小さな神様
 
 
小さな神様

 むかしむかし、大国主(おおくにぬし)という神さまが日本をおさめていたころ、海のむこうから親指ほどの小さな人がやってきました。ガガイモの殻をふねにして、蛾の皮をはいでつくった着物をきていました。

 人々は、この小さい人が何ものなのかわからず、追いかえすべきなのか、もてなすべきなのかまよっていました。

 そこで、もの知りのたにくぐ(ひきがえる)にきいてみると、
「それなら、くえびこ(かかし)にきいてみるといいよ。あいつは畑のまんなかで一日中たちつくして、なんでも見ているから知らないことなんかないはずだ」
と、いいました。

 それで、くえびこのところへ行ってきいてみると
「ふむふむ、それはスクナヒコナの神さまだろうよ。小さいけれど、たいへんかしこい神さまだから、そそうのないようにおむかえしたほうがいいね」

 スクナヒコナの神はものしりで、畑のたがやしかたや、病気にきく薬草のことなど、なんでもよく知っていました。
 

意地のはりあい

 ある日、ふたりの神さまはつまらないことで喧嘩をしました。
「埴(はに)の荷物をかついで行くのと、屎(くそ)をしないで遠くまで行くのと、どちらが簡単だろうね」
というのです。

 大国主の神さま屎をしないほうが簡単だといいました。
 スクナヒコナの神さまは埴土をかついで行くほうが簡単だといいました。
 ふたりとも自分の考えをけっしてまげようとはしませんでした。
 そこでふたりは実際にやってみることにしました。

 大国主の神さまは屎をしないで旅をつづけました。スクナヒコナの神さまは重い埴土をせおって旅をつづけました。

 そうやって何日も歩いているうちに、大国主の神さまが立ち止まって
「もうがまんできない。この勝負はわたしの負けだよ」
といいながら、お尻をまくって屎をしました。

 すると、道ばたに生えていた笹の葉が屎をはじいて神さまの着物をよごしてしまいました。それでこの場所を波自加(はじか)の村と言うようになりました。

 スクナヒコナの神さまはそれを見て笑いました。
「本当のことをいうと、わたしも苦しかったんだよ」
そういって、かついでいた埴土を投げすてました。それでこの場所を埴岡と呼ぶようになったそうです。
 

お別れ

 大国主の神は、スクナヒコナの神と兄弟のように仲よくなって、ふたりで国をおさめていました。

 ところがある日、スクナヒコナの神は、きゅうに旅に出るといいました。そして、よくしなるアワの穂をバネにして、遠くへとんでいってしまいました。
 

◆こぼれ話◆
  最近気づいたことなのだが、スクナヒコナ漂着の伝説は、養蚕の伝来を伝えているのではないかと思う。カプセルのような形の舟(うつぼ舟)で流れてきた貴人が蚕に生まれ変わる話がいくつかあるが、その古い形がスクナヒコナ伝説なのではないだろうか。スクナヒコナが身につけている蛾の皮というのは、蚕の繭から作る絹のことを言っているように思えるし、ガガイモの舟というのもうつぼ舟と通じるものがある。

 野生の蚕は日本にもいるが、養蚕に使う蚕とは染色体の数が違うそうだ。一方、中国にいる野生の蚕は飼われている蚕と染色体の数が同じだそうで、このことからも養蚕は大陸から伝わった技術だと考えられている。

 古代のことだから、平和的な方法で技術交流をしたのではなく、戦争で連れてきた捕虜から技術を習ったとか、何かの理由で国を追われた高貴な人たちが小さな丸木船に乗って日本に漂着して技術を伝えたとか、そんな物語を想像する。後者の例はまさにスクナヒコナ伝説そのものだ。

 なお、小さな神さまがガガイモの舟に乗り、蛾の皮の着物を着て漂着する話は『古事記』に出てくる。蛾の皮という部分は原文では鵝の皮となっていて、文字通りに読めばガチョウの皮ということになる。しかし、ガガイモの殻の舟に乗るほど小さな人ならば、ガチョウの皮ではサイズが合わない。蛾の皮とするのが適当だと考えられている。

 また、愉快な意地の張り合いは『播磨国風土記』に出てくる話である。

 
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