扶桑とエジプトの『死者の書』 |
『死者の書』というのをご存じだろうか。その名前は知らなくとも、歴史の教科書などで下図のような絵を見た人は多いはずだ。
『死者の書』の一部 ルーブル美術館蔵のものを模写 胸を押さえた男は死者である。霊界に入る資格があるか裁判を受けているところだ。天秤の左側に乗っているのが彼の心臓で、右側の皿にはマアト女神の像が乗っている。生前に罪を犯していなければ天秤がちょうどつりあうようになっている。画面中央で天秤を見つめている尾の長いサルは書記の神トートの化身で、裁判の一部始終を記録している。右側で蛇の杖をもち頭に羽根飾りをつけているのが真理の女神マアトである。古代エジプトにおいて、人は死後も魂になり霊界で生き続けると信じられていた。人が死ぬとどこへ行き、どんな暮らしをするのかを描いたのが『死者の書』と呼ばれるもので、墓石やミイラをおさめる棺に刻まれた。霊界で途方にくれないよう、死者の心得として記したのだろう。 その『死者の書』に、『山海経』にも描かれた風景が存在すると言ったら驚いてもらえるだろうか。 まずは、問題の箇所を読んでほしい。 |
下に湯谷がある。湯谷の上に扶桑がある。ここで十個の太陽が浴みをする。黒歯国の北に位置している。水の中に大木があり、九個の太陽は下の枝に、一個の太陽が上の枝にいる。(海外東経)
大荒の中に山あり、名はゲツヨウインテイ。山の上に扶木がある。高さは三百里、その葉は芥菜(カラシナ)に似ている。そこに谷がある、温源の谷といい、湯谷の上に扶木があり、
一個の太陽がやってくると、 一個の太陽が出ていく。太陽はみな烏を載せている。(大荒東経)
『山海経』より
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以上が『山海経』の中に見える扶桑(扶木)の記録である。
太陽が烏(カラス)を載せているというのは、太陽の中に三本足の烏が住む伝説のことだ。 また十個の太陽とあるのも古代中国の伝説によるものである。かつて太陽は十個あった。一個ずつ扶桑から昇り、ひとつ帰ってくると、次の太陽がまた昇ってゆく。
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三本足の烏(カラス)
太陽に三本足のカラスが住んでいるという伝説は日本にも伝わった。神武天皇東征のおりに熊野から大和への道案内をした八咫烏(やたがらす)のことである。一説によれば色は赤く、別名を金烏(きんう)とも。 |
東南の海の外、甘水のほとりに羲和の国あり。女子あって名は羲和といい、いまし太陽を甘淵に浴させている。羲和は帝・俊の妻で十個の太陽を生んだ。(大荒南経)
『山海経』より
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東南の海の外というのだから、海外東経に記録された土地に含まれるかもしれない。湯谷が甘淵となっているのが少し違っているが、同じ伝説の一部と見ていいだろう。
太陽が憩う谷の上には扶桑(扶木)がある。
その扶桑と太陽の物語が、エジプトの『死者の書』にも記されている。 諸々のクウたちのアアトから東の方角に、巨大な桑の木が二本見える。太陽がこの木の間から昇る。霊たちは二本の桑を生命の木としてあがめている。『死者の書』の中でも「書記生アニの告白」と呼ばれるものの一部だ。生前は書記だったアニという男が、霊媒師の口を借りて語ったものだと言われている。諸々のクウたちのアアトというのは、霊界の中央よりやや東にある地方で、大麦や小麦が豊かにみのり、大勢の霊たちが住んでいる平和な土地だという。その土地から東を見ると二本の桑の木が天にむかってそびえ、その間から太陽が昇るのが見える。まさに扶桑伝説である。 書記生アニによれば、原初の世界にはヌウとヌウトと呼ばれる男女の神がいて、このふたりは水の精だったという(一般にヌウト女神は天空の神とも言われるが)。つまり、霊界のはじまりにはただ水だけが存在していた。太陽は原初の水から現れた。世界を明るく照らし、熱い炎であたためる太陽は、炎と相反する水の中から生まれてきたのである。これは、『山海経』で太陽の湯浴みと記されている伝説と共通しないだろうか。 センカ沼のイチジクは『山海経』で湯谷の中にはえる大木と共通している。羲和は湯谷の大木と愛を交わすことはなく、イチジクと交わった女神は太陽を生まなかったが、それぞれの伝説が持つ固有の設定とつじつまをあわせるために変化した結果ではないかと思う。
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エジプトの『死者の書』と『山海経』には、ほかにも共通する点がある。エジプト神話全体にひろげれば、もっと共通した部分を見つけることができる。具体例は機会をあらためて紹介するが、これほど共通点があるものが、世界の西と東で偶然発生するとは思いにくい。どちらかがどちらかに影響していると思うのが筋である。
『山海経』は「東に数百里行くとナントカ山があり、そこには…」と、中国内外の地理を記した本であるが、実際の地形と一致する部分はあまりなさそうに思われる(きちんと検証したことはないが)。交通の便もない時代に古代人が言い伝えをもとに書いたのだから正確でなくとも当然といえばそれまでだ。だが、発想を変えて、どこかまったく別の世界の地理をあたかも中国の地理であるかのように記録した本だと考えればどうだろう。 『山海経』の重要なテーマのひとつは崑崙への道のりを示すことだと考えている。世界のどこかにある崑崙山は天界への入り口である。そこは険しい山の上にあり、まわりには波立つ川があるため、なまじの人間ではたどり着くことができない。しかし、そこへたどり着けば、不老不死の秘密をにぎる西王母と面会することができるのだ。『山海経』は、崑崙のありかを示し、どうすればそこに近づけるかも解き明かしている。 一方エジプトの『死者の書』は、死んだ者がどのような裁判を受け霊界の住人として認められるのか、また霊界ではどのような誘惑があり、どう逃れればいいかを示している。そして、誠実さを認められれば神々の住む天界へも行けると説く。
参考文献 たま出版『世界最古の原典エジプトの死者の書』大英博物館エジプト学部長であるバッジ博士が編纂した死者の書から「書記生アニの告白」と題された部分を抄訳にしたものである。出版社トンデモ系だが、原典はちゃんとしたものらしい。読みやすい内容で好感が持てるが抄訳版なのが残念。このページで紹介した『死者の書』の内容は、上記の本から扶桑に関連する部分をまとめたもので、完全な引用ではない。 |
なお、世界の東の果てにあるという扶桑は日本のことではないかという説がある。そういえば日本の神話にも巨木伝説の片鱗が見られる。たとえば天地開闢の時、二番目に現れた神のことを高御産巣日(タカミムスビ)というが、別名を高木神という。太陽神の孫に日本を治めるように命令したのも高木神だ。
日本は中国から見れば世界の東の果てにぽつんと浮かぶ島に見える。聖徳太子が日本のことを「日出ずる国」と言ったのは有名な話だ。巨木の神がいて、太陽の昇る国。これも扶桑伝説のモデルにふさわしい。 扶桑については原田実氏のサイトが詳しい。日本説のみならず、ボルネオ説や南米説まであるから驚きだ。 ◎原田 実の幻想研究室 |
[参考]『山海経』の桑に関するその他の記述
三桑無枝は欧糸の東にあり、その木の高さ百仞にして枝なし。(海外北経)このほかに、「桑がある」とだけ記された部分が何カ所かあるが、単純に桑の木が多い地方を記録したものだろう。 |
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