犬の目印
 
 
 飛行機も汽車もなかった時代には、旅をするのもたいへんでした。身分のたかい人なら馬にのったりすることもありますが、ふつうの人は自分の足であるくしかありません。ですから、自分の村から一度も出ずに一生をおえる人もいたことでしょう。

 ある人が、せめて一度くらいは都見物をしてみようと、お金をためて旅にでることにしました。ここでは名前を権兵衛さんということにしておきましょう。

 はじめて見る京の都は田舎とはくらべものにならないほどにぎやかでした。たくさんの人が行き来していますし、おおきな建物が整然とならんでいるので、うっかりすると道にまよいそうになります。権兵衛さんはどうしていいかわからず、とにかく目についた宿にとまることにしました。

 部屋で一息ついていると、女中さんがきていいました。
「お客さん、今日はてんきもいいですから、近くの橋をみにいかれたらどうですか。そりゃあきれいな橋なんですよ」

 すると権兵衛さん、どうしても橋がみたくなり、さっそくでかけることにしました。けれど、自分の宿をわすれるとたいへんです。権兵衛さんはあたりを見まわして、宿屋の庭先に犬がねているのをみつけました。
「よっしゃ、このわん公を目印にもどってくりゃまちがいない」

 そうして権兵衛さんは橋を見物してから宿にもどろうとしました。
 ところがどうでしょう。どこをさがしても犬がいないのです。
「まいったなあ、このあたりだと思ったんだが。おーい、わん公、どこさいるだ」

 犬をさがして歩きまわっているうちに夜になり、けっきょく宿にもどれないうちに夜があけてしまいましたとさ。
 

 
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