昔(2011年に)、こんなツイートをした事があります。↓↓↓
下稲荷から用水沿いに歩いてみたけど、上稲荷は見当たらず。もっと上流なのか、上の意味が違うのか。買い物中なので今日はかえる。 / 久兵衛用水緑道にイマココ! htn.to/9z8Nsj
posted at 11:47:38
Twitterに送りそびれたのでやり直し。下があるなら上もあるはず。上稲荷はどこ。 / 下稲荷神社にイマココ! htn.to/THjwWu
posted at 11:49:38
ここが上? いや、下に対して大きすぎるような気が。 / 鎌倉稲荷神社(三郷市)にイマココ! htn.to/LAzjt9
posted at 11:58:38
上でも下でもない稲荷ならあった。これなら大きさは下と釣り合うけど対だという手がかりがない。…いや、ほんとに帰る。 / 稲荷神社(三郷市寄巻)にイマココ! htn.to/PSyqNt
posted at 12:42:40
下があったら上があるに違いないと思い、当時このへんをくるくる歩いてみたんですが、同じくらいのサイズの稲荷社や何社かわからないお堂ならあったんですが、上稲荷はどこにもないわけです。
最近になって、また下稲荷に行ってみたんですが…
鎌倉というのはこのあたりの地名です。ここらへんは鎌倉関係の伝説や地名がけっこうあります。葛飾区にも鎌倉ってところがありますよね。源頼朝が伊豆のほうへ出兵した際にこのへんを通ったとか、里見氏と北条氏(鎌倉方)との合戦の舞台に近いからとか、由来はいろいろあるみたいですが、まあそれは別の話。
最初に見た時は、ただ「下稲荷」とだけ書いてあったので、対になるようなサイズの上稲荷がどっかにあるにちがいないと思いこんでたのですが、なるほど正式には鎌倉下稲荷なんですね。
ということは、「上」にあたるのは「鎌倉稲荷」さんであってたんですね。なーんだ!
▲鎌倉稲荷(三郷市)の神社史。パソコンからだと、右クリックで「画像だけを表示」とかすると少し大きめの写真が見られると思います(左クリックではだめです)。スマホだと深く考えずにピンチアウトで拡大して見られますね。
↓要約
元禄元年に京都の伏見稲荷から勧請。 明治43年4月、法令により戸ケ崎香取神社に合祀される。 地理上の不都合などがあった。 大正3年10月、仮地に遥拝所が作られた(場所は書いてない)。 昭和12年4月、この元地に遥拝所を復した(今の鎌倉稲荷社)。 昭和45年12月、鎌倉公民館兼社務所ができる。 昭和46年10月、社殿を新築。 この頃はまだ敷地が私有地だった。 地主さんが土地を奉納してくれることになり… 昭和53年9月5日付で宗教法人「鎌倉稲荷社」になる。
合祀されてなくなった神社はよくあるけれど、ここは復活しちゃったんですね。おもしろい。戸ケ崎まで少し距離があるので「村の神様が遠すぎて不便」って感じだったのかも?!
仮地にあった遥拝所(戸ケ崎香取神社を遥かに拝む場所)というのがどこのことか書かれていないんですが、もしかすると「下稲荷」がそれなのかなと思います。いや、全然関係なくて、現在の鎌倉稲荷そのものを遥拝するために作られたのが下稲荷かもしれませんが。
とにかく、下に対して上は鎌倉神社だってことがわかったので、個人的にはすっきりしました。
赤いポイント
北にあるのが鎌倉稲荷
南にあるのが鎌倉下稲荷
黄色いポイントは名前のよくわからない小さなお堂
緑のポイントは「稲荷神社」とだけ書かれている小さなお堂
おまけ
ここから下は鎌倉稲荷とは関係ないかもしれないですけど、話の流れで。
ダイソーの裏手にあるお堂
▲黄色いポイントにあるお堂です。ここはわたしが最初見た時は、まわりが空き地で、お堂と鳥居がぽつんとあったのです。宅地になってからもお堂だけはしっかり残りました。
お堂の中はお稲荷さんで、左に弁財天、右に荒神社の石祠があります。
稲荷神社
▲これは緑のポイントにある稲荷神社です。鳥居の扁額に「稲荷神社」とだけ書かれています。近年、まわりの建物が建て直されたのですが、お堂はしっかり残りました。
▲これが2011年当時の写真です。背景が変わってるけどお堂は同じなのがわかると思います。
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