また来てしまった善光寺。前回は人生初善光寺なのに七年に一度の御開帳などというビッグイベントに合わせてしまい人ごみに揉まれて極楽を見そうになったが、今度は大丈夫。連休だけどイベントがないからこのとおり寂しい状態である。え、これで寂しいのかって? ふっ…御開帳のすごさはこんなもんじゃないぜ。ドラクエ10に譬えるなら1鯖から40鯖まで全部「こんざつ」で、イベントキャラのいるエリアに数時間前から入場制限がかかる、それが御開帳だぜ(そんな譬えじゃサッパリわからん)。
そのような大イベントのある寺なので、駐車場は豊富である。この日は駐車場もガラッガラ。走って行って最初に目についたところに置くことにした。善光寺の駐車場は2時間500円で、超過すると1時間ごとに200円。あまり考えずにお寺の駐車場に置いたが、まわりに1日500円の看板を出してるお土産屋さんがけっこうあった。
最寄りの門から境内へ。日本忠霊殿・善光寺史料館の前にたどり着いた。前回見てないので入ろうとしたら、入り口で「お戒壇巡りの券と共通なので」と言われた。お戒壇巡りってのは御開帳の時に極楽見そうなくらい行列してたイベントNo.3くらいのやつじゃないか。ちなみにNo.1は回向柱にタッチ、No.2は御印文を頭にポンポンしてもらうやつ。てっきり全部期間限定イベントなのかと思っていたら、お戒壇巡りはいつでもやってるらしい。よし、行こう、ってかちゃんとお参りしろわたし。
本堂へ来てみると、発券所は自動販売機だった。御開帳の折りには本堂をとりまくほどの行列だったお戒壇巡りもこの日は待ち時間なし。ちなみに史料館との共通券が500円。山門も見るなら1000円だけど、門は入り口で買っても500円なので共通券割り引きはない(混雑時に発券所で並ぶ手間が省けるだけ)。
さて、お戒壇巡り(おかいだんめぐり)。やるのは始めて。床下の通路を巡って出てくるだけらしい。話だけ聞くと京都の清水寺などにある「胎内巡り」の一種じゃないかと思える。薄暗いところを歩いて仏像かなにか撫でて帰ってくるやつだ。いくつかの寺でやったことがあるので、そういうものだろうと高をくくっていた。
入り口で入場券を渡すと「右手を腰の高さで壁に触れて歩いてください」とか言われる。なんでそこまで具体的な指示があるんだろう。たいていの胎内巡りは薄明かりがついているし、よほどの鳥目じゃなければ手探りで歩く必要なんかないはず…
ところが、善光寺のお戒壇巡りはそんな甘っちょろいもんじゃなかった。入り口から階段を下り、数メートル歩くと薄暗くなり、最初の角を曲がると、そこは本物の闇。目を閉じたように完全に何も見えなくなる。えー、うわー、ほんとに手探りじゃないと歩けない。前でしゃべってる人の背中も見えなければ自分の手足も見えないのである。言われたとおり右手で壁をさぐり、足で床も探りながらソロリソロリと歩いて行く。
▲善光寺・お階段巡りの図。実際には真っ暗で何も見えないので絵は完全に想像。天井はこの絵よりもう少し低い。頭を打つほどではないが、手を伸ばすと天井に触れられる程度。
通路の幅は人が二人並んで歩けるくらい。角ごとに立ってる柱がやたら太い。大した距離じゃないはずだけど、真っ暗なのでけっこう歩いたような気持ちになる。二番目の角を曲がってしばらく行ったところに何かあった。腰の高さくらいの壁に四角いへこみ。へこみの中に何かついてる。縦に長くて太い何か。触ると左右に揺れてガチャガチャ言う。なんだろうこれ。ドアの取っ手のような感じだがやけに太い。大人の腕くらいの太さがありそう。これが取っ手なら、この窪みはやはりドアなのだろうか。まさかこんなところに非常口……いや、それにしては背が低い。ここをくぐろうとしたら床に手をつくくらい屈む必要がある。そもそも、どうして手で触れられるところにこれがあるんだろう。暗闇を歩くだけのアトラクションで、雰囲気を壊すようなものがここにあるとしたら興ざめじゃないか。…などと考えながら三番目の角をまがると外の光が見えてきた。もうすぐそこが出口である。光がまぶしい。出口は入り口のすぐ隣にあった。何か四角いスペースのまわりを一周したような気がする。
あまり混雑していなかったのでもう一周してしまった。二周目は、ガイドらしきお爺ちゃんが少し後ろにいたらしく「右手を腰の高さに」っていう注意を繰り返しながら「途中に鍵があるので触ってください。触っていいんです。左右に動かして。沢山動かせば幸せになるといわれています」と説明していた。何だと、あの太いドアの取っ手みたいなやつは鍵なのか!なんでもあの場所には極楽の入り口があり、鍵で閉じてあるそうだ。その鍵に触れて動かすと御利益があるらしい。一体どんな鍵なんだろう。いくら空いてるとはいえ、前にも後ろにも人がいるし、ゆっくり探ってみるわけにもいかず、結局よくわからない。とにかくそこには極楽の入り口があるらしい。なんてこった!
階段を下りるので通路は床下にあるはずだ。位置はお坊さんがお経を読んだりする場所(内々陣?)よりもさらに奥っぽい。ということは御本尊様などがいるかもしれない場所の下を巡ってるんじゃないだろうか。善光寺の御本尊様は完全秘仏で誰も見た事がない。伝説によれば、特殊な金属で作られた仏像で、像でありながら生きているとのこと。そのような御本尊様の真下に極楽の入り口があるのか…! あんまり面白いので何周でもしてしまいたいが、欲張るのもよろしくない。またいずれ来ることにして三周目はやめておいた。
あっちもこっちも見たいけれど、到着が遅かったので急がなくては。最初に見ようとしていた日本忠霊殿・善光寺史料館に行くことにした。日本忠霊殿自体は、戦争で亡くなった人の慰霊のための建物だが、併設されている善光寺史料館は戦争とはあまり関係がなく、奉納された江戸時代以前の絵馬が沢山展示されていた。
絵馬というと、願い事を書いた小さなものを想像するが、願いが叶ったお礼にも奉納するし、四十八回参拝した記念であったり、様々な理由で奉納される。大きさもさまざまで、物語の挿し絵のような立派な絵が書いてあったり、奉納する理由が物語のようにびっしり書いてあることも。いちいち解読したら面白いだろうなと思う(おおまかな話は解説板にも書いてあったが)。
▲絵馬のイメージ。阿弥陀様が脇侍をつれて降りてきて、目からビームやスペシウム光線みたいなものを出してる絵が沢山あった。
たとえば、歩けない少年が参拝すると突然足が立ち、乗ってきた台車(親が引いてきたんだろう)は不要になったので置いて帰ったとか、目が見えない婦人が、この上は善光寺様におすがりするしかないと、道に迷いながらもやっとたどり着いたところ、たちまち目が見えるようになったとか、功徳で病気が治ったお礼がけっこうある。
鍼灸医が奉納した絵馬も面白い。うろおぼえだけどこんな話だ。自分は夢で善光寺様の眷族である僧侶から鍼の技術を習った。妻が病で死にかけた時、お告げを思い出して治療を施したところ快癒したので、それからは人々に鍼治療を施している、とか。もちろん絵が書いてあり、ポスターのような大きさだ。奉納した絵馬はどこかに掲示されていただろうし、お礼にかこつけた広告だったかもしれない。ス テ マ か っ !
▲忠霊殿近くで見つけた乳牛の像。善光寺は牛にまつわる伝説があるので奉納されたものだろう。かたわらに森永乳業と刻印された金属板がある。時代が変わってもやることはだいたい同じである。
▲門などに寺の名前を書いた額(扁額)があるが、善光寺の扁額には鳩が五羽いると昔から言われている。さくさくっと答えられるとドヤ顔できそうなので覚えておくと良いかもしれない。そんなことより私には善の字が真っ正面から見た牛の顔に見えて仕方がない。
◎関連記事:善光寺の御開帳で極楽を見そうになった話
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20150511p1893
絵馬のイメージが前光寺になっているが、正しくは善光寺。
なお早太郎の寺は光前寺です(関係ない情報も混ぜて混乱させてみる遊び)。
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