▲駅から猿投神社に来るバス停前にある黄色い鳥居。なんで黄色??
ここは、名鉄の豊田市駅からバスで来られます。名鉄には猿投という駅もありますが、そこからは歩けないくらい遠いです。バス停でそこいらのおじさんと「猿投神社行くんですよ」って立ち話してたら「おじさんたちも正月に行くけど、あそこは猿投駅からも遠いんだよなあ。駅から歩けると思って電車乗って行ったことあるけど、駅で遠いって言われて戻ってきたよ」と言ってました。それは行く前に気づこうよ(笑)わたしも直前まで駅から近いだろうって思い込んでて、寸でのところで気付いたんですけどね、えへっ。
この神社の話は前に人から聞いたことがあって、近くへ行くチャンスがあったら参拝しようと思ってました。何が心引かれたかって、猿投という地名の由来。なんで猿を投げちゃうの? この山に投げたの??
どうも、そんな簡単な話じゃないらしいです。景行天皇が伊勢に行く途中で、かわいがっていた猿が、何か良くない事をしたっていうんです。何をしたかはよくわからないけれど、とにかく不浄というか、不吉というか、我慢ならんことをしたらしいんです。それで天皇が怒って猿を海に投げ捨てちゃった。
その猿はどうにか生きのびて、たどりついたところが現在の猿投山、猿投神社のあるあたりだというのです。
赤いポイントが景行天皇の時代に都があったとされる場所。緑のポイントは伊勢神宮。猿投神社は黄色いポイントです。
伊勢に行こうとしてたなら、猿投なんか通るわけないし、伊勢へ行く途中で投げ捨てた猿が、猿投に到着するのも変な話です。それで興味を持って、神社の由来を調べたら、神社に祭られているのは猿ではなくて、大碓命だっていうから、「おおっ?!」ってなもんですよ。
まあそれはともかく、まずは神社の写真をどうぞ。
▲神楽殿(舞殿)から本殿・拝殿の方角に向かって撮影。ここも本殿のまん前に神楽殿がある作りでした。しかも大きくて立派。
▲神楽殿と本殿・拝殿の間に、もうひとつ小さな何かがあるんだけど、これはなんだろう。
▲googleマップの衛星写真を見るとこんな風になってる。楽師のいるところかなあとも思うんですが、舞いと神様の間に楽師ってのもなんとなく落ちつかないような?
▲左鎌の形をした絵馬。鎌は右手に持つものなので、ふつうはこの逆の形をしてます。なぜ左鎌かというと、この神社に祭られている大碓命(おおうすのみこと)という人は、小碓命(おうすのみこと=ヤマトタケル)の双子の兄なんです。双子の片方は左利きだと信じられていた時代があって、この神社に左鎌を奉納するようになったとか。
弟でなくお兄さんのほうを祭る神社は珍しいんじゃないかと思うんです。以前それに気付いて、近くへ行ったら参拝しようってずっと思ってました。名前が似ていてややこしいので、ここから先、弟はタケル、お兄さんのほうを大碓と呼びます。
『日本書紀』によると、タケルと大碓は、景行天皇の息子で、同じ日に同じ胞衣(えな)から生まれた双子だと書いてあります。タケルのほうは子供の頃から賢くて勇敢でイケメンでしたが、大碓のほうはかなりボンクラで出来が悪かったようです。
景行天皇の四年、天皇が美濃国においでになった時、このあたりに美しい姉妹がいると聞いて、大碓に様子を見てくるように言いました。ウワサ通り美しいなら連れてきなさいってことでしょう。
ところが大碓くん、見に行ったところまでは良かったんですが、帰ってこなくなっちゃう。「便密通而不復命」と書いてあるので、お父さんに報告しないで自分でくどき落としちゃったみたい。景行天皇は「由是、恨大碓命(これゆえ大碓命を恨む)」とあるので、めちゃくちゃ怒ってます。
さらに決定的だったのが景行天皇の四十年。東のほうで国が荒れ、蝦夷が人々から略奪してるというので誰かが討伐に行く必要がありました。タケルはそれまでに熊襲(くまそ)を平らげるなどして大活躍していますから「今は休ませてください。ここは兄さんにゆずります」なんてことを言って断りました。嫌な仕事を兄におしつけたとも考えられるし、ぱっとしないお兄さんに活躍の場を与えたとも考えられます。
ところが大碓くん、完全にびびって逃げちゃう。「大碓皇子愕然之、逃隱草中」とあるので、おびえて草の中に隠れたってことですよね。臆病というよりあまりに子供っぽく、もしかしたら頭が弱かったんじゃないかとすら思えます。
さすがに救いようがないと思ったのか、景行天皇は大碓を美濃国のど田舎に追いやって、おまえはその何にもないところを治めていなさい、と言いました。
こうして大碓命がやってきたのが現在の豊田市猿投地方だというのが、この神社の伝説です(猿投は愛知県ですが、岐阜県や長野県からほど遠くない場所です)。日本書紀ではひどい馬鹿モノに描かれていますが、猿投に来てからの大碓は、この土地をよく治めて、地元の人たちからは愛されたということです。
さて、最初に書いた猿の話を思い出してください。
・天皇が伊勢へ行こうとしてる。
・途中でペットの猿が忌まわしいことをしたので捨てる。
・猿は猿投の地にたどりついて住み着いた。
天皇の行き先は違いますが、猿を大碓命と考えれば、だいたい同じ話になります。忌まわしいことというのは、天皇(父親)が目をつけた女を、自分で手をつけちゃった件でしょう。頭の弱い皇子を猿に見立てて同じ話をしてるだけみたいですね。
猿投神社は、『延喜式神名帳』という十世紀の文献に「狭投神社」という表記で出てくるそうです。もとは猿ではなくて、地形かなにかを言い表したことばなんだと思います。あとから猿の字があてられて、主祭神の大碓命の話があとつけでかぶさったってなところかなあ。
もっとトンデモな話になったら面白かったんですが、思いつきませんでしたよ。誰か考えてください。
▲境内の左奥に、大量の水が落ちる場所がある。ここで湧いているのか、もっと奥から引いているのかはわからないけれど、すごくきれいな水でした。伊勢神宮の五十鈴川みたいに、本来はここでみそぎをしてからお参りするのかもしれません。
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