亀有駅のすぐちかく、見性寺というお寺には、狸を供養する塚があります。
昔どっかに書いたような気がするし、以前写真も撮りに行った記憶があるんだけど、どこを探してもみつからないのでもう一度書いておこうと思います。
裏側に「亀有駅北口通 供養主 太平堂 平三八 昭和廿八年冬」と、「そのむかし狢うめたる○○かな 山芋」という俳句が刻まれているのですが、○○のところはくずし字で「落葉」か「若菜」のどっちかっぽいけど、内容から考えて落葉かなあ。
この塚の由来は、たしか『葛飾百話』という昔話の本に載ってたと思います。手元に本がないのでうろ覚えですが、常磐線にひかれて死んだタヌキの供養塔だとのこと。常磐線の開業は古く、亀有駅ができたのも明治時代の話です。俳句に「そのむかし」とあるので、昭和二十八年に何かあったとかでなく、以前うめたタヌキを思い出して供養塔を建てたのかもしれません。
タヌキの供養塔は、墨田区の多聞寺というところにもあります。そっちを見に行った話は↓昔のブログに残ってました。
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=549
葛飾区の話もあとで紹介するかもとか書いてるので、書いたつもりで忘れたか、ログが壊れて見えなくなっているのかも。この記事だと墨田区の狸と繋がりがあるようなニュアンスですね。どうだったかなあ。そういえば化け比べの話を読んだようなおぼろげな記憶が…いかん、やっぱりもとの本を図書館に探しにいくしかないのか。図書館は昨日行ったばかりなのに…orz
…ということで、図書館に行ってきました。
『葛飾百話』より:見性寺のむじな塚
・向島の多聞寺に腹鼓名人の狸がいたが老齢のために死んでしまった。多聞寺の住職は、狸をあわれんで供養塔を建ててやった。
・多聞寺の供養塔は狸たちの羨望の的であった。我こそは次の腹鼓名人になるぞ、と練習にあけくれる。中でも亀有の狸と、葛飾(今の千葉県東葛地域)の狸がぬきんでて上手かったという。
・ある日、亀有狸の親子が線路で腹鼓の練習をしているところへ常磐線の列車がやってくる。運転士は化かされてなるものかと、スピードをゆるめず狸に突っこんだ。
・練習に夢中だった狸たちは列車に気づかず、跳ねられて死んでしまったという。
・亀有村の人たちは、見性寺の和尚さんと話し合い、お金を出して狢塚を作った。
・亀有村では狸が愛され、和菓子屋さんが銘菓・腹鼓最中が売り出された。
あくまで昔話です。狢塚の由来を正確に伝えているかわかりません。列車の運転士がバケモノを見てスピードをゆるめずに突っ込む話は、長野県塩尻市の玄蕃狐の伝説と共通の話ですし、移り変わる時代の中で化け狸・化け狐の最後を迎える話としてはお約束のパターンかもしれません。
◎関連記事:塩尻駅で途中下車、玄蕃狐(げんばぎつね)に会いに行く
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20150416p1797