土螻 ドロウ
土螻

 獣がいる。そのかたちは羊のようで四本角。名前を土螻といい、これは人食いである。(西山経三の巻・昆侖の丘)--088
 
 

絵・文とも『山海経』より


 
 

 何かのテレビ番組で、中国で角が四本はえた羊が飼われているのを見たことがある。角が多くはえる羊は本当にいるのだ。

 マンクス・ログタン種やヤコブ種というイギリスの羊には角が四本生えるものも珍しくない。時には六本角のものまでいるそうだ。どちらも西南アジアで家畜化された羊をかけあわせた古い品種なので、土螻はそういった実在の羊の先祖かもしれない。

 けれど、この羊が昆侖の丘に住んでいることも見逃せない。昆侖というのは天帝の地上の都と言われる聖地でもあるし、そこに住む羊には神話的な意味もありそうだ。

 羊にかぎらず、動物の角はメスをかち取るためにオス同士が戦うための武器になる。また、大きく立派な角を持つことで、メスの気をひくこともできる。角は動物にとって生活力の証明のようなものだ。
 

マンクス・ログタン種のヒツジマンクス・ログタン種の羊
 実在するヒツジでしばしば4本角の個体が生まれる。ヤコブ種もこれと似たヒツジで多角の個体がいるそうだ。アメリカなどではペットとして飼われる場合もある。

 人もまた動物の角を威力の象徴にしてきた。モンゴルでは相撲に似た格闘技をするとき頭に角をつける。日本でもかつては角をつけて相撲をとった。相撲業界のことを角界というのはその名残だ。メソポタミアでは神の石像が何重にも重なった角を頭にはやしている。たくさんの角によって神の威力を表現しているのだ。土螻の角も獣としての格の高さを表すのだろうか。

 古来、中国人は昆侖から天に昇り、仙人に列せられることを望んだ。しかし、誰もが死ねば昇仙できるわけでなく、邪心のあるものは丘に昇ることさえできない。なんとかはい上がれたとしても、昆侖に住む多くの獣たちが資格のない者の行く手をはばむ。人食いだという土螻もまた、昆侖を守る神獣なのだろう。
 日本でも、頭に角をはやした鬼が地獄で死者を責めているが、昆侖を守る神獣と共通した趣があると思う。


 
 
☆羊と山羊
 『山海経』には羊はいても山羊は登場しない。しかし、中国にも山羊はいたはずなので、羊と山羊を呼び分けていなかっただけだろう。広辞苑によれば、山羊とは「羊」の近代朝鮮語の発音「yang」から生まれた言葉で、後から山羊という文字を当てたらしい。

 一般に、あごひげがあるのを山羊、あごひげがなく角が渦巻状にのびるのを羊と呼んでいるが、生物学的には両方ともウシ科ヤギ亜科の仲間で明確にはわけられない。ヤギ亜科は、さらにヤギ属とヒツジ属に分けられるが、それはあくまで近代の分類学によるものだから、文学的な呼び名は分類の壁に阻まれない。

 山羊はその名の通り山岳地帯に適応した生き物で、主に乳と肉を取るために飼われている。たまに毛を取れる種類もあるようだ。羊より生命力があり、肉の味は羊におとるが滋養分にあふれる乳は珍重される。
 羊は平地で飼われることが多く、毛や肉を取るために飼われることが多い。羊というと、わたしたちはついモコモコ毛が生えた綿羊を想像してしまうのだが、短毛の羊もけっこういる。野生種の羊はもともと毛が短かったようだし、家畜でも肉用なら長い毛は必要ない。

 『捜神記』に毛織物の話が出てくる。太康年間(280〜289年)に毛織物の服を着るのが流行った。そこで人々は冗談でこんなことを言ったという。

「毛織物といえば胡の産物だ。なのに国中で頭巾と帯と袴(はかま)を毛織物にしちまったんだから、胡人は三カ所も中国を占拠したってわけだ。これじゃあ国中が破れるのも時間の問題だな」
 太康年間といえば『山海経』の新しい部分が成立したのと同時期だと思うが、当時の中国では毛織物の存在は知っていても国内生産はしておらず、胡と呼ばれるチベットやモンゴルの異民族から輸入していたということなのだろう。

 中国人は羊が大きくなると書いて「美」という文字を作りだしたが、これは中国の羊が主に肉用だったことを意味しているのだろう。『山海経』の挿し絵に描かれたのも、ほとんどが短毛種の羊である。

 羊の肉は神への捧げものにもされる。土地の神と五穀の神に対する最高の供物は大牢といって、ウシ・ヒツジ・ブタの三種を屠って捧げるという。ヒツジとブタだけの場合は小牢(少牢)という。
 『山海経』では山経各巻の終わりに山の神の祀り方が記録されているが、大牢、少牢と書かれた部分が何カ所かある。ヒツジが神に捧げられていたということだ。

 
 
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