薬包紙(やくほうし)というのは、薬を包むための紙です。昔はお医者さんで粉薬や錠剤をもらうと、薬包紙に包まれていました。薬を入れて、折って閉じるのですが、いくつかの決まった折り方があります。わたしが知っているのは上の写真のような三種類です。わかりやすいように色のついた折り紙で折っていますが、実際にお医者さんが使っていたのは、薄く半透明な紙で、湿気を防ぐような加工がしてありました。パラフィン紙とか、硫酸紙とかで、薄手のものが近いんじゃないでしょうか。
いつごろの「昔」かっていうと、一言では説明しにくいです。30〜40年前にはお医者さんが分包機というものを持っていて、機械で小袋に詰めてしまうので、普通の薬は薬包紙じゃなかったです。ただ、一部の特殊な薬は薬包紙で包んでくれたし、市販薬でも、ケロリンが平成に入る頃まで薬包紙だったと思います。あと、太田胃散も昔は薬包紙に包まれてたという話を聞きました。…と、ここまで書いてひらめいたので検索してみたら、改源(カイゲン)が今も薬包紙らしいですよ。漢方系の粉薬だと今もそうなのかも。>改源の公式ページ(写真をよく見ると左手前に薬包が写ってる)。
せっかくなので折り方を紹介します。この折り方を知っていると、細かいものを糊付けなしで包んでおけて、ほどけないのでとても便利です。
タイプ(1)
▲まず三角に折ります。この時、角を「ずらして折る」のがコツ。ここをぴったりに折ってしまうと開きにくくなります。(1)〜(3)のどのタイプも、まずこの三角に折るところから始まりますから覚えておいてください。
▲右上の辺も斜めに折ります。Aの部分がはみ出すように折ること。
タイプ(2)
タイプ(2)は(1)と折る角度が違うだけです。
タイプ(3)
▲てっぺんの角を下に折るのですが、Aの部分が底辺からはみ出すように折ります。
千羽鶴の話
折り鶴は、少なくとも江戸時代にはありました。では、何かを祈願するために千羽折るようになったのはいつごろのことでしょうか。わたしは案外新しいんじゃないかと思うんです。明治以降とか…ひょっとすると昭和初期とか…?江戸時代の本に『千羽鶴折形』というのがあります。この本の「千羽鶴」は鶴を千羽折ることではなくて、一枚の紙に切れ目を入れて、複数個の鶴を折る、折り鶴のバリエーションを紹介する本です。
▲たとえばこんな、1:2の長方形の真ん中に半分切れ目を入れて、これで鶴を二羽折るのですが、どうなると思いますか?
答え
↓
▲こうなります。片方が銀色なのは紙の裏が出るように折ってるからです。
『千羽鶴折形』という本には、もっと複雑なものが沢山掲載されています。
◎折り紙アートミュージアム:「秘伝千羽鶴折紙」の再現
http://www.origami-art-museum.com/#!senbaturuorikata/c22z9
↑ここで中身が見られますので、興味のある方はどうぞ。江戸時代の千羽鶴折りは、この本のようなパズル的な遊びだったようです。なぜ「千」かというと、鶴は千年生きると言われているので、その千にかけたのと、「そのくらい沢山のバリエーション」というニュアンスじゃないかと思うのですよ。
では、折り鶴を千羽折る、現在と同じ千羽鶴が江戸時代になかったのかっていうと、これは正直言うとわかりません。そういう例をわたしが知らないだけかもしれません。ただ、紙が今よりずっと貴重なはずですから、なんの実用性もないものを単純に千個というのは、ずいぶん贅沢な使い方だなあ、とは思います(書き損じの紙を使う可能性はありますが)。
日本には「千個信仰」みたいなものがあります。たとえば天女の羽衣の話に「わたしに会いたくなったら草鞋を千足作ってください」というのがありますよね。それを伝って天まで昇れるはずだって言うのです。ところが約束の期日までに999個しかできなくて夫は天に昇れませんでした。戦争中には千人針というのもありました。千人が一針ずつ縫ったものを身に付けていると鉄砲の弾に当たらないと信じられていました。そういう千個信仰がまざって、いつしか折り鶴を千羽折ると願いがかなうという話になったんじゃないでしょうか。
しかも、わたしは薬包紙で折り始めたのが最初だろうと思っています。昔の人は同じ形のものが沢山余ると誰かが必ず何かを作り始めます。捨てる前にもう一働きさせないと気が済まなくなるんです。正方形の薬包紙なら誰だって鶴でも折ってみようと思いつくでしょう。昔の入院生活は退屈でした。テレビもない、ラジオもない、していいことは読書くらい。いくら希望を持ってと言われても、暇だといろいろ考えてしまう。そういう生活では、手作業が想像以上になぐさめになるものです。
まあ、あまり根拠のない想像です。お気に入りやリツイートを沢山ありがとう。
【薬包紙】パラピン(小) 500枚入 【2個までメール便ご選択可能】 |
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