牛の怪では、一本足とタララ場(古代の製鉄所)の関係についてのべた。タララ場では長時間ふいごを踏み続けるため足を痛める人が多かったのだ。そのことをふまえて、『山海経』の次の部分を読んでほしい。

 
ショウコウ
少昊の子
 人がいる。ひとつの目が顔のまんなかにある。ある本によれば、これは威という姓で少昊の子であり、黍を食べる人という。(大荒北経)

イッピコク
一臂国
 一臂国はその北にあり、一本腕でひとつ目、鼻の孔もひとつ。黄色い馬がいる。虎の文でひとつ目、一本足。(海外西経)

『山海経』より

 
 少昊というのは、中国の伝説上の帝王の名前で、帝王といっても人ではなく、神に近い存在である。金天氏と呼ばれることもあって、方位でいうなら西を、季節でいうなら秋を、五行(五大元素)でいうなら金をつかさどる存在だという。金属をつかさどる神・少昊の子孫はひとつ目だというのだ。

 鉄などの金属を精製する時に足を痛める人が多かったことはすでに述べたが、溶解した金属の具合を見つづけるうちに目を悪くする人も少なくなかったようだ。
 少昊の子孫がひとつ目なのも偶然ではなく、製鉄術を持っていたことを意味しているのではないだろうか?

 次に一臂国について見てみよう。ひとつ目であるばかりか、片腕で鼻の穴までひとつである。

 これだけでタタラ場の民と結びつけるのは乱暴な話だが、一臂国の近くには一本足の黄色い馬がいるというのだがら、まったくの無関係とはいえまい。

 この馬、一本足で、しかもトラ模様である。トラといえば中国では西を象徴する幻獣に白虎をあてており、西=少昊=金……と、やはり金属精製を連想できるのだ。
 

一臂国の人と、黄色い馬一臂国の人と黄色い馬
 これが牛ならばしてやったりだが、残念ながら馬である。しかし、この馬は一本足で、しかもトラ模様。トラといえば……?
 ところで、『山海経』にみえるひとつ目の民の同類は、ギリシア神話にも登場する。キュクロプス(英語読みではサイクロプス)と呼ばれる巨人は、大神ゼウスの雷を作る鍛冶屋だが、その目は顔の真ん中にひとつだけついていたという。「顔の真ん中にひとつの目」というのが熱帯性低気圧のでっかいやつに似ているというので、サイクロン(インド洋・ベンガル湾・アラビア海あたりに発生する台風)の語源にもなった。
 
 日本では、その名もイッポンダタラという、ひとつ目で一本足の妖怪がいて、鉱山の近くで目撃される。また、鍛冶の始祖と言われる神様は、天目一筒命(アマノメヒトツツノミコト)といって、その名が示すとおり、おそらくひとつ目だったのだろうと思う。
 天目一筒命は、三重県桑名群多度町の多度大社で暴風雨の神としてまつられているのだが、暴風雨といえば台風、台風はひとつ目……という連想ができ、サイクロンの語源と不思議に一致している。

 鍛冶の神がひとつ目であること、ひとつ目ゆえに暴風雨の神とされる法則は、ひょっとしたら『山海経』ワールドにも当てはめられると思うのだが、それについては次の「シンチ」を読み進めてほしい。


 
関連項目

牛と虎の合体獣
(人を食う牛)

三本足の牛


 

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