もととり山 |
むかし、越中富山の礪波のあたりに「もととり山」というのがあた。 もととり山の奥深く、山肌にぽっかり口をあいた洞窟がありました。
村の人たちは、法事や結婚式で大勢人が集まって、お膳が足りなくなると、この洞窟へやってきます。足りない数を紙に書いて洞窟の入り口にはっておくと、翌日にはほしい数だけのお膳がそろっていました。 ある時、村の男がお膳を借りて、そのまま返さずにおきました。 まもなく村人たちは、張り紙をしてもお膳が出てこなくなったことに気づきました。誰かがお膳をかえさなかったのだろうと、村中で犯人をさがしましたが、どうしてもわかりません。 「悪いことをすれば必ずバチがあたる。下手人はおのずとみつかるだろうよ」 人々はそう話しあってあきらめました。 ところが犯人の家にはバチがあたるどころか良いことばかりがつづきます。長いことめぐまれなかった跡取り息子がうまれ、米も野菜もいつもの年よりずっとたくさんとれました。豊作は五年もつづき、男の家はすっかり豊かになりました。 ただひとつ不運なことに、やっと生まれた息子が五歳になっても歩くことができず、一言もものを話しませんでした。 そうしたある日、歩けないはずの息子が急に立ち上がりました。
あとをつけてみると、息子の足跡はお膳を貸してくれる洞窟の奥へとつづいています。 洞窟の奥から、誰かの声が聞こえます。 「米二俵もあればお膳のもとがとれるだろう」 急に息子がさずかったのも、男の家が豊作つづきだったのも、みんな洞窟の主がお膳のもとをとるためにしたことだったのです。 それからこの山のことを、人々は「もととり山」と呼ぶようになりました。
|
◆こぼれ話◆ 類話が日本全国に存在している。たいていは沼や川など、水と関係した場所が舞台になることが多く、食器を貸してくれるのは竜宮の乙姫様ということになっている。竜宮伝説ならば海のあるところにしか伝わっていないかと思うと、内陸の山奥にも同じ話があり、淵の底が竜宮とつながっているという設定になっている。→お椀淵
|
|目次|珍獣の館|山海経|博物誌|直前に見たページ| |
|