富士山半周、北回りの旅

DSCF9945s 4月12日に、富士宮市狩宿の下馬桜を見に行って、その帰りに音止の滝、白糸の滝、人穴、田貫湖、本栖湖、北口の冨士浅間神社などをまわり、肉うどんを食べて帰りました。移動はおともだちの車で、葛飾区内からの日帰りの旅です。

 わたしはここ数年、毎年春になるとどっかの桜を見に行ってます。今年は日本五大桜のひとつ、狩宿の下馬桜を見に行きました。場所は静岡県富士宮市です。桜関係は、下記の記事をどうぞ。

◎狩宿の下馬桜
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20150414p1760

 この記事にも書きましたが、朝6時に加平ICから高速にのって、東名高速道を使って3時間くらいで下馬桜のあるところに着きました。桜はちょっと見れば気が済むし、十分に時間があるので観光しながら帰ることにしました。

 下調べをろくにしていないので周りに何があるかよくわかりません。地図を見ると白糸の滝というのが近いらしいです。

 白糸の滝…? そんな名前の滝を前に見た気がするんだけど、このあたりに遊びに来たことあったかなあ。そういえば、まかいの牧場に羊を見に来たことはあるけれど、その時は滝なんか見てないような気もするし。とにかく、行けば見たかどうかわかると思うので行く事にしました。

 地図を頼りに近くまで行ってみると、観光地らしく公営の駐車場(有料)があり、普通の止められそうでしたが、地元の野菜などを売る店が何百円だか買い物をすれば駐車料金は無料だよって言うのでそっちへ止めました。朝10時ちょっと前。

 滝こっちの案内を見ながら先に進むと、何やら今日はイベントがあるらしく、芝生の広場がこのようにセッティングされていました。 IMG_0663s

 看板に説明があったので読んでみると「草鹿(くさじし)の巻」という巻狩の訓練を再現するらしいです。建久四年(1193年)、源頼朝が、このあたりで巻狩(まきがり)を催しました。それが富士の巻狩で、曽我兄弟が闇夜に乗じて仇討ちをした有名な事件が起こったのもその時です。

 仇討ちの話はさておいて、その巻狩で、せっかく追いつめた鹿を射損じる家来が続出したので、頼朝がイラッと来て「たるんだ家来をたたき直したいんだけど、どうすりゃいいかね?」と地元の古老やその道のプロに相談しました。そんなの訓練不足に決まってるわけですが、ただ訓練なさいませと言ったって面白くもなんともない。そこで草を丸めて鹿のようなものを作り「これを鹿に見立てて急所を射る訓練をしたらよろしいでしょう」と進言しました。以来、武士たちは草をまるめて作った鹿を射て稽古に励むようになりました。これが「草鹿の巻」です。

 ほほー、ここでそれが再現されるのなら、草の鹿もあるわけですね。ええと、草鹿、草鹿……え、これ? IMG_0662s  えー、草じゃないよー。発泡スチロールかなんかで作ってあるけど? せっかく再現するなら古式にのっとって草で作らなくていいのかしらね。何か事情があるのかもしれませんが、21世紀の草鹿は草じゃなかったです。

 おっと、話が横にそれました。滝です。滝。白糸の滝を見にきたんでした。先に進むと、土産物屋の前に別の滝がありました。これまたどえりゃー立派な滝で、名前は音止の滝です。音止と書いて、おとどめと読みます。 IMG_0665s  このような立派な滝なので、そりゃあもうすごい音がします。なのに、名前は音止。これには伝説があります。曽我兄弟が……そうです、またもや曽我兄弟です。このあたり、どこへ行っても富士の巻狩で曽我兄弟なんです。曽我兄弟が仇討ちの相談をしていた時、滝の音がうるさくて相談どころじゃありませんでした。そこで兄弟が神に念じたところ、あれほどうるさかった滝の音がピタッとやんだというのです。それで、音止の滝。なんでも、滝の近くに曽我兄弟が仇討ちのおりの隠れていたという岩もあるらしいですよ(見に行きそびれましたが)。

DSCF9927s これは音止の滝を上から見たところです。昔カフェかなんかをやってたお宅が庭を開放してくれてるので上からも見られます。

 しかし、見にきたのはこれじゃなくて、白糸の滝。白糸はさらに進んで階段を下りたところにあるというのでどんどん進んでみると… DSCF9893s  おっ、ありました。あれが白糸の滝ですか!

DSCF9900s  けっこう長い階段をてくてく下りていくと、滝の近くに出ました。おー、こりゃまた立派な滝ですよ? でも、わたしが昔見た白糸の滝は、やっぱりここじゃないなあ。場所は覚えてないけど風景がぜんぜん違うもの。そういえば白糸と呼ばれてる滝は日本全国にあるんですよね。

DSCF9911s  滝の水が出てくるところはこんな感じ。静岡県富士宮市の白糸の滝は、上に川があるんじゃなくて(いや、川もあるらしいですが)、断層から水が湧いてるらしいです。広範囲からカーテンのように水が落ちるのはそのせい。

DSCF9906s  この石碑は、食行身禄(じきぎょうみろく)という人の供養碑らしいです。この時点ではどういう人なのかぜんぜん分からず、ただ古文書のさし絵にこの石碑が描かれていると解説があったので、なんとなく写しました。写真では見づらいでしょうが、一番下の文字は[イ木勺]を1文字にしたもので、こんな字見た事ないし読み方もわかりません。この文字については、旅の途中で謎が解けるのでお楽しみに。

DSCF9923s  これは滝の近くに咲いてた花。ニリンソウかな?

 音止の滝、白糸の滝と見てまわりましたが、まだ午前10時半にもなってない(笑) そういえばここらへんに田貫湖(たぬきこ)なる湖があると聞いたことがあります。そこからのダイヤモンド富士の写真をネットで見た事があります。調べてみると近そうなので行ってみることにしました。

DSCF9929s  ここが田貫湖。けっこう大きな湖です。到着は11時ちょっと過ぎ。湖畔に無料駐車場があります。

DSCF9930s  湖畔の桜。

DSCF9928s  富士山は……あいにく雲の向こうで、頭しか見えません。しかし、さすがこのへんからの富士山はでっかくてすごい。湖越しに朝日のダイヤモンド富士を狙うのは、確かに素敵かもしれないなあ。

 目的もなく来たので、湖を見ちゃえばもう気が済みました。今日はあんまり頑張る気がなかったので、どっかで昼食を食べて、中央自動車道に抜けて帰ろうかって話してたんですが、地図で妙なものを発見。
「人穴? ナニソレ」

 読みは「ひとあな」でいいのでしょうか。近くらしいので、行くことにしました。わたしは助手席なので走ってるあいだにiPhoneで検索してみると、源頼家(みなもとのよりいえ)が、家来にこの穴の探検をさせた話が『吾妻鏡』に出てくるそうです。

 建仁三年六月三日、己亥。晴れ。将軍家(頼家)が駿河国富士の狩倉に出かけられた。その山麓にもまた人穴と称する大きな谷があった。その場所をよくよく検分させるため、新田四郎忠常ら主従六人を入れられた。忠常は重宝の御剣を賜り人穴に入った。今日は日が暮れても帰らなかった。
 四日、庚子。曇り。巳の刻に新田四郎忠常が人穴から出て帰ってきた。往復に一日一夜かかったのである。「この穴は狭くて引き返すことができず、心ならずも先へ進みました。また暗くて精神的に苦痛で、主従はそれぞれ松明を持ちました。途中ずっと水の流れが足を濡らし、蝙蝠が顔の前を遮って飛び、幾千万とも知れませんでした。その行き着いたところは大きな河でした。さかまく波が勢いよく流れ、渡ることもできず、ただ困惑するだけでした。すると火の光に当たり、河の向こうに怪しいものが見えたかと思うと、郎従四人がたちまち死亡しました。そこで忠常はその霊の言うことに従い、恩賜の御剣を河に投げ入れ、命を全うして帰ってきました。」という。古老が言った。「これは浅間大菩薩の御在所で、昔より決してその場所を見ることはできませんでした。今度のことはまことに恐るべきことです。」
吉川弘文館『現代語訳・吾妻鏡』より引用
 穴の中で河を見たり、謎の光にあたって家来が死んだり、何やら大変なことが起こったらしいんですよ。一体どんなところなんでしょうか?!

 問題の場所に到着したのは11時50分ごろ。 IMG_0666s  無料駐車場らしきものがあったので車を止めました。この写真の階段の上に人穴があるらしいです。よし、行ってみようと思ったら、どこからか古老が現れて「どこから来られましたか? ここへは初めてですか?」などと話しかけてきました。どうやら富士宮市公認のガイドさんらしいです。

「ここがどういう場所か御存知ですか?」
 古老がそう言うので、わたしはさっき仕入れた知識をフル動員して答えました。
「源頼家が家来に命令して探検させた穴のあるところですね?」
「さすが、よく御存知ですね。では藤原角行(ふじわらかくぎょう)のことは?」
「え、なんですかそれ」
「では御説明しましょう。お時間は大丈夫ですか?」
「え、ええ、少しなら(昼飯前だし)」
「じゃあ、少しだけ…」

 それからが長かった。階段を上りながらしゃべること、少しどころじゃないのね。本一冊分くらいしゃべってたかもしれない。一気にものすごい量の話を詰め込んだので頭がこんがらがってるのですが、覚えてることを書いてみると、こんな感じ。

 ガイドのお爺さんが言うには、この上にある穴は源頼家が家来に探検させただけでなく、藤原角行という富士講の開祖が修行した場所でもあって、そのためここは富士講の聖地になっている。

 富士講というのは富士山を信仰の対象にする宗教活動のことで、各地に小さな富士講が沢山ありました。富士山を拝むだけではなく、グループでお金を出し合って、代表者を富士登山に送り出すのも富士講の重要な仕組みです。その、富士講の人たちが、富士山だけでなく、ここ「人穴」にも巡礼していたとか。

 藤原角行(ふじわらかくぎょう)という人は、富士講の開祖だと言われていますが、戦国時代の人です(つまり吾妻鏡で人穴に浅間大菩薩が現れたのより数百年あとの人)。何かに導かれて人穴にやってきて、洞窟内に四寸五分角(13.6cm四方くらい)の角材を立てて、その上に千日立ち尽くすという苦行をしたと言われてます。ただし、これは富士講が盛んになった頃に言われ始めた伝説で、実際にここで修行したかどうかは「一説によれば」ってことみたい。

 その人穴の写真が、これ。 DSCF9935s ▲しめ縄の向こうに穴がある。地下へ下りて行く感じになってるので、ここからだと入り口が見えない。

DSCF9936s ▲これが穴の入り口。見下ろす感じで撮影してます。富士山が噴火したときの溶岩が、表面だけ冷えて固まり、その下はまだ熱いので流れてしまうか何かして、できた隙間がこの穴だそうです。写真では暗くて写りませんでしたが、入り口近くに祭壇がちらっと見えてたと思います。今でもここを信仰の対象とする人がいて、定期的に祭壇の手入れに来るとのこと。

 信仰の対象物ということなので、いちおう穴にむかってシャッターを切っていいですかとガイドさんに聞いたら、快くどうぞどうぞと言ってくれました。ガイドさんは勉強のために中に入ったこともあるそうです。中は真っ暗で(あたりまえ)、強力な懐中電灯で照らしながら入るそうですが、数十メートルほどで行き止まりになってるとか。吾妻鏡の話じゃ一日一夜かけてやっと往復するような深い穴だってことになってるんですけどねえ。ただ、吾妻鏡の仁田四郎は狭くて引き返せないような穴を進んでいるので、這って入るような隙間だったらあるのかもしれないです。そこらへんは聞き漏らしました。

DSCF9934s  人穴周辺には、いたるところに墓石のようなものがあります。これらは墓ではなくて、供養塔なんだって。誰を供養してるかっていうと、富士講で先達(せんだつ)と呼ばれる人たちを供養してるらしいです。先達というのは宗教的指導者みたいな役割の人らしいです。各地の富士講にもいるし、角行のような全国的なカリスマもいるようです。右手前の石碑に食行身禄の文字が見えるでしょうか。

 富士講は戦国時代の藤原角行が開祖だと書きましたが、盛んになったのは江戸時代です。村上光清(むらかみこうせい)と食行身禄(じきぎょうみろく)という、角行の何代目かの弟子が当時の教祖的な人たちだったらしいです。はい、出た、食行身禄。白糸の滝に供養塔があった、あの食行身禄です。

 食行身禄は、貧しい家の出身で庶民目線の人でした。徳川幕府の無策のせいで、民衆が餓えていることに抗議するために、ハンガーストライキに入り、そのまま死んでしまった(仏教でいうと即身成仏みたいな感じになった)という伝説があります。

DSCF9932s  この一際大きな石塔は、藤原角行の供養塔だとガイドさんが言ってたと思うんですが、石段の下からここいらへんまで来るのにけっこうな量の情報が降り注いでいるので、だんだん記憶があいまいになってまいりました(笑) 影になってしまいうまく写らなかったのですが、笠(屋根)のすぐ下の部分には梵字が刻まれていて、その下の石には漢文で何か書いてあります。

DSCF9931s  これが漢字で何か書いてある部分なのですが、よく見ると見た事もないようなおかしな漢字が混ざってると思います。たとえば最初の[彳南](ぎょうにんべん+南)からして読めない。二文字目の[イ木勺]こんな文字も読めないし、四文字目の漢字も読めないですよね。こういうのは富士講特有の文字で、今でも意味が解明されていない文字があるらしいですよ。

 ちなみに、この写真の漢文は、富士講のお経のようなものなんですが、ガイドさんが「読めたら食事をおごりますよ」とにやにやしながら言ってました。読めないって素直に答えましたけど、ややカチンと来たので、わたしあれから少し勉強して、音読みすればいいなら読めるようになりましたよ、にやにや。わかりやすい文字について説明すると、[イ木勺]の読み方は「くう」で、神様や教祖のような偉い人の名前の後につけて「様」とか「尊」とか戒名の「居士」みたいな意味になるらしいです(これはガイドさんも説明してた)。だから供養塔にはよくこの文字が使われてます。白糸の滝の写真で「食行身禄[イ木勺]」と書いてあったのも、そういう意味だそうです。[彳南][イ木勺]と書いたら読みは「ごうくう」、神様等の名前に上につける言葉なので、尊称の一種なのか、南無阿弥陀仏の「南無」にあたるよな言葉だと思います(南無=帰依しますという意味)。

 ほかにも面白いことをいろいろ聞きました。

  • 藤原角行は、人穴で修業中に毎日白糸の滝まで行き、身を清めて戻ってきては、また杭の上に立つ苦行をしていた。
  • 富士講では、富士山は極楽への入り口なので、死に装束で登山した。登って下りてきた人たちは生まれ変わるのと同じ。
  • このあたりから見る富士山は、てっぺんに三つのピークがあり、真ん中が大日如来(浅間大菩薩)、両脇は…なんだったかな、とにかく三尊の仏様にみたてられている。そのため昔からここから見た富士山がよく描かれた。日本人が富士山を描く時、今でもてっぺんに三つのギザギザをつけるのはその頃の名残(そういわれてみれば子供の頃は、てっぺんに三つぎざぎざをつけてたわ…)。
  • 人穴周辺は戦争中に軍の施設になっており、当時あった集落は強制的に立ち退かされた。戦後もどってきた人たちが、改めてここに神社を作った。
  • 人穴あたりの供養塔を見ると、江戸の富士講のものが沢山ある。上州(群馬)のは少ない。登山口が違うかららしい。
  • 静岡県富士宮市には富士山本宮浅間大社があるが、山梨県富士吉田市には北口本宮富士浅間神社がある。北口のほうへ行くと群馬など北関東の富士講のものが増える。
  • 北口浅間神社には木製の巨大な鳥居がある。三国一と書いてある。三国は日本と中国と天竺(インド)で、富士山が世界一の山だという意味(エベレストの立場は一体…)。
  •  などなど、このような話を1時間くらい聞きました(記憶だけを頼りに書いているので、聞き間違いや勘違いで覚えていることなども混ざっているかもしれません)。とにかく話し好きのお爺ちゃんで面白かったです。

     富士講の話はほっとくといつまでも続きそうでしたが、お昼も食べてないし、そろそろ移動しなければなりません。富士宮市の浅間大社は寄りそびれましたが、富士吉田市の浅間神社には寄れそうです。本栖湖などを見ながら富士吉田市に向かうことにしました。

     途中で巨乳の美女が食事をしてるすごい場面を見て、思わず下りてみたり… IMG_0671s ▲巨乳美女。すばらしく広大な牧場。映画『カルメン故郷へ帰る』みたいだーとかお前何歳だよ的なことを連呼する。あれはセンゲン繋がりでも富士山麓じゃなく浅間山麓でしたけど。

    IMG_0679s  13時半くらいに道の駅朝霧高原に到着。ここはここはもう山梨県です、え、味のちんぽ路?! ああ、さんぽ路か! すぐ裏返っちゃう幟に、この書体で「さんぽ」って書いちゃだめ、絶対だめ(笑)

     ここは、道の駅だけでなく、朝霧フードパークという施設が併設されてて、酒蔵もあったし、あさぎり牛乳の乳製品工房もありました。あさぎり牛乳の工房は、チーズを作ってるところをガラス越しに見られて、係りの人がいろいろ説明してくれるので面白かったです。話が面白いので買うつもりもないのにパンやチーズを買ってしまいました。だって「小麦粉より牛乳のほうが沢山入ってるパン、その証拠に成分表のトップが牛乳(多い順に書く決まりだから)」とか言われたら買っちゃうでしょ? IMG_0695s IMG_0694s あさぎり牛乳パン。成分表は確かに牛乳がトップ。そんな配合で生地を作ったら、型にはめなきゃ焼けないんじゃないかって思うんですが、楕円形のライ麦パンみたいな形してるの。薄く切って軽く炙って食べたらほんとに美味しかったです。

    IMG_0681s ▲この穴の開いた岩は、富士山の溶岩が固まったもの。穴は樹木の痕跡。木が生えてるところに溶岩が流れてきて、木を避けて固まるんだけど、木は燃えたり枯れたりしてなくなってしまい、穴が残るという仕組み。

     次にたどり着いたのは本栖湖。到着したのは14時ちょっと前くらい。 DSCF9941s ▲本栖湖:富士五湖のひとつでしたっけ? なんかいい感じですね。湖岸が浜になってて、ちょっと寂しげなのが素敵。

     本栖湖には貸しボートと遊覧船があるんですが、遊覧船は潜水艦の形をしてるんです。きっぷ売り場のお兄さんに「あれは潜ったりしないんですよね?」と聞いたら「形だけです。潜りません」って言うの。まあそれは想像通りなんですが、なんでわざわざ潜水艦の形にしてあるのかって思いません?

     きっぷ売りのお兄さんは聞かれたことにしか答えない人だったので「湖の中が見えたりしないの?」と聞いたら「見えますよ」ってこれまたそっけなく教えてくれました。どうも、お兄さんの口ぶりだと、目立たない淡水魚がちょっと見えるだけで面白くはない、というようなニュアンスなんですが、それでも見えるものは見えるじゃないですか。わざわざそういうものを作っておいて、最大の売りになることをどうしてアピールしないのかよくわかりません。まあ、根が正直者なのかもしれません。正直はいいことです(たぶん)。乗りますかって聞かれたけれど、この寒い会話のあとに乗るとは言いにくいです。乗船料はいくらだったか忘れたけれど安くはありませんでした。

    DSCF9942s  これはなんの変哲もない看板ですが、よく見ると上九一色村って書いてあるの。ああ、オウム真理教のサティアンがあったのってここらへんなんだねって、たぶん地元の人たちは言われたくないと思うけど、どうしても思い出しちゃう。なお、上九一色村は分割合併されてもうないそうです。

    DSCF9943s  空を見上げると22度ハロ(内暈)が出てました。

     本栖湖のまわりで何か食べられないかと思ったんですが、観光客相手みたいな店があることはあったんですが、なんとなく気が向かず、先に進むことにしました。

     本栖湖からは、青木ケ原の樹海を横目で見ながら国道139号線を走って、道の駅鳴沢ってところで休憩したんですが、ここでもなんとなく食堂に入りそびれてしまいました。何がどう悪いとかはなくて、ここまで食べずに来ちゃったんだから、もうちょっと先まで行ってみようか、みたいな雰囲気になってしまいまして。このへんで天気がよくなって、富士山が見えました。うわ、富士山でかっ。富士山近っ。 DSCF9945s ▲道の駅鳴沢からの富士山。

    DSCF9948s ▲光学30倍くらいのデジカメで、頂上がこんなに近く写るよー。

     ここらで地図を見ると、富士五湖の西湖や河口湖も近いとわかりました。降りて観光するほど時間はなさそうですが、回り道して近くを通りました。通っただけなので写真なし。

     そしてとうとう富士吉田市の北口本宮浅間神社に到着。15時半くらい。富士山の北側をぐるっと半周くらいしたことになります。途中ずっと高原でしたが、富士吉田市までくると突然都会。ファミレスも沢山あります。しかしここまで来てファミレスに入るのもなあ、なんてことを言いながら、まずは神社で参拝。駐車場は神社の裏手にありました。無料。

    DSCF9954s ▲これが人穴の古老(ってガイドさんですけど)が言ってた木製の巨大な鳥居。写真だと大きさ感が出ないですけど、ほんとに大きいです。そうとうな巨木から作ったんだと思うのですけど、どこらへんから切り出して来たんでしょう。逆光で写らなかったんですが、鳥居の額文字は「三国第一山」です。富士山が日本、中国、天竺(当時の考えではこの三国で世界中)で一番の山だという意味です。

    DSCF9957s ▲狛犬

    DSCF9961s ▲富士太郎杉、ものすごい巨木。

    DSCF9971s ▲拝殿。なんだか立派な神社でしたよ。入り口までは誰でもいけるんですが、変わった作りだったと思います。何がどう変わってるかと言われても、うまく説明できないんですけど。

     せっかく来たのでお札(おふだ)を買うことにしました。富士山をバックにコノハナサクヤビメのお姿が刷られているお札を購入しました。あとで写真とって別の記事にでもしようかと思います。

     さて、あとは帰るだけです。ここで食事しないと高速のサービスエリアかなんかでつまらないものを食べることになりそう。何がなんでも食事しなければ。ただしファミレス以外で!

     ここいらは吉田うどんが名物らしいです。検索するとまわりに店が沢山あるんですが……おっと、どこもかしこも全部閉まってる!16時くらいなので夕飯には早く、昼飯時には遅いのですけど、日曜(4月12日)だし、観光客いっぱいいるし、なんでって感じ。夜になれば開くのかっていうと、そんな気配もなかったです。あとで知ったことですが、どうもここらのうどん屋さんは、昼飯時に2〜3時間しか営業してないらしいです(えー!!)。

     そんな中、一件だけ開いてる店がありました。玉喜亭という店です。国道139号ぞいで、となりにオレンジという100円均一店がありました。他にあてもないので入ってみることに。 IMG_0690s IMG_0689s ▲こんなお店。駐車場が広くて昔のドライブインみたいな感じ。ほかに開いてる店があったら入らなかったかもしれないけれど、これが意外と当たりだったかもしれないです。

    IMG_0689s ▲肉天うどん 610円。

     吉田の肉うどんは馬肉を使うことが多いらしいんですが、ここのは牛肉だと書いてありました。かきあげが乗ってる「肉天」にしたので610円ですが、肉だけだと480円。東京の感覚だと安いと思うんですが、地元の相場はよくわかりません。値段のわりに具はどっさり入っているし、食べごたえがあって、何より美味しいです。うどんのコシは強め。

    IMG_0688s ▲この壺の中身は唐辛子をどうにかした薬味なんですけど、肉うどんに合うのでびっくり。あとで検索してみたら「すりだね」と呼ばれるものらしいです。

     遅めの昼食だか、早めの夕食だかよくわかんない時間になってしまったけれど、吉田のうどんは美味しかったし大満足です。今度来ることがあったら馬肉の肉うどんも食べてみたいなあ。

     こうして、下馬桜から始まる、富士山半周北回りの旅は終わりです。桜見てさっさと帰る予定だったのに、結局あっちこっち回ってしまいました。下調べも何もしなかったのに、人穴や浅間神社や、個人的にグッとくるところを回れて充実した旅でした。実はわたし、東京の自宅まわわりで毎年ダイヤモンド富士を写してるんですけど、もしかすると富士山の女神が「そんなに興味あるなら近くまで来てみれば?」と呼んでくれたのかなあ、などと思ったりもします。富士山のまわりはあまり行かない場所だったんですが、面白いところが他にも沢山ありそうなので、いずれまた行ってみたいです。東京からだと案外近くて、車なら余裕の日帰りコースですね。

    ◎旧ブログの富士山関係の記事
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    特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

    富士山半周、北回りの旅 への4件のフィードバック

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