最初なので能書きが多いんですが、長文めんどくさい人は最後のほうだけ見てってください。梵字は書いていると気持ちがいい文字です。宗教的にではなくて、筆がノリノリっていうか…(笑)
文字好きが多いみたいなので、いろいろやろうと思ってるんです。トンパ文字やくずし字も続けるし、ヒエログリフもどうすると面白いか考えているところです。
梵字(ぼんじ)っていうのは、卒塔婆(そとば)に書いてある不思議な文字です。漢字じゃないし、じゃあなんなのみたいな。
梵字は、サンスクリットやパーリ語といった、インドの古代語を書くための文字なんです。仏経典と一緒に日本にやってきました。だから卒塔婆やなんかに書いてあるんです。
ただ、日本に定着してる形のまんまインドでも使っていたかっていうと、そうでもないみたいなんですよね。インドでは、デーヴァナーガリーという文字を使ってました。今も同じ文字がヒンディー語やネパール語などを書くのに使われています。
गते गते पार गते पारगते पारसंगते बोधि स्वाहा |
デーヴァナーガリー文字はこんなやつね。発音は「ガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーボーディスヴァーハー」です。『般若心経』の「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶(ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカー)」ってところを書いてみました。
あの、漢文と違うしなんだろうって思う部分は、インドの古代語の発音を漢字で表記したものなんです。そういう、あえて訳さずにインドの言葉のまま残してあるところを、真言(しんごん)とか陀羅尼(だらに)とか言います。
同じ部分を梵字で書くとこうなります(あってるかな。咄嗟に書いたので間違ってたらすまん)。これは縦に読みます。
酷い殴り書きですみません。真言をこんな殴り書きにしていいのかと自分でも思うけど、いいんです、ただの文字なんです。文字は書いて記録する、記録したものを読めることが大事なんです。うまいヘタはその次で、誰も読み書きできなくなったら力を失うのが文字なんです。
なんでデーヴァナーガリー文字がこれになっちゃうかっていうと、途中にシッダマートリカー文字というものが介在してるらしいんですが、説明めんどくさいし(っていうかよくわかんないし)、Wikipediaの梵字の項目にも書いてあったので興味がある人は読んでみてください。
わたしは妄想の人なので、完全に妄想で私見だとあらかじめ書いておきますが、仏教は中国を経由して日本に入って来ました。中国語は縦書き文化です。陀羅尼をインドの言葉で書き写そうと思ったら、一文字ずつぶった切って縦に並べると思うんです(そのぶった切った形は、インドで「シッダマートリカー」という書体としてすでに存在するらしいんですが)。さらにそれを筆で書くわけです。それが日本にやってきて、今のような形の梵字にデザインされるんじゃないのかな、なんてことを、妄想ですからね、妄想。ソースとか一切調べずに書いてます。
わたくしこと珍獣様は、なんでこんなのを覚えたかっていうと、お坊さんになりたかったわけではなくて(いやまあ、古来日本人は年取って世の中いやんなったら出家しちゃうのが伝統みたいなので、道こそなけれ思い入る気分になったら出家して鹿が鳴いてる山奥で隠遁生活とかありかなあとは思いますけど)、単純に書けたらカッコイイだろうなと思いまして、20年くらい前に覚えようとしたのね、図書館で本読んだりして(笑)
ところが、自分で書いてみようとしたら、どっから筆入れて、どこで放せばいいのか、最初はさっぱりわかんなかったのよねー。般若心経の陀羅尼なんかはまだ初級で優しい文字ばっかりなんですが、もっとグチャッと複雑な文字があって(デーヴァナーガリーは二重子音、三重子音を一文字にまとめて書くのでいろいろ複雑になる)、こりゃいかん、筆で書いたの見ててもわからん、と思ったので、サンスクリットの入門書を読んで、デーヴァナーガリー文字のほうを覚えてみました。
するとどうでしょう。今まで良くわかんなかった筆はこびがあっという間に理解できるようになりまして、「あ、なるほど、これを筆書きするとこうなるわけね!」みたいな開眼を得たというわけです。
そういうわけで中途半端に言葉としても理解できてしまい、それでいて動機が不純なので中途半端なまま放置してるという、最悪な状態になってます。白状するとパーリ語とサンスクリットの見分けが付きません、付きません!!!(付ける気ないので深く考えてないっていうのもあるんですが、良く考えたらスペイン語とイタリア語の違いがわからないのは恥ずかしいので、これも恥ずかしいかもしれないです…)
最初なので、どのくらい分かってて分かってないのか書いておかないと、コイツわかってないぜって言われそうな気がしたので分かってないよって予め書いてみました。はなからわかってませんから、無駄な指摘はやめましょう。少しでも教えようという気気持ちがある人は小学生にもわかるようにきちんと教えてください。それ以外は受け付けません。
次回からは長文抜きで、もうちょっと軽くします。軽いけど、油断してるとあなたも筆ペンで梵字を書ける人になれちゃうかもしれないですよ。なんせこのナマケモノの珍獣様が書けてますから(笑)
【今日の文字】ア
人は「アー」って泣きながら生まれて、「ウーン」と唸って死ぬとか言いますが、アは梵字でも基本中の基本ですね。この字を思い浮かべる瞑想法とかあるし。胎蔵界曼荼羅の大日如来の種字だったりもするし。
ところがわたしは、梵字のアが硬くてあんまり好きになれなかった時期があります。それでデーヴァナーガリー文字では下の図のように書くので
この丸くかわいらしい書体を生かして、自分で書く時は下の図のように書いてます。
自分で書くって、こんなのいつどこで書くのかって思いますよね。それは梵字で写経をするときに使うのでーす。だって、そもそも写経がカッコイイし、インドの言葉で書けたらもっとカッコイイかもしれない(目がハート)って思ったんだもん。そもそもの動機が「カッコイイかも」ですからしょうがないんです。写経なんかカッコよくないとかいう反論は認めませんっ。
もうちょっと真面目な話をすると、普段書いている文字は、常に見てるから「下手くそでいやだなあ」って思うでしょ。書道の先生とかなら別かもしれないけど、たいていの人は自分の文字にコンプレックスがあると思うんです。
ところが、梵字のような見馴れない文字は、うまい下手がいい具合に隠れるんです。だから「こんな下手な字じゃ嫌だ」って途中で投げ出さずに気持ちよく書ける。あ、そうそう、絵手紙ってあるじゃないですか。太い筆でぐちゃぐちゃっと書いて色塗って、みつをの言葉みたいなの添えたやつ。あれが流行るのも下手さが隠れるからです。ああいう感覚なんですよ。
そういえば「篆書で書く般若心経」とかも、本が出てたと思います。篆書っていうのは印鑑に使う書体ですけど、ああいうちょっと古代文字みたいなやつだと、下手くそを悲観せずに素直に書けるんだと思います。
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