▲十五郎穴に向かう道は時代劇みたいだった。風車の矢七かなんかのコスプレして誰か歩いてみてほしい。
この穴に曽我十郎と曽我五郎(曽我兄弟)が住んでいたという伝説があるんだそうです。曽我兄弟は江戸時代に大人気だった仇討ち話の主人公です。
▲穴の天井を見ると、きれいに丸く削られています(すべての穴がこうではないと思う)。なんでこんな細工が必要だったんだろう?
▲中で他の穴とつながってる大きな穴もあった。昔からこうだったのか、後世の誰かが削ってしまったのかはよくわからないけど。
土を盛って作る古墳の場合、遺体を入れる穴は石を組み立てて作るのですが、横穴墓は山の斜面に穴を掘って作ります。まるで団地のように一ヶ所に沢山の穴が作られてることが多いみたいですね。こうのが日本各地にあります。
人骨や副葬品が出てくるのでお墓なのは間違いなさそうです。でもそれは現在の学説で、埼玉県の吉見百穴なんて「コロボックル人の住居だったに違いない」と大まじめに言われていた時代があるらしいですよ。昔の学者さんたちのファンタ爺っぷりがたまらなく素敵ですね。
横穴墓は、古いほど大きくて立派、新しいものは小さく簡素になっていくそうです。ところが十五郎穴では、大きくて立派な穴から新しい時代の副葬品が出たことがあったそうです。それで「古い穴を再利用したのでは?」など考えられるって、近くにある資料館の展示に書いてあったと思います。
理屈はともかく、横穴墓群はみょうに心ひかれます。あるって聞くと見に行きたくなります。
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こんにちは、
横穴墓といえば、千葉県にもたくさんあるようですよね。
法皇寺古墳や明戸古墳などは行きましたが、
茂原の近くの横穴は、中に入れるのや、線刻のあるのもあるそうで、一度行きたいなと思っています。
崖下のお家は駅のガラス面に張り付いていたときと海側のバス停を見学していた時に見えました。
崖を背に真下の家は見えませんでしたが、津波のときは怖かっただろうなと…
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