でいつもより少し多めに商品を仕入れて、売る時はその逆に、いつもより少なめの商品をいつもと同じ値段でお客さんに売ったとよ。

 こんなズルをしていたら儲かるのがあたりまえ。かたむきかけた商売は、次第にもちなおしてきたんだと。湊屋さんは小さい升を「売ります」大きいのを「買います」と名づけて大事にしておったと。

 けれど、こんな小ずるい商売がいつまでもつづくわけがない。
「湊屋で買った米は減りが早いな」
「味噌も醤油も、よそで買うのより少ないわ」
と、悪い評判がたってお客がよりつかなくなった。
 問屋のほうでもうすうすカラクリに感づいて、湊屋には品物をおろしてくれなくなったんだと。商売は前よりひどくなり、にっちもさっちもいかなくなってしまったと。

 ところで、湊屋の旦那さんには息子がおってのう。隣町の長者さんの家から迎えた若いお嫁さんがおった。この嫁はなかなか知恵があって、商売がうまくいかないわけを考えているうちに、売り升と買い升のカラクリに気づいたんだと。

 こんな商売をつづけていたら何百年もつづいたお店がつぶれてしまう。さりとて、正面きって「ごまかしをやめてくれ」とは言いにくいから、嫁は理由も言わずに里へ帰ってしまった。

 これには湊屋さんも大あわて。嫁に逃げられたとあっては世間体も悪いというので、なんとかわけをきいて連れ戻してくれるよう、仲人にたのんだんだと。

 仲人さんだって、自分がひきあわせた夫婦がうまくいかないとあっちゃ体面がたたないから、お嫁さんの郷里へすっとんでいって、いったい何が気に入らないのかとわけを聞いてみたんだと。

 すると、お嫁さんは神妙な顔をして、
「おら、湊屋さんではほんとうによくしてもらった。嫁であるおらが真っ先に働かなきゃならないところを、お前はなんの心配もいらないよと、毎日楽させてもらって本当に申しわけねえ」
と言うんだと。

 これを聞いた仲人さんは、なんていい嫁だろうとすっかり感心してのう。湊屋さんもお前にはどうしても戻ってほしいとおっしゃっているから、なんとか帰ってくれないかと頭をさげてたのむんだと。

 すると嫁はにっこり笑ってこう言った。
「どうしてもというのなら、これからはお父さん、お母さんには楽をしてもらいてえ。おらが遊んでてもしょうがないから、これからは店の番頭としてやらしてもらいてえだ」

 もっと楽をさせろという嫁はいくらでもいるのに、働きたいというものをことわる理由はない。仲人さんは「よしわかった」と返事をして、湊屋さんに話をつけにいったと。

 こうして嫁は帰ってくることになったけど、湊屋の旦那さんはすっかり弱ってしまった。嫁に商売をまかせたら、ごまかしのカラクリを知られてしまう。あわてて売り升と買い升を火にくべてしまおうとしたんだと。

 ところが嫁は素知らぬ顔で
「焼いてしまうのはもったいない。おらが大事につかうだ」
といってきかない。とうとう、湊屋さんは売り升と買い升を嫁にわたしてしまったんだと。

 お嫁さんは売り升と買い升を手にとって、これはほんとによくできた升だと感心したんだと。見たは普通の升とちっともかわらない。だのに、ちゃんとはかりくらべて見ると、売り升はほんの少し小さくて、買い升はほんの少し大きい。

 そこでお嫁さんは、これまでとは逆に、小さな売り升で買い、大きな買い升で売るようにした。これだと店が少しずつ損をする計算になる。そんなことをしたらたちまち破産してしまうと湊屋の旦那さんは気が気でなかった。

 ところが、どうしたことか商売は大繁盛。
 湊屋は嫁の代になってからたいそう勉強するようになったと、次から次へとお客さんがやってくる。
 こうなると問屋さんのほうでもこちらから呼ぶ前にやってきて、町で評判の湊屋さんでぜひ使ってほしいと、品物をいつもより安くおろしてくれるようになったんだと。

 店はすっかりもちなおし、前よりずっと儲けるようになったということじゃ。 
 

 
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