榛名湖のほとり、塩原太助の石灯籠

塩原太助の石灯籠

 群馬の榛名湖ってところに、塩原太助が寄進したという石灯籠があります。塩原太助は江戸時代の豪商です。旅行中に何気なく写した石灯籠の写真に、あるものが写っていました。

塩原太助の石灯籠  「沼田城下の塩原太助」は上毛カルタの「ぬ」の札です。それで群馬で育った人ならみんな塩原太助のことはよく知ってます(ただし名前だけ)。何をした人なのか知ってたらかなりの歴史通ですね。ちなみにわたしはぜんぜん通じゃないので裸一貫から豪商に上り詰めた人だってことくらいしか知りません(笑)

塩原太助の石灯籠 そんな風なので特別興味があって撮影したわけじゃなくて、石灯籠に何が刻まれてるのか読もうと思って写したんです。残念ながらこの角度だと、下の方が切れちゃうんですが… 右の写真は
「おく山の い…(読めない)/沼の水こもり…(隠れてる)/恋や渡…(隠れてる)/あふ…(隠れてる)」
でしょうか。どうも万葉集の歌らしいです。

 意味は「奥山の岩垣に隠されたこの沼のように、恋心を胸に秘めながら渡りつづけるのだろうな、あなたにお会いするすべもないのに」ですかね。

塩原太助の石灯籠 左の写真は灯籠の別の面です。
「文化十二年…(隠れてる)/乙亥五月吉…(隠れてる)/東都壽山…(隠れてる)/西毛菅清成…(隠れてる)」
ですね。

 壽山は塩原太助の雅号。西毛は上州の西の方の地域のことで、菅清成は人名、書家の名前だそうです。

 これだけじゃ面白いことなんにもないんですが、写真を拡大してふと気付きました。

 刻まれた文字の上の出っ張った部分(中台)の裏に何か書いてある??
 たぶん墨で書かれたものだと思うのですが、

「江戸本郷元町瓦屋奉治」
「炭ヤ」
「當國日光道太田町大光院御門前(宝珠の絵の中に「石」?)吉八百…(一文字読めない)」
「北八金六」

 このようなことがビッシリ書いてあります。
 これ、昔の落書きですよね。影になってるので目で見た時には気付きませんでした。

DSCF8598bs
 上の写真はクリックで少し大きな写真を見られるようにしてあります。瓦屋だの、炭ヤだの書いてあるところを見ると、塩原太助の出世物語にあやかって商売繁盛の祈願をしたんじゃないかと思うんです。

 江戸本郷って書いてあるのを言葉通りに受け取れば、江戸時代の人が書いたってことでしょうか。だとしたら150年くらい前の文字なんですけど!よくこんなにクッキリと残ったものです。

塩原太助の石灯籠
 この説明によると、もとは天神峠というところにあったそうなので、行商などで行き交う人たちが、峠越えの際に自分の屋号などを書き込んだんでしょうか。

 ひょっとしたら、風雨にさらされる場所は消えちゃっただけで、あらゆるところにびっしり書き込まれてたかもしれないですね。真っ黒に落書きされた石灯籠とか、想像すると少し愉快です。

 でも、落書きはイクナイよ。このとおり100年以上たっても消えないかもしれないし、そりゃあ何百年かたったら民俗資料になるかもしれないけど、自分が生きてる間は恥の記録にしかならないと思うので。


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 場所は、地図で言うとここです。

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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

榛名湖のほとり、塩原太助の石灯籠 への2件のフィードバック

  1. 武邑くしひ のコメント:

    作者不明「万葉集」
    青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
    (初句を「おく山の」とし、人麿作として拾遺集に載る)
    ↑歌の方はこれつぽいですね。
    鹿児島の古い家の屋根裏の落書きに、焼酎といふ言葉の最古の(事例)になつてる例もあり、貴重な落書きなんださうです。

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