謎の二番から始まる水元霊場探訪 #葛飾区 #神社仏閣

IMG_7581bs 葛飾区水元に知られざる霊場(札所)巡りがある?!
2019年7月1日、長らく不明だった七番、十番がみつかりました。三番のみ行方不明です(本文最後のほうに追記してあります)。

◎飯塚の富士神社とその周辺をおさんぽ
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20151102p3200
 ↑この記事でみつけた謎の大師像「二番」。一番や三番はどこにあるのか気になって、とうとう水元中のお寺をまわってしまいました。

 ここから文中に複数系統の霊場が出てきます。ややこしいので今回追い求めている「謎の二番」の続きはすべて漢数字で、その他の霊場巡りに関してはアラビア数字で表記します。

謎の二番

IMG_3247s IMG_3248s ▲葛飾区南水元二丁目、飯塚・冨士神社北の駐車場内

 二番があるなら一番や三番がこの近くにあるはず、と思ったのが旅の始まりでした。右手に金剛杵、左手に数珠を持つのは弘法大師お約束のポーズです。四国八十八ヶ所みたいなものがこのあたりにあるに違いありません。

 なおこのあたりの寺院のいくつかは「新四国四箇領八十八カ所霊場」や「武蔵国三十三箇所霊場」(これは観音様だけど)のコースになっていますが、それらの2番はここではないので、まったく別系統の霊場めぐりだと考えられます。石像がなんとなく新しく見えるのも気になります。「武蔵国」は1697年、「新四国」は1841年に始まった霊場巡りですが、謎の二番はそれよりもっと新しい時代のものかもしれません。

十八番

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▲西水元一丁目・安福寺(夕顔観音):真言宗豊山派寺院

 次にみつけたのはこれです。「謎の二番」から中川沿いに北へ、直線距離にして800mくらい離れたところにあります。こちらには過去に何度も参拝して、確かに札所らしき弘法大師像があるのも知っていましたが、どういう系統の札所なのか、あまり深く考えたことがありませんでした。今回、謎の二番と画像をくらべてみたところ、デザインがほぼ同じであることに気づきました。こちらの十八番は間違いなく二番の続きです。

 なお、安福寺は「武蔵国三十三ヶ所霊場」の16番でもあります。

十四番と十九番

IMG_7458s ▲水元五丁目・遍照院:真言宗豊山派

 弘法大師の霊場巡りなら、真言宗の寺院が札所になってる可能性が高いですよね。このへんで有名な真言宗のお寺はどこかなーと考えて、次に見つけたのが遍照院の十四番と十九番です。謎の二番さんとデザインが完全に一致!!いいねいいね、この調子でどんどん行きたいものです。

 ところで、こちらの大師堂には作風がまったく違う「謎の8番」さんがいます。遍照院は「武蔵国三十三ヶ所霊場」だと15番、「新四国四箇領八十八ヵ所霊場」だと35番です。それともまた違うわけで、合計4系統の霊場になっているかもしれません。

 「かもしれない」とか言うのは、8番大師像が昔からこのお寺にあったとは限らないからです。たとえば私有地の祠にあったのを引きとったとか、廃止された寺から引き継いだとかで、移動してる可能性もありますからね? 二番の続きだって2体あったわけですから、どっちかは別のところから引き取られた可能性が高いです。

 なお、8番については同系統と思われる大師像を後日発見しました。>黒大師を探せ!

十三番と二十一番

IMG_7468s IMG_7469s ▲西水元六丁目・法林寺:浄土宗

 東武のバス停に「法林寺裏」というのがありますが、あの法林寺。宗派が違うのでどうかなあと思ったけれど、遍照院に近いので覗きに行ってみたところ、おーっと、十三番と二十一番だー!! デザインも二番さんに一致しています。どうやら宗派は関係なさそうです。ここいらじゅうのお寺をすべて見る必要があります。

 ここまでで、二、十三、十四、十八、十九、二十一がみつかりました。半径1kmの円内に入りそうな狭い範囲に6体ですから、仮に88ヶ所あったとしてもそれほど広範囲の霊場巡りではなさそうです。

 念のために県境をまたいで埼玉県三郷市のお寺をいくつか回ってみましたが二番さんの続きはみつかりませんでした。葛飾区内の水元、金町、新宿(にいじゅく)あたりを見ればよさそうです。

 このへんで日が暮れました。ツイートで「近いうちに水元地区の残りの寺もまわる」などと書いたものの、気になって気になって仕方ないので翌日また出かけてしまいました。

 翌日は朝からバスに乗って、金町地区のいくつかのお寺を回ってみました。しかし金町のお寺には二番さんの続きはみつかりませんでした。もしかすると、わたしが追いかけてる霊場は水元地区だけで閉じている小さな霊場巡りなのかもしれません。

 というわけで、水元地区の寺院を片っ端からお参りしまくりました。

五番と十七番

IMG_7561s IMG_7563s ▲西水元三丁目・円蔵寺:浄土宗

 金町から京成バスで大場側水門まで移動しました。記憶と地図をたよりに円蔵寺さんを発見。これまでのお寺には必ず小さな大師堂があったのですが、こちらにはありません。ここはハズレだったかな、と思いながら本堂で手を合わせ、ふと振り返ると門の手前にあるじゃないですか、五番と十七番!

 そういえば、急に思い出しました。そうですそうそう、わたしはこのお寺に前に一度お参りしたことがあって、この大師像も見た事がありました。苔むして古そうなので謎の二番さんと頭のなかで繋がってなかったです。デザインからして、二番さんと一緒に作られたものでしょう。ふむ、こうなると水元中のお寺に大師像がありそうな気がします。いや、きっとあるに違いありません。

一番

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IMG_7580s IMG_7581s IMG_7586s
▲東水元二丁目・蓮蔵院:真言宗豊山派

 円蔵寺のあとに帰宅して一休みしてから、水元公園のまわりを南から歩いてみることにしました。そしていきなりの一番です。傍らの石の杭には「弘法大師第一番霊所」と刻まれています。

 一番さんの背後にまわってみたところ、台座の後ろに「昭和八年四月建立」と刻まれていました。

 えっ、昭和8年(1933年)!!!

 石像が新しいとは思っていたけど、まさかそんなに最近のものだったとは。最近といっても83年前ですか。これを作った時代の人は、もうみなさん亡くなられてるかもしれないですね。そう思うと、あんまり新しくもないのか。

 そういえば、しばられ地蔵の南蔵院がこの近くにあるのですが、そこには大師像がなかったです。南蔵院は関東大震災で被災して、昭和12年に水元に移ってきた新しいお寺なのです。そうか、きっと霊場が出来たころには、まだ南蔵院はなかったんですね。 #南蔵院の公式サイトによれば、昭和2年に移転が始まり8年に完了したとのこと。いずれにせよ「水元弘法大師」が作られた頃は工事中だったか引っ越しが完了したばかりだったと思われます。 見のがしているだけで南蔵院にも「七番」がありました。最後のほうに追記してあります。

六番

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IMG_7602s IMG_7601bs ▲東水元三丁目・長伝寺:新義真言宗

 六番は長伝寺にありました。名前を見るとコンバトラーVを思い出すのはわたしだけでしょうか。超電磁ヨーヨー、超電磁たつまき、超電磁スピン…って、どうでもいいですね(笑)このお寺は「新四国四箇領八十八カ所霊場」の33番でもあります。

 こちらでは、立派な不動堂の中に大師像もありました。大師堂の入り口に「水元大師 第六番 南無大師遍照金剛 二十一日縁日」という札が立て掛けてありました。この霊場巡りは「水元大師」と言うのでしょうか。21日は弘法大師の月命日なので全国的にご縁日のはずです。

 だんだん謎が解けてまいりました。二番さんは「水元大師」という霊場巡りの二番のようです。霊場が作られたのは昭和八年か、それ以降の数年間である可能性が高いです。

十二番・二十番

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▲東水元三丁目・延命寺:真言宗豊山派

 大師堂の扉が閉まっていたので格子の隙間から写しました。いろいろ罰当たりですみませんごめんなさい。石のお大師様が三体いらっしゃって、右が十二、左が二十番でした。真ん中は台座が隠れていて見えないのですが、書いてあるのは番号じゃなさそうでした(右端に「厄」の文字が見えるので「厄除け○○大師」的なことが刻まれているかも)。ただ、大きい人もデザインが同じなので、同じ石工さんが彫ったかもしれないです。

 延命寺は「新四国四箇領八十八カ所霊場」の34番でもあります。

十五番

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▲東水元四丁目・薬師堂

 ここは入り口が常に施錠されていて、祠の前まで行くことができません。門の奥に見えているのが薬師堂で、大師堂は門を入ってすぐ左にありました。お坊さんがいるお寺ではなくて、村の念仏堂的な場所かもしれません。隣には上町自治会館(たぶん集会所のような施設)があります。上町というのはこのへんの旧町名「水元小合上町」のことだと思います。

 近づくことができないので遠くから参拝しました。中には確かに石像があって、台座に十五番と書かれているようでした。

四番と十六番

IMG_7623s IMG_7624s ▲東水元五丁目・光増寺

 地図には光増寺とあるのですが、ここもお坊さんのいるお寺ではなさそうです。隣は新町会館でした。

 こちらは敷地に入れたのであれこれ拝見したのですが、となりにあった石碑に核心に迫る情報が!!

Untitled
▲石碑にはこんな文字が刻まれていた

 霊場巡りの正式名称は「水元水郷弘法大師二十一ヶ所」ということです。弘法大師の霊場は、四国にならって88ヶ所あることが多いのですが、1日でまわれる21ヶ所巡りもそれなりにあるそうです。水元の霊場はコンパクトな21ヶ所だったのです。


ここから追記 2016年10月5日

十一番

 ここまで、水元じゅうの寺院をまわったつもりでした。あとは、廃止された寺や、何かの理由で移転した寺がないか確認するために図書館で古地図をいくつか見たところ、現在では東金町五丁目になっている場所で、過去に水元小合町だった地域があり、そこにもお寺が最低でもふたつはあるようです。まずは水元公園近くの瑞正寺を参拝したところ…あった、あったー!十一番だー!!!

IMG_8003s ▲東金町(旧・水元小合町)・瑞正寺

 十一番さんは膝が割れており、あまり状態はよくないですが、あきらかに同じデザインなので水元水郷弘法大師の仲間だとわかります。

 なお、瑞正寺の門前に「観音大士霊場貞林寺??」「西方第十七番札所」「宝暦十二年壬午???札所十七番」などと刻まれた石杭があります。「貞林寺」は三田にあった貞林寺のことで、昭和55年に瑞正寺と合併したそうです。宝暦十二年の観音大士霊場の詳細はわかりませんが、いずれにせよ三田の貞林寺のことで、葛飾区の瑞正寺が札所だったわけではなさそうです。

 現在の地図を古地図とつきあわせてみると、旧・水元小合町だったところに、少なくともあとひとつお寺があるので、そっちも回ってみる必要があります。残念ながら今日は日が暮れてしまったので後日改めてお参りする予定です。


ここから2016年10月7日追記

八番

 あと1軒心当たりが…と思うと行きたくなるのが人情。行ってきました、最後のお寺。そして、発見してしまったのです。

IMG_8035s ▲東金町二丁目・東江寺:天台宗

 東江寺は本所番町(現在の東駒形)から昭和3年に移転したそうです。昭和11年版の『葛飾区史』に当時の住所は水元小合町と書いてあったので、それならもしやと訪れてみたら、本堂に向かって左の植え込みにありました。大師像の前にお線香をあげる台があるのですが、固定されていなかったのでそっとずらして番号を確認したところ八番でした。もちろん台はもとの場所に戻しましたが、許可を得てすべきだったかもしれません、ごめんなさい。


 これで旧水元村エリアに現存する寺院もすべてお参りしたと思います。昭和26年版の『葛飾区史』に区内の神社・寺院・キリスト教会の一覧を見つけたので確認しましたが、寺院は当時からほとんど異動がなさそうです。信正寺というのが「明治初年に」青戸の宝持寺と合併したとありますが、探しているのは昭和8年くらいの大師像なのでここでは無視してよいはずです。

昭和26年区史より寺院一覧s

 神社に関しては、合祀されて廃止されたものが多数あるのですが、現存する神社をすべて回ったところ、大師像はみつかりませんでした。

 あとは道端ですが、水元地区は、あちこち歩き回っていますが、道端にあるのは馬頭観音と水神宮くらいです。残るは旧家の庭先とかですが、それはもう、手の届かない所です。地元に根っこのないわたしができそうな調査はここまでっぽいですねー。

・三番、七番、九番、十番はどこにあるのか?
・あきらかに弘法大師像なのに、真言宗でないお寺にもあるのはなぜか?
・もとはどういう順路で、どこに設置されていたのか…??

 などなど、謎は残されたままですが、ひとまず終わります。


2016年11月4日追記

九番

IMG_8448s IMG_8455s  終わりって言いながら、九番をみつけました。場所はどこって言えばいいでしょう。たぶん東水元四丁目で、水元公園沿いにある旧家の門前です。昔、青年の家という施設があった場所を背にして立ち、道の向かい側です。ここに気づかなかったのは悔しいですね。お寺以外の小さな地蔵堂や稲荷社までいちおう全部回ったつもりだったんですけど。

 金網付きの扉がついていたのでお大師様の写真は撮らなかったのですが、金網越しに確認すると九番とありました。これまでの大師像とデザインも同じです。水元水郷弘法大師の九番で間違いないでしょう。

 あと発見されていないのは、三番、七番、十番です。

 人は歴史の浅いものを低く見積もりがちですが、浅いといったって一番の大師像が作られた昭和8年は83年前です。あと17年で一世紀です。水元が葛飾区に併合され、東京市の一部になったのと同時期に作られた霊場巡りは、このあたりの歴史の一部だと思うのです。

 残りの大師像も旧家の庭先や土蔵に保存されてる可能性があります。建て直しなどで出てくる可能性がありますから、みつけたら捨てないで! 持て余してる場合は、どうか近隣のお寺に相談してみてください。

ここまでのまとめ

水元水郷弘法大師二十一ヶ所(水元弘法大師)
昭和八年ごろに成立
縁日は毎月21日

01 東水元二丁目・蓮蔵院:真言宗豊山派 背面に「昭和八年四月」
02 葛飾区南水元二丁目、飯塚・冨士神社北の駐車場内
03 ?(かつては西水元一丁目の民家にあったとのことです)
04 光増寺(新町会館)四番の御詠歌石碑あり
05 西水元三丁目・円蔵寺:浄土宗
06 東水元三丁目・長伝寺:新義真言宗「21日縁日」
07 東水元2丁目・南蔵院(しばられ地蔵):天台宗
08 東金町二丁目・東江寺:天台宗
09 東水元四丁目・旧家の門前
10 東金町五丁目・釈迦堂のある墓地
11 東金町五丁目・瑞正寺:浄土宗
12 東水元三丁目・延命寺:真言宗豊山派
13 西水元六丁目・法林寺:浄土宗
14 水元五丁目・遍照院:真言宗豊山派
15 東水元四丁目・薬師堂(上町自治会館となり)
16 東水元五丁目・光増寺(新町会館となり)
17 西水元三丁目・円蔵寺:浄土宗
18 西水元一丁目・安福寺(夕顔観音):真言宗豊山派
19 水元五丁目・遍照院:真言宗豊山派
20 東水元三丁目・延命寺:真言宗豊山派
21 西水元六丁目・法林寺:浄土宗

 昭和7年、水元村は東京市葛飾区に編入され、水元小合上町・水元小合町・水元小合新町・水元猿町・水元飯塚町になる。霊場巡りの一番の像は翌年昭和8年建立。新しい時代の幕開けに、旧水元村を記念するコンテンツを作ろうとした人たちがいたのかもしれない(昭和10年の弘法大師1100年遠忌にも合わせていると思われます)。

 現在まだみつかっていないのは、三、七、十 の 3ヶ所。旧水元村にあった寺院はすべて回ったはず。神社には大師堂はなさそう。残りは旧家の敷地内に遺されているのか、あるいは壊れて処分されてしまったか…  コメント欄にいらした小川さんが画像付きのメールをくださいました。おかげでついに七番、十番の場所がわかりました(緑色のポイントで地図にも追加してあります)。写真はこの記事の終わりのほうに追加しておきます。三番はかつて西水元一丁目の民家にあったそうですが、どこかのお寺に返納されて、現在は行方が知れないとのことです。

 霊場巡りは歩いて順に回れるように出来ていても良さそうなのに、一から順に線を引くと水元中を迷走してしまう。もとはどんな順路だったのか、大師像はもともとどこに設置されていたのか…?? ←もともと番号順に回れない霊場巡りだったようです!

スクリーンショット 0028-10-07 14.38.31


新たなる謎

 水元五丁目の遍照院には「新四国四箇領八十八カ所霊場」「武蔵国三十三箇所霊場」「水元水郷弘法大師二十一ヶ所」のどれでもない「8番」がある。8番さんは何めぐりの8番なのか…?!→これはもう一体三郷市内でみつけました。>詳しくはここをクリック

解決した謎

 東金町五丁目・瑞正寺の門前にある「観音大士霊場貞林寺??」「西方第十七番札所」「宝暦十二年壬午???札所十七番」の石碑は何巡りの目印なのか?! # 貞林寺は三田にあった寺なので、葛飾区とは関係のない霊場巡りだとは思うが。

追記:
 「江戸西方三十三観音」のことで、現在の港区にあたる地域の観音霊場をめぐるものだったようです。

◎『東都歳時記』
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo06/wo06_03375/

 これはついでの資料なのであんまり真剣にやる気もなく、ぱっと見てわかんないところは???にしてあります。東都歳時記だったら東洋文庫に入っているので必要な場合は本を見ればよいと思います。

○西方三十三所観音札所参
日眼中参拝多しこゝに順路をしるす
上より順に読下すべし

一番 飯倉 順了寺  二番 あたご下 考寿院 三番 円福寺中 寿慶院
四番 あたご下真福寺内 長久寺 五番 あたご下 天極寺 六番 ??だい 陽泉寺
七番 麻布谷丁 永昌寺 八番 今井寺丁 大泉寺 九番 六本木 崇厳寺
十番 六本木 光専寺 十一番 六本木 深廣寺 三十一番 さくら田 圓福寺
三十二番 ?田 専称寺 三十三番 下?台 長谷寺 夫より大すみ山通り一本杉へ出
十二番 一本松下 臺雲寺 三十番 あざぶしん丁 遍照寺 二十九番 あざぶしん丁 称念寺
二十八番 三?坂 専心寺 細道通り白金へ出る 二十七番 白かね 正源寺
二十六番 白かね 西照寺 二十五番 樹木台 奥雲院 二十四番 二本松 黄梅院
夫より高輪へ出る 二十三番 高輪 引接院 二十一番 ??????寺 一??
二十二番 いさ?ご 道性寺 二十番 魚らん 浄閑寺 十九番 魚らん下 大伝寺
十八番 三田寺丁 林泉寺 十七番 中寺丁 貞林寺 十六番 中寺丁 玉風寺
十五番 ?坂 ??寺 十四番 三田四丁目 春林寺 十三番 本芝二丁目 法音寺
右に??ところの札所参の外に古来三十三所を世三十三所山の手三十三所参谷中??王子辺三十
三所葛西三十三所参?ありくわしく附録に出す大塚護国寺境内三十三所は??荒はてゝ昔の壮
観を失へり惜むへし

2018年2月14日追記

 コメント欄で東水元に大師堂があると教えてもらったので行ってきました。 IMG_4674s IMG_4675s

 完全に私有地っぽかったので、まわりは写らないようにお堂だけ撮影させてもらいました。中には石のお大師様がいました。お堂には扉があって、ガラス越しなので像はうまく撮影できませんでした。

 お堂に御詠歌が掲示されており、昭和8年6月15日と記されています。水元水郷弘法大師も一番の像の裏に昭和8年と刻まれているので、時期は合っています。

 ただ、以下の理由で、水郷弘法大師とは別のものじゃないかという気がします。

IMG_0966s

 貴與冨弘法大師(貴与富弘法大師)は、お大師様の座像の下に小さな台座があって、そこに「貴與冨弘法大師」と刻まれています。この小さな台座は大師像と一体のように見えました。また、その下にもうひとつ大きな台座があり、そこにはお大師様の象徴である水瓶の靴が刻まれていました。

 水元水郷弘法大師の場合、像はいきなり大きな台座に乗っていて、台座には必ず番号が刻まれています。

 大きな台座は作り直された可能性もありますが、像と一体に見える小さな台座は、これまでに見つけた水元水郷大師にはないものです。

 というわけで、今のところ違うんじゃないかな、ということになります。

 ただ、時期的に何か関係があるかもしれないので、正確なところは関係者の方に聞かないとわかりませんが。


 2019年7月1日追記、コメント欄の情報で、不明だった七番と十番も見つられました!

七番

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 なんと、しばられ地蔵の南蔵院に七番があったなんて! 夢殿の形をした太子堂に向かって左手奥にありました。 2024年5月現在、別のところに遷されており、一般公開されていません。この記事が長くなりすぎて詳しく書けないため、別途記事を起こしました。このへんを読んでください>黒大師の六番、水郷大師の七番(南蔵院)

 あれー、南蔵院は見に行ったんですよー。お堂の裏手にもまわって「ここにはないのかなあ」とかぼやきながら水琴窟に水を流した事まで覚えています。なんで見つけられなかったんだろう。見つけられてよかったという気持ちと、自力で発見できずに悔しい気持ちが入り交じっています(笑)

 それと、別途探している黒大師(瓦大師というそうです)の六番もここにありました。これは茂みの中に隠れていて、あらかじめあるって教えてもらってなかったら、絶対みつからなかったと思います。

◎黒大師を探せ!
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161130p6450
 黒大師関係はこのURLからどうぞ。

十番

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 東金町五丁目の、釈迦堂がある墓地と教えてもらいました。水元や東金町には、お寺ではない小さな墓地が何ヶ所かにありまして、地図には載ってない事が多いです。いくつかは気付いて回ったのですが、この墓地は気付いてなかったです。

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 なんせ外観が上の写真のような感じで、ぱっと見墓地に見えないんですよねー。よく気をつけて見ると、確かにお堂が見えてます。

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 十番は石造りの立派なお堂に納められていました。

三番(行方不明)

 小川さんから水元水郷大師の開創当時の案内図もいただいたのですが、それによると、三番は二番と十八番の間、西水元一丁目の民家にあったそうです。しかし現在は、どこかのお寺に返納され、この場所にはないとの事でした。納められたお寺も今ではもうわからないそうです。

 そのお寺が今もあるなら、境内のどこかに三番が安置されているかもしれません。台座に右から左へ「第三番」と刻まれた石の大師像があったら、水元水郷大師の三番かもしれないので、見つけた方はどうかお知らせください。水元ではなく、葛飾区内、足立区、三郷市などのお寺かもしれませんし、もっと遠くのお寺である可能性もあります。

 最後になりましたが、貴重な資料をくださった小川さんに心から感謝申し上げます。

開創当時の巡拝案内

 上の図は 小川政秋さんが提供してくださった水元水郷大師の開創当時の案内図です。文字がかすれて読みづらいですが、当時は神社にもあったようです。九番の日枝神社の場所は、現在は水元公園になっています(昔の航空地図を見ると、現在の水生植物園の南あたりですね)。


【2023年4月26日追記】開創当時の巡拝案内を改めて解読する

 現在、三番のみ大師像が行方不明で、それ以外はすべて水元地区と東金町の一部にあるお寺や路辺で発見されています。しかしそれは、あくまで「現在の場所」であって、開創当時からそこにあったわけではありません。廃止された神社や路辺から遷座されたものも多々あります。

 そこで、小川さんからいただいた開創当時の巡拝案内を改めて解読してみました。文字が薄れていてほとんど読めないのですが、現在もある寺、神社、墓地、町内会館については確定できますし、廃止された神社、移転した神社についても特定できました。

水元水郷弘法大師二十一ヶ所地図 ▲パソコンの場合は、この画像の上で右クリックして「リンクを新規タブで開く」などとすればかなり大きな画像が見られると思います(ただクリックしただけではあまり大きくならないので注意)。スマホでも似たような操作は可能だと思います。この地図は、あくまで開創当時の場所です。現在の状況はこの記事をさかのぼって読んでください。

 以下は正確な場所がわかりませんでした。
・6番と20番の間にある「番外」
・上之割用水沿いの 12番
・大師像が現存しない 3番

【12番】
 12番については正確にこことは言えませんが、上之割用水沿い(現在は暗渠。岩槻橋交差点から南へ下る道になっている)であることは間違いなさそうなので、南水元交番のあたりの路辺かなあと思います。それよりすこし南に下ったところに花之木稲荷が今でもありますが、案内には鳥居のマークがないので神社の近くではなさそうです。

【番外】
 地図では6番長伝寺と20番延命寺の間にあるように書いてあり、寺や神社などではなく、路辺にあったものと思われます。前述の「貴與冨弘法大師」がそれではないかとも考えましたが、貴與冨さんの場所は15番と4番光増寺の間にあたり、位置がずれているのですよね。昔の地図がテキトーなのかもしれないし、貴與冨さんが何かの都合で500mばかり移動した可能性はありますが、現状それを確定する材料がありません。

 ……あっ、待って待って、これを追記してアップロードしてから思い出しました。番外は貴與冨さんではなさそうです。延命寺大師堂に、20番のほかに遷座された12番と、「厄除○○大師」と読める台座に乗ったお大師様がおさめられています。この「厄除」の人がおそらく番外だと思われます。

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▲延命寺大師堂内。真ん中の像がたぶん「番外」

IMG_7618bs ▲真ん中の像の台座。右から横書きで読むとして、最初の文字が「厄」最後の文字が「師」であることがわかるので「厄除○○大師」と書かれていると思われます。おそらくこれが番外です。ここに遷座される前にどこにあったかはわかりませんが、長伝寺から延命寺に向かう道のどこかにあったんだろうと思います。

【3番】
 そして3番ですが、小川さんがおっしゃるには「西水元1丁目付近の民家の前にあったが、霊場じまいをして大師像はいずれかの寺に納められた」という事です。地図では18番安福寺(夕顔観音)と、飯塚の富士神社の間くらいにあったように書いてあります。

【ここから先はいつものように当たるも八卦当たらぬも八卦の思いつきですが】

 そこで、わたしは気付いたのですが、中川沿いで、安福寺と富士神社の間に古い不動堂が残っています。不動堂の隣にも小さなお堂があるのですが、中は空っぽで、板きれと厨子らしきものがあるので、ひょっとしたら3番大師堂の跡なんじゃないでしょうか。

IMG_6893s ▲西水元2丁目、アパート前のお堂。この写真では手前の小さな屋根が不動堂で、奥の大きめの屋根は中に板きれと厨子のようなものがあるだけで何が祀られていたのかわからない状態です。

IMG_7272s ▲植え込みがあって正面からは写しにくいのですが、左の石碑のようなものは不動像です(この不動像も気になっているので近々記事にしたいと思っています)。右側のお堂が何が祀られていたかわからないお堂です。

IMG_6898s ▲これが「右側のお堂の中」です。板きれが2枚あり、その後ろに厨子のようなものがあります。

 弘法大師は偉い人ですが、ぶっちゃけた話ただのお坊さんです。弘法大師の霊場というのは、だいたい四国八十八ヶ所のコピーになっていて、弘法大師像と一緒に四国の同じ番号のお寺の御本尊様(阿弥陀如来とか、薬師如来とか…)の像を厨子に納めて大師像の後ろに安置してある場合があります。

 ただ、御本尊様と一緒というのは八十八ヶ所めぐりの場合が多くて、二十一ヶ所だとそういうのは見た事がありません(現に水元水郷弘法大師二十一ヶ所のほかの札所にもそんな例はないです)。

 となると、大師堂の跡だというのは考えすぎなのかな、とも思います。だいたい大師像はどこかのお寺に納めたのに、不動明王像はそのまま残してあるというのも奇妙です。

 とはいえ、3番は場所的にはこのあたりじゃないかと思うんですよね。

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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

謎の二番から始まる水元霊場探訪 #葛飾区 #神社仏閣 への18件のフィードバック

  1. ピンバック: 三郷市戸ケ崎に点在する謎の石杭 | 超・珍獣様のいろいろ

  2. 一円 のコメント:

    こんにちは。
     これは面白いですね。地図を見ると何故か中央部分は真っ白。昭和の初年でも既に小合溜は流路ではなかったかもしれません。ですが水元公園全体を浸水常襲地域と考えると、水辺に近い辺りを結んでいるように見えます。とすると、抜けているのは公園の中ではないかと思っていましたが、それはあまりありそうにありません。
     合祀されているのは何らかの理由でほかの場所から移動したのでしょう。そのために順路が判りにくくなっています。でも東南の1から西へ進んで、次に東北の角。また西へ進んで5番。再度対角線に近い経路で6。あとはもう判りません。
     7は2の西北側で、3はもしかしたら中央辺りかも。一番早いのはやっぱり先住民に訊ねる、でしょう。もっと見つかるといいですね。

    • 珍獣ららむ〜 のコメント:

       いやいや、公園内もあやしいですよ。戦後まもなくの空撮を見ると、現在水元公園だった場所は広大な農地ですが、お屋敷のようなものや、防風林に囲まれた四角い敷地も見えるので、そういう場所に霊場が設置されてた可能性は否定しきれないです。

       やはりこれはネイティブ水元人の出番かなあ。しかしわたしは完全によそ者で、ここいらに古くから住んでる人とはまるで接点ナシなのでした。チャンスがあったらどこかお寺の人には聞いてみようと思うんですけどねー。

  3. ピンバック: 謎の神社の正体を探ったら天祖神社だったという話 #神社仏閣 #葛飾区 | 超・珍獣様のいろいろ

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  9. 平本 洛外 のコメント:

    東水元4ー15日枝神社裏から西への道がぶつかった処に、大師堂が有りますよ!
    所番地は東水元4ー7です。

    • 珍獣ららむ〜 のコメント:

      情報ありがとうございます。
      明日にでも確認しにいきますね!!

    • 珍獣ららむ〜 のコメント:

      行ってきました(本文の最後に追記してあります)。確かに大師堂だったのですが、水元水郷弘法大師のシリーズとは別のような気がします。たまに個人で札所とかでなく大師堂を建てられる方もいらっしゃいますので。

      情報ありがとうございました!

  10. 小川政秋 のコメント:

    未送信だったのか、メルアドがの残ってしまいました。
    水元水郷弘法大師廿一ヶ所 ですが、
    良く見つけられましたね。
    三番は、西水元一丁目の民家の敷地の角にありましたが、現在は
    撤去されています。大師像はどこかのお寺に返納して、今は行方
    が分かりません。
    七番は、行かれたとレポートされていた縛られ地蔵・南藏院の境内
    にあります。以前は墓地内にあり、萬霊塔内に遷座し、今は太子堂
    うらの植込みのなかに遷座されております。6番の黒大師(瓦大師)
    も隣に遷座されました。
    十番は東金町五丁目の釈迦堂がある墓地内にある石造の大師堂で
    聞かなければわかりようがありませんでした。
    黒大師、数え間違っていました。18体確認済みです。不明は3、
    12、15の3体です。3番は葛飾区内、あとは三郷と八潮と思って
    います。
    調査結果を持っております。ぜひ返信して下さい。

  11. 小川政秋 のコメント:

    アドレスが消えない!
    消してください。

    • 珍獣ららむ〜 のコメント:

      小川さん、すみません、気付くのがおそくて本当にごめんなさい(30日にメールをいただいて、やっと気付きました……)。アドレスは消えてるみたいですね、よかったです。あとでメールいたします。

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