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松虫姫伝説(千葉県) |
夢のお告げの薬師如来
摩尼珠山医王院 松虫寺(松虫姫神社) 千葉県印旛郡印旛村松虫7 北総線印旛日本医大駅から徒歩10分くらい [google地図で確認] かの有名な行基さんが建立したといわれる古いお寺。松虫姫の病気を治した霊験あらたかな薬師如来が祀られています。境内に松虫姫を祀る神社もあります。
松虫姫(不破内親王)は聖武天皇の皇女です。若くしてライ病にかかって苦しんでいました。今でいうハンセン氏病です。当時は原因はおろか治療法すらわからない恐ろしい病気でした。誰もが姫は治らないと思っていたでしょうし、姫自身もくじけそうな自分をはげましながら、やっと生きていたんじゃないかと思います。 そんなある日、姫の夢枕に薬師如来が現れて「我は下総は萩原郷の薬師如来である。我をさがしてまいられよ」と言うのでした。そこで姫は藁にもすがる思いで夢のお告げに従うことにしました。お供には乳母の杉自、僧侶の行基、護衛役の権の太夫と武者を大勢連れて、姫は牛の背に乗って京の都から下総(千葉県)を目指したのです。 下総への旅は想像以上に苦しいものでした。山賊や大蛇に襲われ、お供の武者たちも、ひとり、ふたりと逃げてしまい、下総の国府に到着する頃には乳母の杉自と行基僧正、権の太夫と数人の武者だけになっていました。 それでも夢のお告げを信じ、東へ東へと訪ねてゆくと、印旛沼にほど近い萩原の里でひっそりと祀られている薬師如来をみつけました。都からはるばる到着した松虫姫の一行を、村人たちはあたたかく迎え、姫はお堂にこもり、病がいえるよう、一心に祈り続けました。するとどうでしょう。誰もが絶望していた姫の病がきれいに治ってしまったのです。 姫は都に帰ることになりました。けれど、年老いた乳母の杉自は、村人に慕われていたこともあり、下総に残ることになりました。杉自は村人たちに養蚕や機織りなど都の文化を伝えこの地に骨を埋めました。 また、聖武天皇はこのことを大変喜んで、行基に命じて薬師如来をまつるお寺を建てさせました。それが千葉県印旛村にある松虫寺です。 これが松虫姫伝説のあらましです。
とにかく「ライ病の姫が夢のお告げで下総にくだり、薬師如来を拝んだら快癒して都に帰りました。この地に残った乳母の杉自が都の文化を伝えました」っていうのが大筋らしいんです。 そこで思うのですが、松虫姫のお話は漂流貴人系の養蚕はじめて物語の一種のような気がするんですよ。おカイコさんのルーツを語る伝説にはいくつかあるんですけど、そのひとつに「偉い人の娘がライ病に冒されて海に捨てられ、流れついた土地で手厚く看護されて、それでも死んでしまい、その墓でみつかった芋虫がおカイコさんだった」というような話があります。 この話には漂流とライ病がセットでついてきます。おそらく、養蚕が大陸から海を越えて伝わってきたことと、カイコの体にあばたのような模様があることから、ライ病を連想するからでしょう。松虫姫もライ病だったと言われてます。都から辺境の地に文化を伝えました。お寺が残ってるくらいなので史実なのかもしれませんが、不思議と漂流貴人系養蚕伝説の条件をそなえていたりするわけです。 この手の伝説では、主人公のお姫様が死んでカイコに生まれ変わる事が多いです。でも松虫姫は病気が治って都に帰ったのですからハッピーエンド……と言いたいところなんですけど、姫の受難は実はこれからなんです。都に帰って結婚すると、夫や息子が起こした政権争いに巻き込まれて二度も流刑にあい、いつ頃亡くなったかもよくわかんないらしいんです。 ただ、伝説によれば、姫の遺言によってお骨が分けられて、その一部が松虫寺に納められていると言われています。ひょっとすると萩原郷で村人にはげまされつつ療養してた時代がいちばん幸せだったのかもしれませんね。 |
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姫との別れを惜しんで牛が…
牛むぐり池(松虫姫公園) 千葉県印旛郡印旛村舞姫 北総線印旛日本医大駅から徒歩10分くらい [Yahoo地図で確認] 都から松虫姫を乗せてきた牛は、姫が都に帰る時、別れを悲しんで池に飛び込みました。その池は「牛むぐり池」と呼ばれ今でも残っています。
ところで、松虫姫を都から乗せてきた牛が、これまた偉い牛なんですよ。姫の一行が遠州(静岡)にさしかかった時、山賊に襲われました。護衛役の権の太夫はもちろん必死で戦うのですが、それでも山賊におされて負けそうになりました。そのとき、牛が山賊たちに猛然と襲いかかり、その角で突き殺してしまいました。 それほど忠義な牛だから帰りも姫を乗せて都まで行ければよかったのですが、なぜか牛は置いて行かれてしまうんです。たぶん姫の病気はすぐに治ったのではなく、何年もかけてゆっくり治ったのではないでしょうか。その間に牛も歳をとり、姫を乗せて都まで行く力をなくしてしまったのだと思います。 姫が都に帰ってしまうと牛は嘆き悲しんで、近くにある池に身を投げて死にました。その池が「牛むぐり池」で、今でも松虫姫公園内に残っています。 松虫姫公園は印旛日本大駅のすぐそばにありますが、池が意外と大きいので、ひとまわりするのに歩きだと時間がかかると思います。駐車場も一応あるみたいなので車で行っても大丈夫です。 |
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姫の名前がつくはずだった駅
印旛日本医大駅 千葉県印旛郡印旛村若萩 北総線の終着駅 [Yahoo地図で確認] 駅名に正式名称と別名がある場所って珍しい気がします。ここは印旛日本医大駅ですが、同時に松虫姫駅でもあるらしいんです。
はじめてこの駅に降りた時、わたしは松虫姫伝説を知りませんでした。正式名に(松虫姫)の名前が並記されているのを見て、ここには何があると思って調べてみると、世にも不思議な伝説にまつわる名前だったというわけ。 北総線がここまで来た時、駅名の候補に「松虫姫」の名前もあがったらしいのです。このあたりには松虫の地名もあるし、松虫寺や牛むぐり池もすぐそこです。結局は、近くにある日本医大付属病院の名前をとって「印旛日本医大」になってしまいましたが、今でも「松虫姫」の名前が正式名と並べて書かれています。 もし、松虫姫のほうが正式に採用されたら楽しかったでしょうね。
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