申年にウサギかとわたしも思うけれど、今年が申(さる)ってことは来年は酉(とり)である。十二支を時計のように円に配置した時、向かい側にある支の年に生まれた人が自分を助けるなんて話も聞くわけで、兎の向かい側は酉ですよ、酉。酉年生まれの人は来年ここにお参りするといいんじゃない? おお、すげー、話題を1年先取りだぜ。早過ぎてだれも付いてこられなーい!
まあそれはともかく、調神社です。ここには七不思議があるという。
1. 鳥居がない
2. 狛犬でなく狛兎
3. 境内の池に放たれた魚は片目になる
4. 松がない
5. 日蓮上人駒繋ぎのケヤキ
6. 蝿がいない
7. 蚊がいない
「どのへんが不思議なの?」と思う例もあるし、6と7はかなりウソ臭いというか、数合わせのような気がしなくもないけれど、なくて七癖(ななくせ)デカ七曲(ななまがり)あってよかった七不思議ってなものですからね。え、なんでデカが七曲なのかって?やだなあ、太陽にほえろに決まってるじゃない。あいたた、古すぎて誰もついてこられません。
▲ここが調神社。訪問は正月2日、つい一昨日です。青いパイロンが目に染みる感じですが、初詣期間中につき致し方ございません。
調神社は第九代開化天皇の御代、乙酉三月に創建されたといわれています。第十代崇神天皇の御代に、倭姫命がここに神宮への調物(みつぎもの)を納める倉をたてて、搬入のさまたげになる鳥居を片づけてしまったのだそうで、それ以来この神社には鳥居がないのだとか。ちなみに言葉通りに解釈すると3世紀か4世紀の話だから、今からざっと1700年くらい前の話。
調神社は「つきじんじゃ」と読むのですが、月と同音なので、いつの間にか神の使いが兎ってことになったそうです。では、お祀りされているのはどんな神様かっていうと、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、豊宇気大神(とようけたいしん)の三柱とのこと。月読尊はスルーなんですね?
鳥居がないのが七不思議のひとつと書きましたが、実は一世代前の本殿の前にはちゃんと鳥居があったりします。 ▲現在の本殿にむかって右横、鳥居の奥の覆堂の中に、旧本殿が保存されている。
▲旧本殿が納められている覆堂。中には漆かなにかで黒く塗られた小さめのお堂があり、現在は稲荷社ってことになってる。豊宇気大神が稲荷神と同一視される関係だろうか。
▲境内の池にはなたれた魚は片目になる。七不思議その三。ちなみに写真の池は新しいもので、問題の池はすでに消失しているとか。
ちなみに、片目の魚伝説は日本全国にあって、たとえば「戦で片目を失った武将がここで傷を洗ったため」とか「弘法大師が半身の焼き魚を池に放ったところ、生き返って片目の魚になった」とか、伝説がついていることが多いです。神様に捧げたものを人が捕らないように、放つときにわざと片目を潰す風習が言い伝えになったんじゃないか、なんて説があるようです。
七不思議の四「境内に松がない」は、天照大神が、旅に出た弟神を待ちくたびれて「もう待つのはうんざり」と言ったら松が生えなくなったという昔話があるそうです。あちこち見回すと、たしかに松らしいものはなさそうでしたが、松のない神社って、けっこうありません?
そういえば、松嫌いの神様ってのも類話がいくつかあるはずです。たとえば妻沼の聖天様が松嫌いだってのはわりと知られた話かも。
七不思議の五、日蓮上人駒繋ぎのケヤキは、日蓮が流刑地の佐渡へ向かう途中、難産で苦しむ妊婦を見て、ここに馬を繋いで祈祷した、という伝説があるそうです。流刑されるのに馬に乗ってるものなのかなあという、うすらぼんやりした疑問はありますが、問題のケヤキは切り株の状態とはいえ現在も残っており、石碑があるらしいんですが、この日は人が多すぎて確認できず。
七不思議の六・七。蚊がいない、蝿がいない。神様が蚊や蝿をきらって寄せ付けないからというのが理由だそうです。
▲神社の前の材木屋さん。並べた材木にサルのイラストが可愛い。隣にある美術研究所の生徒さんの作品だろうか?
▲マンホール。真ん中のマークはさいたま市章で、頭文字のSをモチーフにして人もまちも前進するイメージだそうです。点が人の頭なのはわかりましたが、残念ながら i の字に見えてしまう。
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なつかしいな。ワタクシ、十九のときに、鹿児島から西川口に出てきて、同郷の先生のやつてる美術の予備校に通ひ始めたわけですが、浦和には、彩◎舎といふ別の美術予備校があつてさ。(その看板のとなり?)それと、品揃へのいい画材屋さんも浦和にあつてさ。一度、彩◎舎を見学に行つた折りに、このウサギさんを確かにみた記憶はあります。当時読んでゐた、トンデモ言語学者の川崎真治といふひとによると、ツキはキツツキのツキと同じで、鳥神だとか。ウサギとの整合性はどうすんのか?と思ひました。
!!!
なんと、くしひさん絵も描けるんですか?
能ある鷹も爪を隠し続けると鈍らになって使えなくなりますよ。出し惜しまずに垂れ流すべきなのでは。
調神社を「つき」と読ませるのは、確かに謎。
月と結びつけるのがいつごろからなのかよくわからないし、兎との整合性はなくても良さそうだけど、
キツツキのツキじゃ余計に意味がわからないです。
トンデモは大好きなので、
「境内にケヤキらしき古木が沢山あるので槻神社だったのでは?」
という新説を、たった今でっち上げたので言いふらしていいです(おいおい)。
調(みつぎ)の発音が「つき」だった時代があるから、っていうのが一般に受け入れられてる説みたいですけどね。
芸大に三回落ちたのち、某インド哲学科に入つちまつたので、爾来、全く絵を描いてないのよね。かつこつけて、筆を折つた、なんて言ひわけしてますけどね(苦笑)