一本足・一本腕と製鉄技術に関連があるのではないかという話はすでに書いたが、『山海経』にはこんなやつもいる。製鉄とは直接の関係はなさそうだが、果たしてその正体は?

 
シンチ  シンチ
シンチ

 さらに西へ百二十里、剛山といい……(中略)……剛水は流れ出て北流して渭(川の名)に注ぐ。ここにはシンチが多い。そのかたちは人面獣身で、ひとつの足、ひとつの手、その声はうめくよう。(西山経四の巻)
 
 
 

絵・文とも『山海経』より

 
 一本腕、一本足いう特徴は、一臂国の人や少昊の子と似ていて、なんらかの関係がありそうにも思えるのだが、本文から読みとれる情報は少なく、はっきりと言い切れない。

 細かく見てみよう。
 シンチという名前には「神」という文字が含まれてはいるが、チは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の「魑」と同ような意味で、山や川の精のことだという。精とは自然のエネルギーが形になったものだと思えばよさそうだが、これは神というほど崇高なものではなく、もっとバケモノくさいものに用いるようだ。

 一本腕で一本足の魑(山川の精)といえば、小さい頃に読んだ本に一本腕で一本足の妖怪が出てくるのを思い出した。

 ひでり神は、またの名を かんぼ ともいう。険しい山奥に住み、顔は人に似ているが、体は獣の姿をしている。手が一本で、足も一本なのに、走ると風のように速い。この妖怪が山から出てくると、けっして雨が降らず、ひでりつづきとなる。(水木しげる『妖怪100物語』小学館)

 そこで、旱魃の神について少し資料をあたってみたところ、中国明代の本にこんな記述があるらしいとわかった。

 剛山には神魃が多く、これもまた魑魅のたぐいである。そのかたちは人面獣身、手がひとつ、足がひとつ、これがいるところには雨がふらない。(『三才図会』)

 どうやら『山海経』に出てくるシンチと同じもののことを言っているようだ。シンチは旱魃をおこす生き物なのだ。

ひでり神 ひでり神
 一本腕、一本足で、ものすごく早く走るという。これが現れると旱魃になる。
 旱魃(ひでり)を起こす神は、なぜ一本足、一本腕なのだろうか?

 ひでり神の絵を描きながら思ったのだが、このバケモノは、手足をぴんと伸ばしたら、数字の「1」のようにまっすぐになるのではないか?
 旱魃を起こすというのだから気象現象と関係がありそうなのだが、地面から空にむかって数字の1のようにそそりたち、しかも速く走るもの(一本足なのに?)……そう考えて、ひらめいたのは竜巻である。
 ご存じのとおり、竜巻はものすごい速さで渦をまく風のことで、ニュース映像などで見たことがあると思うが、白い柱が海と言わず陸と言わず駆けまわる。まさに足の速い一本足である。

 竜巻は、発生する原因によっていくつかに分類されるが、旱魃の神が巻き起こすのは塵旋風というものだろう。夏のよく晴れた日に起こるつむじ風のことだ。太陽に照らされた地面からわきあがる熱気が、あたりの空気をまきこんで立ち上って行く現象である。これの規模の小さなものは学校の校庭などで見られる。

 実は日本でおこる竜巻のほとんどは塵旋風とは違い、台風や雷の前に発生するものなのだが、旱魃をおこすような異常気象のときには、大きな塵旋風がたびたび発生したのではないだろうか。熱く乾いた大地を駆け抜けて行くつむじ風の中に、昔の人は一本足、一本腕の旱魃の神を見たに違いない。

 ところで、一本足、一本腕の魑魅が竜巻の精だとして、そのことを念頭において、いまひとたび一臂国の人を見てほしい。彼がつれている黄色い馬(正確には一臂国のそばにいるだけなのだが)は、あるいは強い台風の前に発生する竜巻の精なのではなかろうか。馬といえば速く走るものだが、一本足で速く走る……といえば、やはり竜巻を連想出来そうだ。
 タタラ場の民であり、ひとつ目の一臂国の人は台風の精で、一臂国が連れている一本足・ひとつ目の黄色い馬は竜巻の精だとすればすっきりしないだろうか。

 竜巻も台風もつまるところは巨大な渦巻きである。少昊の子や一臂国は雨を呼び、シンチは旱魃を呼ぶ。まったく逆の効果を持っているが、特異な気象現象の中で生まれる暴風の精として括れば同類といえるかもしれない。

 
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関連項目

少昊の子と一臂国

 
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