くわしや切り民部
 
 
 安中市の昔話。
 安中の殿さまの家来に渡辺民部左衛門という男がいた。
 ある日、殿さまの娘が亡くなった。弔いの日は朝からよい天気だったが、お寺に向かう途中で空模様がおかしくなった。

 やがて生ぬるい風がふいてくると雷が鳴り始め、空から黒いものが落ちてきて姫君の棺にとりついた。葬列を守っていた民部が刀で切りつけると、黒いものは叫び声をあげて逃げていった。

 人の死体を食う「くわしや」という化け物の仕業である。それにつけても民部の太刀筋の見事なことよと人々は褒めそやした。

 それから数年後、民部は急に体をこわし、草津温泉に湯治にでかけた。
 民部が湯につかっていると、額に傷のある山伏が現れて、となりで湯につかりはじめた。

 山伏が言うには
「わたしは昔、若い娘の死骸をさらってやろうとしたのですが、ある武士に切りつけられてこのような傷を負ってしまいました。あの時の武士の顔…決して忘れはすまい。必ずや仇をとってやるつもりです」
そう言って、山伏は民部の顔をにらんだ。

 このことがあってから、民部の具合は急に悪くなり、そのまま寝こんで死んでしまったということだ。
 

◆こぼれ話◆

 「くわしや」というのは、火車(かしゃ)の古い表記ではないかと思う。水木しげるの本に「突然現れて死体を棺桶からうばう化け物もいる。火車といって猪と狼をまぜたような顔をしている。火を出すから近寄れない。ひとふきの風とともに現れる」とある。
 『本草綱目啓蒙』という江戸時代の本に「葬送の時に現れる。現れる時は疾風と急な雷をともない、人々が大騒ぎをしている間に棺の中の屍を持ち去る。棺そのものには異変がないので開けてみるまで誰も気づかない。持ち去られた死体は山中の木の枝や岩の上に放置されていることがある」と書かれている。
 魍魎(もうりょう)と呼ばれる化け物と同じものだと言われている。

 宮崎県の昔話によれば、火車は猫の化け物だともいわれている。

 猫ぎらいの老婆が死んで葬式を出そうとしたら、一天にわかにかき曇り、棺桶が急に軽くなった。あけてみると老婆の死体がなくなっていた。見れば人がどうやっても上れないような高い木のてっぺんに死体がひっかかっている。坊さんにお経をあげてもらうと遺体が落ちてきたので、やっと葬式を終えることができた。村人たちは「火車は猫のたたり」「死人の枕元に猫を通してはならない。赤熊(しゃぐま)の毛で追っ払え」などと話した。
 
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