繭かきは、お蚕が糸を吐き始めてから五日以上七日以内くらいにやるといいみたいです。そのくらいたつと、中のお蚕が糸を吐ききって、きちんと蛹になってるからです。早すぎると繭が完成しきらず、繭かきをする時に潰してしまいます。また、遅すぎると蛹が羽化して蛾になってしまうことがあります。繭を蛾に食い破られてしまうと生糸にはなりません(真綿や紬糸にはなるけど、それも自家用でしょう)。
うちは、早めのお蚕が6月22日の夕方くらいから糸を吐きはじめて、遅いものも25日には糸を吐いてましたから、30日にいくつか繭をカッターであけてみて、蛹になっているのを確認してから繭かきをしました。
繭かきは、全部漢字で書くと「繭掻き」らしいです。繭を掻き集めるからでしょうか。それとも繭を掻き取る(もぎ取るとか、つまみ取るとかの意味で)イメージかもしれません。江戸時代の文献を見ると、枝を束ねたもや、藁を折り曲げたものに繭を作らせているので、収穫作業はもぎ取る感じだったと思います。
現在の養蚕農家だと区画簇というものを使うので、掻き取るというよりは、押し出す感じになります。
区画簇というのは、厚紙を碁盤の目のように組んで作った繭の団地みたいなやつです。一区画に一個ずつ繭ができますが、手で取るのは大変なので、太い歯のついたクシのような道具で一列ずつ押し出します。サクッ、サクッと押し出され、下からコロンコロンと繭が落ちて、見てるとけっこう楽しい作業でした。
農家の場合はそんな感じですけど、わたしの養蚕は場合はそこいらにあるものでやる趣味の養蚕ですから、たとえばトイレットペーパーの芯を半分に切って箱に詰め込んだだけ、なんて風情もへったくれもないものに繭を作らせています。
最初は手でほじくり出していましたが、ペーパー芯をたわませて突っ込めば押し出せるじゃないかと思い付きました。一個ずつなのであまりはかどりませんが、指でほじるよりは楽でした。
今回は、紙を折って作ったテトラ簇も沢山あるのですが、こっちは手で一枚ずつひろげなきゃいけないので、少し手間取りました。
ところで、テトラ簇は、お蚕が中で水っぽい糞をするので紙が染みになりますよね。繭も汚れてしまうんじゃないかと、少し心配になるのですが、中がそれなりの広さがあるので思ってるほど失敗はありません。
お仕事で養蚕をする場合は、汚れた繭は選除繭といって不良品扱いになります。
しかし、まあ、趣味ですから、そこいらへんは気楽にやりたいと思います。お蚕の糞の染みは、繭を茹でて糸にすると、ほとんど目立たなくなる場合もありますし、風合いってことでいいんじゃないでしょうか。
染みより、簇着繭 (板つき繭)のほうが問題かもしれません。簇着繭というのは、繭の一部が簇にくっついてしまったもので、そこだけ硬く平らになっています。茹でてもそこだけほぐれにくいので、糸を取る時に切れやすいのです。こういうのも、お仕事で作る場合は不良品です。
ただし、使い道がないわけじゃなくて、こういうのはよく茹でて拡げれば真綿になります。真綿は着物や布団の詰め物にしたり、真綿からも糸を作ることができますから、繭かきの時にわけておくといいかもしれません。
というわけで、繭かきでした。繭はこのままほうっておくと中の蛹が蛾になってしまうので、うちでは冷凍庫に入れて殺します(農家では加熱して乾燥させて保存します)。
祖母もそうでしたが、養蚕農家の人たちは、まるでわが子みたいだって言いながらお蚕を育てます。でも、繭になってしまうときっぱり殺蛹してしまいます。牛だって豚だって、そうやって大事に育てたものを、肉にするために売るのですから、まったく同じです。でも、子供の頃に、殺してしまうんだと聞いた時は、ちょっと驚きました。「えっ、なんで、子供みたいにかわいいって言ったじゃない。殺さずに糸にすることはできないの???」ってなもんです。
自分で飼うようになってからは、お蚕たちの役目はここで終わるのだと考えるようになりました。あとは繭をどう使うか考えるべきなんです。それは、ちょっと前の記事にも書きましたが、家畜というのは人に利用されることで保護され、繁栄してきた生き物だからです。誰も利用価値を見いだせなくなったら、飼わなくなるので滅びてしまいます。わたしたちはそうやって、牛や豚や馬や鶏などと共生して、お蚕とも共生してるんじゃないでしょうか。
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