茨城県神栖市日川の蚕霊神社 #養蚕 #神社

DSCF1080s 養蚕にまつわる神社をたずねる旅。今回は神栖市の蚕霊神社です。

DSCF1078s ▲茨城県神栖市日川・蚕霊神社(さんれいじんじゃ)。

 蚕霊と書いて「こだま」と読ませることが多いような気がしますが、こちらは神社の前にある解説板に「さんれい」の仮名がふってありました。検索で「これい」と読ませてる人もいたので、複数の読み方があるのかもしれません。

 小さな神社で、まわりは農地と住宅。一番近い駅から徒歩で一時間半くらいかかりそうな感じ。銚子駅からの路線バスが近くに止まるみたいだけど本数が少なくて交通の便はあまりよくありません。今回はおともだちの車に乗せてもらって行ってきました。

DSCF1080s ▲額束は旧字体で蠶靈神社。

DSCF1081s ▲鳥居をくぐったところ。

DSCF1082s ▲狛犬は新しく、平成十四年奉納と刻まれていた。

DSCF1086s ▲拝殿。扁額には奉納者の名前が書いてあり、明治四十一年九月の日付が入ってた。

DSCF1093s ▲本殿。素朴な彫刻がほどこされ、鮮やかに塗られている。小さいながら立派な社だ。

DSCF1079s ▲由来を書いた説明板。平成七年に立てられたもの。以下はその書き下し。

蚕霊神社(さんれいじんじゃ)の由来

 孝霊天皇の五年(紀元前二八六)の春三月。豊浦浜(日川)の漁夫権大夫は、沖に漂う丸木舟を引き上げて見ると、世にも稀な美少女が倒れていた。少女は天竺(インド)霖夷国霖光(りんいこくりんこう)の一女金色姫。母光契(こうけい)夫人の没後に入った継母は、もの凄い妬み者。国一番の美女ともてはやされる姫が憎くてたまらない。思い余った末、獅子山、鷹の巣山、絶海の孤島におしこめてしまったのに、その姫は獅子に鷹に漁夫に助けられて戻ってくる。業を煮やした継母は、城の片隅に穴を掘って埋めてしまった。

 こうなればと不気味に笑った継母は驚いた。

 埋めた場所から、まばゆい金の光がさして来たからである。憎さ百倍した継母は、桑の木で作った丸木舟に押しこめて、大海に投げ込んでしまった。流れ流れた丸木舟は、常陸国豊浦に流れつき権大夫に救われたのだった。

 余りにも数奇な運命に心痛めた権大夫は、わが事して愛育する甲斐もなく、病死した姫は小虫となり変わってしまった。これも姫の化身と桑の葉を与えて飼育していると、四眠して五回目に美しい糸を吐きながら、繭を作ってその中に納まってしまった。その繭から繰りとった絹糸で降上げられたものが、見事な常陸絹織となって、その名声は高く、各地に広がっていった。

 かくて養蚕は、新しい産業として、人々の生活を潤し支えていった。この偉業に対する感謝敬慕の念が凝り集まり、産業の創始先駆者の象徴として、造営されたのが蚕霊神社であり、永くこの地域の守り神となって鎮座されている。

 時移り世代わってともすると、この神の治績(じせき)が薄れ去るのを惜しみ、ここにその由来を記して、改めてその偉業を追慕するものである。

撰文 中村ときを
平成七年三月
神栖町教育委員会
神栖町歴史民俗資料館

 この話は『養蚕秘録』という江戸時代の養蚕秘伝書に収録されている伝説とほぼ同じもので、茨城県の各地に伝わる伝説です。群馬県にも同じ伝説を伝える地域があるようです。以下は養蚕秘録からの抜き書きです。

養蚕秘録:天竺霖夷大王の事

 或書云、むかし天竺旧中国に霖夷大王といへるあり。后を光契夫人といふ。一人の姫あり、金色姫といふ。后薨じ給ふて後大王又新たに后妃を具し給ふ。

 此后妬ふかく姫をにくみて父王に讒言し姫を獅子吼山といふ所に捨てさせぬ。しかるに天の加護にや有けんつゝがなくましまして獅子に乗りて旧中国に帰らせ給ふ。よつて又鷹群山といふ所へ捨て給ふ。此時多くの鷹ども来り肉を供じて姫を育みける。大王の臣下此よし遙かに傳へ聞密かに姫を供奉して都に帰る。后又姫の帰るを悪み海眼山といふ嶋へ流し給ふ。此時漁夫姫を助けてもとの都に送ける。后大きに怒て臣下に命じ御殿の庭を深く掘て姫を埋め殺させけるに、其後土中より光明赫やきけるをあやしみ、大王掘らせ見給ふに、彼の姫いまだ恙なくおはせしかば、又桑の木のうつほ船に乗せ滄海へ流し給ふ。

 然るに此船日本常陸国豊良湊へ流れ寄る。浦人これを助け介抱しけるに、幾程もなく彼姫虚しくならせ給ひ、其霊魂化して蚕と成けるとかや。

 此故に蚕初の居起を獅子の居起と云、二度めの居起を鷹の居起、三度めを船の居起、四度目を庭の居起といへるは、彼姫天竺にて四度の難に遇給ひし事をかたどりてかくそ名づけし事とぞ。

底本:http://www2.dhii.jp/nijl_opendata/NIJL0233/049-0193/19
ここより書き起こし、句読点と改行を追加。

 養蚕秘録の話、いちおう要点を箇条書きにしておきます。

・金色姫、霖夷大王の娘として生まれるが、早くに実母を亡くす。大王は後妻を迎える。
・姫、継母(後妻)に四度いじめ殺されそうになる。1.獅子責め、2.鷹責め、3.船で島流し、4.庭に生き埋め
・四度目に父王が気づく。
・丸木舟で海に流される[誰に?]
・日本は常陸国、豊良湊に漂着し、土地の者に救われるが、死んでしまう。
・姫、蚕に姿を変える。
・姫の「四度」の受難が蚕の居起(いおき、脱皮の前に眠ったようになること)を意味しているという説明。

 姫が流れ着いた「豊良湊」というのは場所がよくわからないようですが、いくつか候補があり、同じ茨城県の川尻のことだとも言われています。

◎関連記事 十王(川尻):うつぼ舟伝説と蚕養神社
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1797
↑この記事は、茨城県内にある別の神社に参拝したときの記事です。蚕養と書いて「こがい」と読むようです。


【丸木舟は受難じゃないのか?】
 ここからは余談ですけど、ついでなので書いときますね。

 養蚕秘録では、金色姫は「四度」難にあったとはっきり書いています。獅子責め、鷹責め、船で島流し、庭に生き埋め、これで四度です。

 しかし、そのあとに「丸木舟で流され、日本に流れついて死ぬ」というのがあります。この「丸木舟」というのは、蚕が最後に繭を作って、その中にこもってしまうことを象徴しているのですが、養蚕秘録ではこれを「難」のうちに入れていません。一体なぜでしょう?

 川尻・蚕養神社の説明板では、父王が姫を守るために丸木船で逃がしたのだと解釈していましたが、姫を守りたいなら継母のほうを追放すればいいのでは??

   これには首をひねっていました。しかし、よくよく考えると、最後の丸木舟(繭)を受難とすると都合がよろしくないのです。

 お蚕は糸をとるために育てます。糸を取るには繭を茹でるのですが、中の虫が蛾になって出てくる前にしなければならないんです。つまり、お姫さまは糸をとるために殺されてしまうのです。これを悪のように説明したのでは、養蚕にたずさわる人たちに救いがありません。姫=お蚕は、あくまで悪い継母にいじめられて弱っているのであって、繭に入って死ぬのは、苦しみ多き現世からの開放じゃなきゃいけないんです。

 養蚕自体は『日本書紀』が編纂された頃にはすでに存在していたようですが、産業として盛んになったのは江戸時代中期以降のことだそうです。つまり、それまで野菜を作っていた人たちが現金収入をえるために突然お蚕を飼うようになったということです。そこで問題になるのは「虫を扱うなんて気持ちが悪い」という生理的な嫌悪と「お金のために殺生を行うなど業の深い仕事はしたくない」という宗教的な嫌悪です。

 この嫌悪を解消し、養蚕を普及させるために、江戸時代にはさまざまな啓蒙活動があったんじゃないかと思うのです。たとえば、養蚕の様子を描いた錦絵を見た事がないでしょうか。

IMG_4957s ▲五雲亭貞秀「蚕育之図」、岡谷蚕糸博物館のパンフレットから。

 振り袖を着たお嬢さんたちがきれいな座敷で働いています。背景には壁画のようなものがあり、よく見ると蚕の餌になる桑を摘み、それを刻んでいる女性が描かれていますが、やはり美しい着物を着ています。こういう絵が沢山残されているのです。「明るい職場」「きれいで楽な仕事」「豊かな生活」「求む、ウーマンパワー!」などのスローガンが伝わってきませんか?

 また、江戸時代には養蚕の入門書のようなものが沢山出版されました。そういったものを読むと、「蚕は神から与えられた虫」「家内安泰でなければ育たない」「絹は殿上人の着物になる」「古くは雄略天皇のお后様が手ずから行った高貴な仕事」としつこいくらいに書いてあります。

 各地に養蚕神をまつる神社をたて、金色姫の伝説を広めるのも、そういった啓蒙活動の一環だったんじゃないかと、わたしは思っています。

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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

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