高いなあ、とか言ってたら、道行くおじさんに「愛宕神社ですか?」と聞かれました。
「ええ、愛宕神社こっちって看板があったので…」と返事をしたら、おじさんはバッサリ「常時誰もいませんよ?」
どういう意図で言われたのかよくわからなかったので、あ、そうなんですか、と軽く受け流したら、おじさんがさらに「左甚五郎の彫刻があるんだったかな。入り口に書いてありますよ」と教えてくれました。
てっぺんは、神社というより地域の撚り合い所みたいな建物がありました。どうもそれが拝殿なのですが、わざわざ看板を立てて人を呼ぶほどの何かには見えないので、ああ、なるほど、だから下で会ったおじさんが謎の発言をしてたんだなあと納得。そこでテンションが下がったのか、今確認したら拝殿の写真は一枚もとってなかった(笑)
傍らに由来を書いた石碑がありました。あ、なるほど、おじさんが言ってたのはこれだ。「現在の社殿は創建より六十七年後の宝永五年(1708年)に再建され表六尺奥行六尺五寸の総欅造りにすぐれた彫刻が施され、四隅に竜の彫刻正面に飛騨の名匠、左甚五郎作と伝へられる鷹の彫刻がある。古来より飛ぶ鳥恐れてこれをさけると語り伝へられている」と、なぜか中途半端な古典的仮名遣いで書かれていました。
社殿というのはこれのことでしょうか。拝殿らしき建物の後ろにありました。それほど大きくはないのですが、たしかに彫刻が立派です。でも、四隅の竜??正面の鷹????という感じ。人が近づかないように鉄の格子があって、その隙間から見ているので竜も鷹もさっぱりわかりませんでした(笑)
石段の下に道祖神がありました。猿田彦太神と刻まれています(大じゃなくて太だよね?)。隣に青面金剛があり、庚申塔なんだと思うのですが、側面と背面に「しまた・はむら道」「龍ケ崎・成田山道」などと刻まれており、道しるべにもなっています。。猿田彦太神は明治十八年四月、青面金剛は天保七年申十一月の日付がありました。
【追記】
社殿の彫刻があまりに見事で、何かの故事にちなんだ彫刻なのだと思い、少し調べてみたところ、どうも周の武王の伝説のようです。
▲向かって左側面の彫刻です。左に立派な車に乗っている貴人、右に馬に乗って槍を構えた武将がいます。龍が降りてきて両者の間に割り込んでいます。これは「金龍、周武王を護るの図」というやつですね。
参考にしたサイト>
http://www.syo-kazari.net/sosyoku/jinbutsu/buou/buou1.html
http://takaoka.zening.info/Toyama/Yatsuo_Hikiyama_Matsuri/Suwa-machi_Kohei.htm
左側面や、背面にも彫刻があって、たぶんいちいち違う故事に由来しているので、さらに調べてみます。
▲向かって右側面の彫刻。手に扇を持った人が馬車に乗っている図です。これだけだと、誰なのかさっぱりわからないのですが、どうも太公望の「覆水盆に返らず」らしいですよ。理由はあとで書くことにして、背面の彫刻も見たいと思います。
▲馬に乗った二人の武将の前に、牛を引いた農夫がいる図。どうやら桓公が寧戚に出会った時の様子らしいです。
寧戚は薄汚いかっこをして裸足、牛の角をたたきながら歌を歌っている。「南山燦,白石爛,中有鯉魚長尺半。生不逢,堯與舜,禪短褐單衣才至。鼾黃昏飯牛至夜半,長夜漫漫何時旦」優秀な人材は沢山いて、せっかく生まれてきたのに仕えるべき聖人君子に出会えない。みすぼらしいなりをして牛に餌をやり、それだけで一日が終わる。夜はだらだらと続き、いつになったら夜明けが来るのか…
これを聞いた桓公は、痛烈に皮肉られたのだと思って激怒し、自分の両脇を守っていた二人の武将に寧戚を捕らえて処刑するように言うのですが、寧戚は少しも恐れず、ため息をついて「龍逢や比干のように自分も殺されるのだな」と言う。その様子がタダモノには見えないので、桓公は処刑をやめ、あらためて寧戚の話を聞くと、彼は貧乏な牛飼いなどではなく、桓公の腹心である管仲の紹介状を持っているのでした。牛飼いのふりをしたのは、桓公が自分の主としてふさわしいかどうかを試すのが目的でした。
…と、ここまでわかってから、二番目の彫刻についてもう一度考えてみるわけですが、最初の「金龍、周武王を護るの図」は、『絵本写宝袋』という古典戚の巻五にそっくり同じ構図の絵があるそうです。探して読んでみましょう。
富山大学学術情報リポジトリ・絵本写宝袋
↑ここから、巻五をダウンロードしてみると、最初にいきなり「金龍、周武王を護るの図」があって、次に「太公望 覆水重て盆に収らず」があります。団扇を持った人が傘のついた馬車に乗っています。完全に一致!!さらにページをめくると寧戚が牛を曳いて「南山燦,白石爛…」と吟じている絵もみつかりますから完璧ですね。
本の挿し絵では右下に女性がひざまずいていますが、これは太公望の奥さんです。太公望は若い頃に本ばっかり読んで、ぐーたらな生活をしていた(ように見える)ので、奥さんが愛想をつかして逃げてしまいました。その後、大変な出世をするわけですが、そこへ元妻が現れて、よりを戻したいというのです。しかし、太公望は盆にはった水をこぼし「覆水盆に返らず」と諭して相手にしなかったというお話。愛宕神社の彫刻では、奥さんが省略されてるのが少し謎ですね。何か意味があるのでしょうか。
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