どうです?
見事に一文字。漢字で「保」読みも「ほ」です。
場所はJR武蔵野線の吉川駅の北側です。
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吉川市の公式サイトに地名の由来を説明するページがあるんですが「保」の説明が非常に難しい。
http://www.city.yoshikawa.saitama.jp/sp/index.cfm/26,17531,164,826,html
保は平安期の小荘園による称とみられる。保とはもともと隣保の義で、大宝令の五保の制度から受け来たるもので、家数に制限がなく、便宜の市街または郷村の一保内の人々が互いに相連絡して団体として自治を行ったもので、後世、この保が一地方を称する地名となって荘園郷保と並び称されるようになった。おそらく昔の本からの抜き書きなんでしょうが、なんでもうちょっとかみ砕いた言葉で説明してくれないんでしょうね(笑)
かいつまんでいうと古代の法律で村よりもっと小さな人家の集まりを「保」あるいは「五保」と言ったそうです。五つの家を一単位とする集まりでした。それが後の時代に家が増えても、ずっとその集まりのまま助け合って暮らしていたので、そのまま「保」と呼ばれている、ということらしいです。なかなか由緒ある地名ですぞ!
ちなみに、埼玉県吉川市のおとなり、千葉県流山市にも一文字地名が沢山あります。そのうちの「加」と「木」を見に行った記事はこちら。
◎一文字一音節地名・流山編「加」と「木」
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1713
もうひとつ、一文字地名ではありませんが、吉川駅の南にちょっと変わった地名があります。
その名も「きうり」、耳で聞いたら「キュウリ」にしか聞こえないと思います。
ご覧の通り漢字で書いちゃうと「木売」なので、それほど珍しくはないかもしれませんけどね。材木商があったのかなあと思い、先ほどの吉川市のページを見たところ、そう単純な話でもないようです。
地名のおこりは明らかではないが、古利根川沿いの自然堤防にあって早くより開けていたと思われ、一時的な領土の境界が近くにあって、その境としての柵(キ)とか城(キ)があり、ウリを浦(ウラ)と解せば、河や水の引いてあるところ、柵浦(キウラ)とすれば川が境界とするところと解釈ができ、その後に木売の字を用いた説と、舟着き場として木材の集散地として起こった説があるが、両方の説も明らかではない。
その1:
木は領土の境界線である「柵」や「城」を意味しており、川沿いなので「浦」をつけて、柵浦(きうら)、城浦(きうら)などと呼ばれていたのが木売になったのではないか?
その2:
材木をここで集めて船に乗せて各地へ売ったのではないか?
このふたつの説があるものの、どちらも根拠があるわけじゃない、ってことですかね。
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そういえば、吉川市の南にある三郷市には、木売があるのと同じ川沿いに「境木」「栄」「酒井」があります。これらの地名は近い範囲にあるので、わたしは「酒井」や「栄」は、もともと「境」だったんじゃないかと想像しています(あくまで想像ですよ)。
村の境界線をあらわす木(柵や城の可能性も)があって、その木のことを境木と呼び、その周囲の土地を境と読んでいたのを、後に「酒井」や「栄」の字を当てたんじゃないかなあって。何度も言いますが、あくまで想像ですからね! カテゴリー: