大雨になればいい。
 たしかにそう言ったけれど、本当にふるとは思わなかった。山の下でバスをおりた時には晴れていたのだ。朝の天気予報だって、雨がふるなんて言ってなかった。
 雨の祠でお参りをして山をおりはじめたら、急に雲がわいてきた。
 雨だ。それも大粒の。
 ちよ子は四方に枝を張る大きな木の下にかけこんだ。
 それを待っていたように雨足がもっと強くなる。木の枝が屋根のように空をおおっている。おかげでずぶぬれにならずにすんだ。
 神様は、あの傘を気に入ったのかな。でも、これじゃ帰れない。
 祠まで戻ればおそなえした傘があるけれど、すでに山を半分もおりてしまった。走って戻っても、祠につくまでにずぶぬれになるだろう。
 雨がやむまで待つしかないね。
 大粒の雨をどしゃどしゃふらしている黒い雲を見上げてため息をついた。
 こんなのを通り雨というのだ。ザーッとふったかと思うと、ぱっと晴れてしまう。どうせなら明日の朝ふってくれればいいのに。すぐに晴れてしまっても、校庭が水びたしになれば運動会は中止になる。
 自分では気づかなかったけれど、その時ちよ子は、よっぽどうかない顔をしていたのだろう。
「おい、チョコラ。もっとうれしそうな顔をしろ」
 突然そう呼ばれて、ちよ子はとびあがるほど驚いた。
 誰もいないはずの山道だ。しかも、その声は自分のことをチョコラと呼んだ。そんなふうに呼ばれるのは久しぶりだった。自分の名前をチョコラだと信じていたのは幼稚園の頃だ。小学校にあがって、幼稚園の時になかよしだった友達と別のクラスになり、ちよ子のことをチョコラと呼ぶ人は少なくなった。
 ある時テストの名前の欄に「ながやまチョコラ」と書いて、先生にしかられた。
 ----あだ名を悪いとはいいません。でもテストの時は本当の名前を書きなさい。
 ちよ子はチョコラのほうが自分らしいと思ったけれど、口には出せなかった。
 字を書くことをおぼえて、「ちよ子」という名前のほうを多く書くようになると、お父さんもお母さんもいつの間にかちよ子のことをチョコラとは呼ばなくなった。
 そして今は、誰からもそのあだ名で呼ばれることはない。
「おい、チョコラ。雨をふらせてやったんだ。もっとうれしそうな顔をしろ」
 その声はもう一度そう言った。
「あなた誰?」
 あんまり驚いたので、言葉がのどにつっかえて、うまく声にならなかった。
「雨をふらせてやったぞ。うれしくないのか」
 その声は、木の上から聞こえてくる。ちよ子が雨宿りしている大木の上からだ。
「なんの話? ちゃんとわかるように話してよ」
 ちよ子は枝の重なりあった木を見上げてそう言った。
 枝の間には何も見えない。こんな木の上に、誰かいるとはとても思えない。でも、声はたしかに上のほうから聞こえてきた。
「そこにいるの? 誰だか知らないけど、おりてきて話してよ」
 叫ぶのと同時くらいに、それは落ちてきた。
 それはぬれた地面に着地して、ベシャッと音をたてた。
 落ちてきたのは赤い唐傘だった。柄のかわりに足が一本はえていた。
唐傘

 
次へ