念写(ねんしゃ)って知ってます? 近ごろはスプーン曲げすら見かけなくなっているので知らない人は知らないでしょうが、夢見る乙女(異論は認めない)の珍獣様が子どもの頃、超能力業界では念写が流行ってた。
一言で説明すると、念写は印画紙やフィルムを念力で感光させる能力です。
そんなことができるわけがないって?
まあ結論をあせらないで。実在するかしないかは別として、そういうことを出来ると主張する人が世の中にいるということです。
やり方はいろいろあります。たとえば、カメラのレンズにキャップをしたまま、写したいものを念じてシャッターを切るとか、買ってきたまま封を切っていない印画紙に念力を送る。通常、そんな方法では何も写らないはずなのに、念力のある人がやると、文字や風景が写ったり、ぼやっとした光が写ったりする。
そんな不思議な現象が昔はテレビでもてはやされて、番組中にポラロイドカメラを使って念写したり、そりゃあもう面白かったです。夢中になって見ました。そんな能力が実在するなら自分もほしいと本気で思ったし、実は今でもかなり本気で思ってます。
わたしは宇宙人も超能力も、実在したらいいなと思っています。その反面で、ほとんどがトリックで説明できることも知っています。しかし、実在することを証明できないからといって、実在しないことが証明できたわけでもありません。「限りなくありっこないけど、完全にないともいいきれない」であって、それは「ない」とはイコールではないはずです。なんでもかんでも信じてしまうのも非科学的ならば、頭ごなしにないと言いきってしまうのも非科学的ではないでしょうか。
3月8日、午前8時。わたしたちは朝一番の鈍行列車でJR高山駅に降り立った。同行するのは名古屋で合流した知人のTである。
「まだ早いね。どこかで暇を潰したほうがいいんじゃない?」
そう言ってTが見上げる空はミルク色にけぶり、あたりの山からは白い靄(もや)が立ちのぼる。高山はいつ来てもこうなのだ。まるで神仙世界の入り口のよう。
「来る前に調べたら、朝8時からやっているそうだよ」
わたしはポケットから iPhone を取り出し、記念館までの道を調べた。
「あのへんの丘の上にあるはず。歩いて20分くらい」
「1.5kmってところかな。大した距離じゃない。行ってみよう」
Tはどんどん歩き始める。わたしも慌てて着いて行く。
「ところで、福来博士って何をした人?」
突然思い出したようにTは言った。おいおい、そこからか。何も知らずに高山まで来たというのか。
「うーん、簡単に説明すると超能力を研究した心理学者。明治から昭和の初めにかけて活躍した人で、御船千鶴子の透視実験が有名」
道は上り坂にさしかかり、わたしは息を切らせながら答えた。目の前に広がる風景は、出がけに google map のストリートビューで見た通りだ。便利な時代になったものである。透視能力など使わなくても遠くの景色をあらかじめ見ておくことができるのだから。
「実験って、どんな?」
「わたしもうろ覚えだけど、鉛の管に何か書いたものを入れて、両端を潰して封をしたものを作って、中身を言い当てる実験。千鶴子が練習用の管をお守り代わりに携帯してたのを誤解され、当時のマスコミからインチキ呼ばわりされたのを苦にして自殺しちゃう」
「あ、知ってる。それ貞子でしょ?」
そういえばそうだったかもしれない。わたしは映画でもテレビドラマでも『リング』をほとんど見ていなかったのだが、貞子だか、貞子の母親だかのモデルが御船千鶴子だというのは聞いている。
「そうそう。でもわたしが気になっているのは貞子じゃなくて……あ、ここだ」
雪に埋もれるように、目立たない看板があった。福来博士記念館。ここが東京から目指してきた場所である。
T「ところで、この似非紀行文テイスト、いつまで続けるつもり?」
私「うーん、実を言うと即刻やめたい。自分でも厳しいと思っていたのだよ」
厳しいっていうかこんなんやってると次の青春18きっぷの季節になってしまうので、何時も通りやります。
上の写真は、右側に写ってる白い建物が記念館、左の木造古民家みたいなのは甘酒やぜんざいを出す飲食店です。記念館の前まで行ったら鍵がかかっていたので、このお店で聞いたらおかみさんが鍵をあけてくれました。見学料は…って聞いたら無料でいいですってことでした。
これが記念館の入り口。看板の文字があせて半分読めなくなってる。もうちょっと引いたところから写したかったんですが、少し登ったところにあるせいか雪が深くて思う通りになりません。この建物は、20〜30年前にワイドショー番組の超常現象特集で何度か見たとおりです。ぜんぜん変わってない。たしかお寺の裏庭みたいなところにあるとテレビで言ってたような気がするけれど、実際にはお寺の境内にあるわけじゃないみたい(雪深くてよくわからないが)。そもそも何十年も前の記憶なので、わたしが勘違いしているのかもしれないし。
中はこんな感じです。それほど広くはなくて、ほとんどパネル展示ばっかり。福来博士の自筆原稿みたいなのがガラスのショーケースの中にちょっとだけあったかも。撮影が許可されてるかどうかは聞かなかったのでわかりませんが、検索すると沢山写真を貼ってるサイトがあるので、見たい人は探してみるとよろしいのではないでしょうか。
福来博士が超能力を研究した人だっていうのは書きました。どんなトンデモ野郎かって思うでしょうが、帝国大学助教授だったりして、意外と偉いんです。御船千鶴子のような透視能力者の他に、念写能力者の研究もしていました。
その研究・実験の中でわたしの心をとらえて放さないのは何といっても月の裏側の念写です。昭和初期、当時はまだどこの国の宇宙船も月の裏側には到達していませんでしたが、三田光一という念写能力者が月の裏側を透視し、念写することに成功したというのです。その時点ではそれが本当に月面の裏側なのか誰にもわからないのですが、後にアメリカだかソ連だかの探査機が写した月面写真と比べたら、ぴたりと一致したというのです。
わたしはその話をワイドショー番組の心霊特集でも何度か見たし、超常現象を紹介する子ども向けの本でも読んだかもしれません。これが念写された月の裏側だ、という写真もテレビで見た記憶があります。しかし、どいつもこいつも寝ぼけた画質の小さな写真だったり、一瞬しか画面に映らなかったりで不満しか残らず、いつか本物を見たいと思い続けていたのです。
そしてついに、本物との対面です。これが月の裏側の念写真だ!
記憶にあるのとなんか違うかも。写真が古くて色あせてるせいなのか……っていうかこの写真、星らしき点々が黒く写っているのでポジでなくネガっぽい。じゃあ、色を反転させてみよう。フォトショップは便利だなっと、
うわ、色を反転させたら今度はイラストみたいになったよ。写真というより絵の具で書いたみたい。なんにせよ、これも記憶にあるのと少し違うかも。自分の記憶にある月の念写真は、もっと不明瞭でぶっちゃけもっと怪しげなものだった。こんなハッキリしたのと違う……たぶん。
とりあえずパネルの説明を読んで見る。念写は二回行われているらしい。
一度目は昭和6年、念写能力者の三田氏の家から40km離れた福来博士の自宅に乾板を用意し、その状態で三田氏に月の裏側をお願いするとテーマを知らせる。この実験で月の裏側の写真が2枚念写される。
二度目は昭和8年、岐阜市内の公会堂で、数百人の観客の前で行われる。1ダースの乾板のうち、何枚目に何を写す、というのをその場の合議で決定し、三田氏は乾板に一切触れずに精神統一して念写。あらかじめ決めたとおり、6枚目だけに月の裏側が写った。
ここで誰でも思うこととしては
「ほんとに念力で感光させたの?(トリックではないのか)」
「事実、念写だったとして、写ってるのは本当に月の裏側なのか。想像の世界を念写しただけなのではないか」
ってことなんだけど、それは福来博士もそうだったらしく、きっと能力者が想像する月の裏側が写っただけだろうと言ってたそうです。
ところがここに別の人が現れる。山本健造という飛騨高山の哲学者で、福来博士の死後、高山に記念館を作ったのもこの人(正確には発起人のひとり)。六次元弁証法という、何を弁証したのか凡人のわたくしにはさっぱり分からない難しい弁証をした人でもありますが、昭和34年にソ連のルナ3号が(パネルにはソ連の月ロケットと書いてあるが、この年ならルナ3号)月の裏側の撮影に成功すると、山本氏がフルシチョフ書記長と大学関係者に念写真を送り、比較検討を依頼するも無視される。
さらに別の人が登場。電子工学者の後藤以紀氏が三角法解析でソ連の月ロケットの写真と比較したところ、正確に一致すると証明された……とパネルに書いてあります。
ルナ3号! その言葉にひらめきました。もしやと思い、ネットでルナ3号が写した写真を探してみました。
これはgoogleの画像検索結果をキャプチャしたものですが……ああ、これかもしれない。わたしがテレビで見た、念写だと思っていた写りの悪いぼやっとした写真は。
今となっては確認のしようもないのですが、テレビはこの写真をバックにして念写だとか、三角法で完全に一致しただとか、ナレーションをかぶせていたのかもしれないです。あるいは、記憶が完全にいりまじってしまい、図鑑かなにかで見たルナ3号の写真を、念写真と勘違いして覚えているのかもしれないんですが、とにかく脱力する話。どうまとめていいやら、自分でもよくわかんなくなりました。
気を取り直してルナ3号の写真と三田氏の念写真を比べてみているのですが、どう頑張ると一致するのか、わたくしにはさっぱりわかりません。そもそもこれ、一致することになんの意味があるんだろう。
透視で見られるものが、100%現実と一致するのかどうか。しなくても不思議はないはずだ(まあ、透視の存在そのものが疑われるところですが、そこは目をつぶる)。
次に、透視で完璧な月の裏側が見えたとして、それを正しく念写できるものなのか(見る事が可能なものですらハッキリ念写できないこともあるじゃないですか?)。
そして、念写そのものがあやしくないのか。ほんとうにトリックは介在していないのか…
その状況で、ルナ3号の写真と一致するかどうか論じて、なおかつ似ても似つかないやつを一致したなんて、昭和の科学者って謎です。謎すぎますよ!!
とはいえ、見たくて仕方がなかった念写真(実際の乾板から印画したものか、写真をコピーしたものかはわかんないけど)は見られたし、今回の旅の大きな収穫だったことは確かです。
ちなみに、福来博士記念館はこのとおり小さくてパネル展示ばっかりなんですが、高山駅から車で30分ほど走ったところに飛騨福来記念山本資料館という、前述の山本健造氏の資料館があるそうで、そっちの展示が充実しているそうです。今回は移動手段がないので行けませんでした。めげずにいつか行ってみたいと思います。
[追記]
後藤以紀氏の検証は、パネルにはソ連の月ロケットの写真と比べたと書いてあるのですが、飛騨福来記念山本資料館の公式サイトにはアメリカの宇宙船が1969〜72年に観測したデータから月球儀が作ら れたので、それと比べたって書いてありました。31個の噴火口(当時はクレーター噴火口説がまだあったと思う)の 位置が一致したそうですが……うーむ。
[追記2]
『透視も念写も事実である』という本を図書館で借りてきて読んだ。2004年初版の比較的新しい本で、福来博士の著書や実験を報じる新聞記事、同時代の科学者の著書などから、当時何が起こっていたかにせまる。超能力の有無を論じる本じゃないところが面白かった。ちなみに左の写真は楽天ブックスへのリンクになっています。
本文に貼った三枚の月裏側写真は、一枚は三田氏が福来博士との実験で念写したもの。あとの二枚は博士が立ち合っていない実験で撮影されたものらしい。
三枚を比べてみると、月の同じ場所に斑紋があるので、まったく同じものを露光などを変えて写したように見えます。本当に念力だけで「月の裏側」を撮影したのなら、毎回同じものが写るのはおかしいんじゃないかと、わたしなんかは思ってしまう。人間どんなに頑張ったって同じものを常に思い描けるわけじゃないし、同じ方向の月しか写せないのもおかしいでしょう?
ところが博士は、一度念ができあがると何度も同じものが写るのだと解釈しちゃう。こういうとこ、甘いっていうか、ロマンチストだなあと思う。
そもそも念写の可能性に気づいたのも「いやいや、フツーそうは考えないでしょ?」みたいなショボイ話なんです。
博士は最初、念写ではなく透視(千里眼)の実験をしています。何かを封筒に入れ、厳重に封をした状態で中身を当てさせるのですが、それではこっそり中を見てから封をしなおすトリックを排除しきれません。
そこで、文字を写真を撮り、現像する前の乾板(今だとフィルムにあたるもの)を厳重に封をして、何が写っているか透視させる方法を思いつきました。これだと中を見ようとして開けたら乾板が感光するのでインチキがわかるというわけです。
では、実際にその方法で実験したらどうなったか。未現像の乾板を透視させてから、その乾板を現像してみると、実験用に写した文字の他に、薄ぼんやり明るい光が二重写し(かぶり)の状態になっていました。なんらかの理由で現像前に光が入ってしまったのです。
博士の考えでは、中を見ようとして開封すれば、全体が真っ白に感光するはずだと言うのですが、それは明るいところでやった場合でしょう。暗い部屋で、わずかな光を使って中身を見たなら、薄い光として写るんじゃないでしょうか。見たという証拠がない以上断言はできませんが、トリックがなかったとも言いきれないので、実験としては成功とは言いにくいはずです。ところが博士は「念が感光させたのではないか?」と考えて、念写の研究を始め、超能力者たちもそれに応えて成果を出してしまいます…ぬおお、あいまいな実験結果にあいまいな成果の上乗せ!
子供の頃に夢中になった「念写」の始まりが、ロマンチストの思い込みだったと思うと、わたしとしては少し寂しくなるわけですが、同時にこうも思いました。
ある事について「こうではないか」と思いつく。それに関して実験をして、確かめる。その行為自体はあたりまえだし、何ひとつ馬鹿げたことじゃない。福来博士は自らの甘さを最後まで排除しきれなかった点で、あまり優秀な実験者・研究者ではなかったけれど、超能力を研究対象にしたこと自体は、なんの落ち度もないんじゃないか。
だいたいにおいて、当時は今より世の中全体が甘かったんだと思います。福来博士の研究は海外でも話題になり、シャーロック・ホームズの小説で有名なコナン・ドイルも注目していたそうです。そのドイルも、コッティングリーで子供たちが撮影した妖精の写真を本物だと断言しています。子供がトリック写真など作れるはずがないとか、かなり思い込みの激しい弁護をしていませんでしたっけ?
写真という、当時新しかった技術に、精神力や神仏精霊の力がどう作用するか(あるいはしないのか)。そこにはまだ夢を見る余地があったのかもしれませんね。
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